2.ニュー・グランド 4


「――あれ?」


 カフェに向かう途中、細い路地の方を見て、真琴は立ち止まった。その視線の先には、ガラの悪い三人の男と、気弱そうな女子高生。


 しばらくそいつらを見ていたが、どう見ても女子高生が絡まれてるようにしか見えなかった。


 立ち止まった真琴に、「どうしたの?」と怪訝けげんそうに麗が声をかけて来た。しかし、真琴は路地の方を向いたまま、ちょっと……と上の空で言葉を返した。その真琴の様子に異変を感じ取ったのか、一同が路地裏をのぞき込む。

 そこには男たちに肩を掴まれた女の子が、奥へと連れ去られそうになっていた。


 その歩みが止まらないことを悟ると、真琴はその路地に向かって、一歩踏み出した。


 が、その肩を勇吾につかまれる。その上、和也が慌てて、真琴の前に立ちふさがった。


「ちょいちょいちょい、マコトちゃん。何しようとしてんの?」


「え、あの女の子が困ってるみたいだから……」


 当然のように言う真琴に、勇吾と和也が顔を見合わせる。


「……マコトちゃんが行って、どうすんの。二次被害になるでしょ」

「連れて逃げるくらいはできるよ?」

「……リスクが高いだろ」


 和也ばかりか、勇吾にも止められて、真琴はそんなことない!と意固地になってしまった。


「人助けなんかしないほうがいいよ。後が面倒くさいんだから」


 惚れられたりしたら厄介だし、と優がイケメン特有の理論を振りかざして止めに入った。


 いや、でも……、と、こちらで揉めている間にも、少女は男達に無理矢理連れ去られそうになっている。


 周りから見れば、真琴のしようとしていることは、蛮勇ばんゆうなのだろう。身の丈に合っていない行動である。それでも、理不尽な目に合いそうになっている者を放ってはおけないと訴える真琴に、勇吾と和也が折れた。


「じゃ、俺らが行くから、マコトちゃん達はここで待ってて。んで、逃げてきた女の子連れて、駅まで行ってよ」


 それは、と申し訳なさそうにする真琴に、麗が適材適所よと声をかけた。


「そー、そー。適材適所。俺らが戦って、マコトちゃん達が逃がす。どう?」


 できる?と和也に優しく問われて、できないとは言えなかった。


「あ、女の子連れて駅まで行ったら、先、氷屋行って。俺ら、今日は行かねーから」


「――っえ?なんで?」


 真琴が思わず聞き返した疑問に、笑顔で手を振り、二人は路地へと入って行った。追いかけようとした真琴の腕を取って、麗が止める。


「適材適所って言ったでしょ。これはあいつらの係なんだから、任せておけばいいの」

「係って、だって……」


 私が言い出したことなのに?と思ったが、追いかけたら、彼らが二人で行った意味がなくなると制止され、真琴は目立たないところに移動させられたのだった。



 麗によって、「係」に任命された勇吾と和也は路地に足を踏み入れると、先を行くガラの悪い男たちに声をかけた。


「おーい、そこの。女の子、嫌がってんじゃん。離してやれよ」


 和也が軽薄に、だが、いつもと違って凄みを持たせた声をかける。

 対するガラの悪い男たち、金髪と剃り込み、それからヒゲは一斉にあ゛ぁ゛!?と凄み返した。

 外見こそ迫力があったが、その物腰からして、脅威ではないと判断する。


 う〜ん、行かないって言ったの、早まったかな、と和也は後悔した。でも、喧嘩をした後のたかぶった状態で、カフェという放牧的な空間には耐えられそうにないと思ったのだ。


「――ンだ、てめーら」


 剃り込みが一歩踏み出した瞬間に、勇吾が無造作にその腹を蹴った。


「ぐぇ!」

「っ、このヤロ!」


 金髪の意識が女の子から外れた瞬間、和也が少女の腕を取り、こちら側へ引き寄せる。そのまま、大通りまで走って!と声をかけ、少女を逃す。


「待ちやがれ、この……!」

「待つのはオメーだよ」


 和也が少女の後を追おうとしたヒゲの前に立ちふさがり、そこから男達の乱闘が始まった。



 一方、真琴は、逃げてきた少女の姿を認めると、こっち!と声をかけた。目に涙を一杯溜めて駆け寄ってきた少女に「大丈夫?」と問うと、「は、はい……」と返ってきた。


「ここは危ないから、駅まで行こう。歩ける?」

「……っはい。うっ……」


 助かった安堵からか、涙がこぼれた女の子の肩を抱いて、一行は歩き出す。

 逃げて来た女の子は、大人しくて可愛らしい顔立ちをしていた。ちょっと強く出たら、断れなさそうな雰囲気である。そこが狙われたのだろう。


「何があったの?」

「わからないんです。歩いていたら、あの人たちがぶつかってきて、それで無理矢理……」

「……そっか。怖かったね」

「……はい」


 そのまましくしくと泣きだした少女に、慌ててティッシュを差し出そうとポケットを探ったが、なかった。その様子を見て、佐伯がこれ使え、と真琴にハンカチを差し出した。


「いいの?」

「構わない」

「ありがと。ね、これ使って。涙」


「ありが、と……、ござ……ます……」


 そこで、ようやく顔を上げた少女は、ハンカチを貸してくれた佐伯の隣に優の姿を見つけ、ぽかんとした後、慌ててハンカチで顔を隠した。

 少女は耳まで真っ赤になり、衝撃で涙も止まってしまったようだった。


覿面てきめんね」

「だから嫌なんだ」


 と、麗と優が少女に聞こえないよう、小声で交わす。


 その少女の変わりように、優が言っていたのはこういうことか、と真琴が感心する。正直、彼女は優の「惚れられたら面倒」発言はナルシストというキャラ設定ゆえの冗談かと思っていた。


 少女は、駅に着く頃にはだいぶ落ち着いていた。


「あの、本当にありがとうございました」


 そう言って、深々と四人に向かってお礼をする。

 お礼を言われたいがために助けたわけではないが、こうやって感謝されるとやはり悪い気はしないし、助けてよかったと思う。

 ただ、本当に少女のお礼を受け取るべき者勇吾と和也はここにはいない。他人の利をかすめ取ったようで、真琴は少女の言葉を素直に受け取れなかった。

 だから、真琴はもごもごと意味のない言葉を紡いでしまう。

 でも、これで一安心、と思った真琴は甘かった。


「あの、でも、まだやっぱり怖いんで、家まで送っていただけませんか?」

「へ?」


 真琴は思わず素っ頓狂な声を上げたが、少女は彼女に一瞥もくれずに、一心に優を見つめていた。このチャンスを逃すまいと、ぎらぎらとした目で優を見つめる。そこには、最初に見つけた時の怯えた少女の面影はどこにもなかった。

 少女の情熱的な視線に、目も合わせようとしない優。そして、その優をかばうように、佐伯が二人の間に割り込んだ。逆に麗はこの状況を楽しんでいるようで、一歩引いて、ニヤニヤ笑いながら眺めていた。


「あの、気持ちはわかるんだけど、私たち、さっきのところに戻らなきゃ。あなたを助けるために、友達があの男たちを足止めしてるんだよね。心配でさ」


 と言う真琴の言葉に、あからさまに残念そうな表情になる少女。それでもめげずに、ハンカチ返したいんで、連絡先教えてくださいと懇願こんがんする。


「安物だから、返さなくていい」


 明らかにブランドのロゴが見えているのに、佐伯はそんなことを言った。

 少女は、男たちに押してもダメだと、瞬間的に悟ったのだろう。より陥落させやすそうな真琴に狙いを定めると、せめて学校だけでも……!と必死に言い募った。


「え、あの、いや……」


 少女の必死さに、真琴はしどろもどろになった。困っていたから助けただけで、そこからこんな縁を繋ぐつもりはなかったのだ。

 その真琴の制服の裾を摘む感触が。その感触から、優の絶対に言わないで!と言う気持ちが伝わってきて、真琴は混乱した頭で、言葉を紡いだ。


「えーっと、その、あの……。わ、私たち、名乗るほどの者じゃありませんから!」


 どこの時代劇のセリフだ、と言う言葉に、麗と佐伯が遠慮なく吹き出した。真琴も、自分の言ったセリフの厨二臭さに真っ赤になる。


「というわけで、気をつけて帰ってください!」


 強引にそう締め、ぺこりと頭を下げると、行こ、皆と言って、来た道を戻って行ったのだった。


◇◇◇


「『名乗るほどの者じゃありません』は、ちょっとよかったよね」


 とかき氷を口に運びながら、優が回想する。今度僕も使おうかな、なんて、完全におもしろがっていた。


「水瀬くん、それは言わないで……」


 真琴が突っ伏して恥ずかしがるが、麗はその様子がおもしろいようで、


「いいじゃない。『名乗るほどの者じゃありません』。なかなか言えないセリフよ」

 と、真琴の耳元で囁いては、彼女の羞恥をあおっていた。


◇◇◇


 少女を駅まで送り届けた後、結局、勇吾たちと合流することなく、四人はカフェに来たのだった。


 真琴は、喧嘩の現場に戻ろうと主張したが、三人に止められた。


「まだ喧嘩しているなら、私たちが戻ったところで足手まといだし、もし喧嘩が終わっていても、しばらくは相手やその仲間から報復される恐れがあるから、彼らは約束をキャンセルしたのよ?その気持ちを汲んであげなさい」


 とは、麗の主張だ。


 正直、あいつらがそこまで考えているか?と思わなくもなかったが、麗に言われてはしかたがない。

 せめて、無事かどうかの確認だけでも、と思ったのだが、真琴は二人の連絡先を知らなかった。


「え?なんで?なんで知らないの?仲良くしてくれてるのに!」


 優の非難に、ごにょごにょと、連絡先交換するきっかけがつかめなくて……と返すと、優は少し考えた後、不思議そうに訊ねた。


「あのさ、マコトちゃんって、あの二人のこと、嫌いなの?迷惑なの?」

「え?嫌いでも、迷惑でも……ない……よ?」


 優に問われて、咄嗟にあげた自分の反論の声に、考え込んでしまう。


「だよねー。外見はイカツイけど、話してみたら、別に普通だし。むしろ、かなり優しいよね?」

「うん……」


 それは、確かにそうだ。いつも、性別の垣根を気にせず声をかけてくれ、今日なんか、真琴の代わりに真琴ができなかったことを、怪我をするリスクを負って他人に喧嘩を売ってまで肩代わりしてくれた。本人たちは、それが当然、みたいに言っていたが、そんなこと怪我するようなことをするのが当然の役回りなど、ない。

 それなのに、真琴に負担をかけないように、彼らは笑顔だった。


「なのに、なんで二人から微妙に距離をとってるの?」


 なぜ、距離を置いているのか。それは彼らのせいで、いじめられるからだ。――誰に?


 ……あれ?いやいや、待て待て。そこを一緒にしてはいけない。


「……ちょっと待って。えー、待って……」


 優の言葉に、色々気が付いてしまい、真琴の脳みそはフル回転し始めた。


 考え込んだ真琴を横目に、麗が優にささやいた。


「……あなたが、他の男を褒めるなんて、珍しいじゃない。何を企んでるの?」

「え〜?何も?」


 と、天使のような笑顔で優は答えた。

 年頃の少女なら、それだけで心を奪われてしまいそうな極上の笑顔に、麗は一切心を動かされた様子もなく、「あなたのその笑顔は胡散臭いのよ」とまで言い放った。


 そんな二人の会話が耳に入っていない真琴は、考え込んだまま麗を呼んだ。


「あのさ、ウララちゃん……」

「なぁに?」

「麗ちゃんは、水瀬くんが『嫌』で、『迷惑』なんだよね?」

「そうよ」


 真琴は、麗が常に言っていることを再確認した。


「だから逃げてる……」


 ちょっと!と優が不服を申し立てたが、無視をした。


 麗の行動はいつもはっきりしている。好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。その言葉の通りに行動している。真琴は、今までそこについて深く考えたことはなかった。


 しかし、優に問われて、自問する。


 ……じゃぁ、なんで私は、勇吾たちが「嫌」でも、「迷惑」でもないのに、逃げてたの?


 そこに気づいて、真琴は愕然とした。そして、濡れ衣を着せていた彼らに対する罪悪感でいっぱいになる。


「うわぁ!私、ヤな奴になってたっ……!?」

「何よ、急に」


 真琴は、麗に気が付いたことをつたないながら説明した。


 その説明を聞いて、麗が何か言うよりも早く、横から優が追い打ちをかけてくる。


「うわ〜、それって、酷くない?」

「うぐっ」

「本人達は悪くないのに、避けるとか、かわいそ〜」

「あうっ」

「興味ないなら、仲良くしなきゃいいのに」

「……興味、なくはないっ」

「連絡先も知らないのに?」

「ぐふっ」


 無駄な抵抗は無駄に終わり、もう彼女に言えることはなかった。


 完膚無きまでに言い負かされ、打ちひしがれている真琴に、一転、優が優しい声で囁く。


「……誰でも、間違いはあるよ。これから、仲良くなればいいんじゃないかな」


 優は意識して、声と表情を作った。対する者に警戒心を抱かせず、言葉がするすると染み込んで行くように。


「……そうかな、仲良くなれるかな」


 見上げた優の背後からは、真夏の太陽からの光が後光のように差していた。

 優は、麗に「胡散臭い」と言われた笑顔で、


「なれるよ」


 と、慈愛に溢れた、だが、確信に満ちた答えを返した。


「きっと、なれる。だって、彼らはちょっと鈍感だけど、気のいい奴らでしょ。それは君の方がよく知ってるはずだよ」

「……うん」

「君から一歩踏み出すだけで、世界は変わるよ。その一歩は、小さいかもしれないけど、君たちの関係にとっては大きな一歩になるよ」

「……うんっ」


 イイ顔とイイ声で言われたら、実際その気になるから不思議だ。佐伯などは、聖母のごとき優の姿を見て、感無量になっている。


 落として上げる。これは、相手を自分の思い通りにしたい者がよく使う手だ。その手にまんまと引っかかった真琴は、優の言うことを、ただただ受け入れていた。


「マコトちゃん。明日、君から彼らに声をかけなさい。そうすれば、運命は動き出すでしょう」


 なんて、どこぞの教祖か詐欺師かというようなことをさらりと言ってのける。だが、優の術中に落ちた真琴と佐伯は、ただ彼の言葉にうんうん頷くばかりだった。


 しかし、そんな優に一人、耐性のある麗は、


「――何タラそうとしているのよ」


 と、胡散臭げだった。

 その冷たい視線を受けても動じず、「別にタラそうとしてるわけじゃないよ」と優は微笑む。


「ただ、マコトちゃんが彼らと仲良くなったら、邪魔者が一人減るな、と思って」


 そう言って、にっこり笑う聖者のごとき表情の裏に、深淵を覗いた気がして、麗はぞっとしたのだった。


「――マコト、だめよ。この男の話を聞いてはダメ。正気に戻りなさい」


 ペチペチと頬を叩かれて、ぼうっとしていた真琴の目に生気が戻る。


「――はっ!私は何を……」


「……チッ。もう少しだったのに」


 吐き捨てるように言われた優の言葉は、彼にとっては幸いなことに、誰にも拾われることはなかった。


「マコト。こんなところで無駄な時間を食ってないで、行くわよ」


 麗はそう言って、真琴の手を引いて当初の目的のかき氷へと歩いて行ったのだった。



 その素直について行く真琴を見て、優は今日はこれくらいにしておこうと思った。いくら邪魔者とは言え、一気に追い詰めて、麗に警戒されてもいけない。それに、これだけ単純なら、いくらでもやりようはある、と薄く笑うのだった。

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