1.デファクト・スタンダード 4

 雑多な食べ物の匂いと、学年関係なく入り乱れる学生たち。食堂は、待ち望んだご飯にやっとありつける喜びに満ちた学生たちで、盛況だった。


 そんな学食の隅、目立たないところに麗はいた。


 体育が終わって、昼休み。せっかくだからと、二人はお昼ご飯を一緒にする約束をしたのだ。


「ウララちゃん、ごめん、お待たせ」


 真琴が日替わり定食を載せたトレイとともに、麗のいる席へ近づいていく。

 お互い、体操服をロッカーに片付けに行ったので、ロッカーの場所が遠い真琴が麗を待たせる形になってしまった。


「急いで来たの?また汗、かいてるわよ」


 麗の前には、野菜メインの小鉢がいくつか載ったトレイが置かれていた。麗は、肉付きのいい体を気にして、いつもローカロリーのメニューしか食べないのだ。

 彼女はそれに手もつけずに、真琴を待っていてくれた。


「工業科のロッカー、遠いんだよ〜」


 真琴が文句を言いながら、ツナギの袖で汗を拭う。それでなくても、長袖のツナギこんなものを着ているので、汗をかきやすい。と、そこに、横から声をかけられた。


「なんだ、マコト。こんな所にいたのか」


 うげっ!と言う悲鳴は、すんでのところで飲み込めた。

 凍ったままの笑顔で声のした方を見ると、勇吾をはじめとするクロウニーの面々がトレイ片手に立っていた。


 麗が片眉を上げて真琴と勇吾を見比べる。


「いつもここで食べているのか?」


 そう言いながら、真琴達と同じテーブルに座ろうとする勇吾。すでにチラチラと、女子からの視線を感じている真琴は、内心あせっていた。


「いや、ここは……」

「なんだ?空いてるじゃないか」


 真琴は麗を見ると、目線で、ゴメンと謝った。それを受けて、しょうがないわよと返してくる麗。その優しさに、せめて麗を巻き込まないようにと、真琴は移動を提案した。


「みんなで食べるんだったら、日当たりのいい外行かない?」

「暑いだろ」

「正気?マコトちゃん」


 ……確かに、夏の近づくこの時期に、外で食べようと言う提案は、不自然だったか。でも、大人数で座れるところなんて、そうそう空いていないのだ。

 そんなことをしながら、ぐずぐずしていたので、目立ったのだろう。女子以外からも好奇の視線が送られてくる。


 どうしていいかわからずに麗を見ると、彼女は諦めて立ち上がった。ごちゃごちゃやっているより、彼女が移動したほうが早いと判断したのだろう。


「マコト。構わないわよ。ここ、皆で……」

「……あのっ!彼女、僕の友達なんですけど、何かありましたか?」


 麗は、最後まで言えなかった。立ち上がった麗を庇うように割り込んでくる一つの影に中断されたからだ。


 中断したのは、普通科の制服を着た優男イケメンだった。優男は、綺麗な顔を緊張で強張らせながら、それでもしっかり勇吾をにらんでいた。


「……あ?」「は?」「おぉ?」


 突然の闖入者ちんにゅうしゃに、警戒するクロウニーのメンバー達。ガチャガチャと音を立ててトレイが置かれる。皆が反射的に臨戦態勢に入り、その場の緊張感が、一気に高まった。


「――なんだ、お前は」


 勇吾が突然の闖入者と真琴の間に割り込んでくる。

 優男は、勇吾と対峙しても、引けを取らない身長をしていた。そして、アイドルもかくやと言うおもてを威勢よく上げて、勇吾を睨みつける。


「あの、を大勢で取り囲むのはどうかと思います!」

「はあ!?」


 その場にいた、優男以外が驚きの声を上げる。


「ナンパだったら、よそでぐぇっ……!」


 全部を言わせず、麗が優男の制服の襟首を後ろから締め上げた。


「ちょ、苦しいよ!?ウララちゃん!」

「バカな勘違いをするからよ」


 そう言って、はぁぁ、と大げさにため息をつく。


「別に、絡まれてたわけじゃないわ。あと、こちら。私の友人のマコト。れっきとした、工業科一年のよ」


 麗の言葉に、えっ、と優男は声を上げると、彼女と真琴とクロウニーのメンバーを順番に見た。麗は呆れ、真琴はバツが悪そうに身を縮め、クロウニーのメンバーは先ほどの殺気を消していた。

 自分の勘違いに気がついたのだろう。ハンサムな顔が、赤くなった後、さああっと青くなる。


「うわぁ、ごめんなさい。僕、てっきり……!」

「『てっきり』、なぁに?からんでるとでも思ったの?やぁね、人を見かけで判断するなんて」


 工業科の面々に向けて頭を下げる優男を、ここぞとばかりに責める麗。


「うっ、そう取られても仕方のない行動をしたけど……」

「いつも見かけで判断されて、嫌がってるのにね?」

「いや、ウララちゃんが困ってると思ったから……」

「友達とおしゃべりしているだけなのに、困る人がどこにいて?」

「や、ウララちゃんにこんな友達がいるとは気付かず……」

「どうして、私の友人関係を全てあなたに把握されてなくちゃダメなのかしら」


「〜〜!もういい!もういいよ!ウララちゃん!」

「――その辺でやめてやれ」

「……そこまでいうことないだろ!?」


 スパスパと言葉の刃で切りまくる麗を止める、真琴と勇吾と眼鏡の男。


 ――ん?眼鏡の男?


「え、誰?」

「あら、佐伯君。出て来るのが遅かったじゃないの」


 眼鏡の男、佐伯も麗の知り合いらしい。優男を麗の口撃から守るように抱きしめていた。


「ちょっと目を離したと思ったら、何いじめてるんだ」

「あら、いじめていたのは水瀬君の方よ」

「どこをどう見ても、いじめてたのはお前だろ!?なぁ!?」


 佐伯は賛同を得るように周りを見渡した。


 目が合った真琴と勇吾は、戸惑ったように顔を見合わせた。確かに、あの瞬間だけを切り取れば、麗がいじめていたように見えたが、それは真琴たちを思いやってのことと言えなくもなかったからだった。

 なんと説明しようか、と思案していると、横から和也がおずおずと提案した。


「あのさ〜、とりあえず、座んね?」


 その声に周りを見渡すと、この異様な集団は、食堂の視線をかなり集めていたのだった。


◇◇◇


 優男は水瀬みなせすぐる、後から来た眼鏡は佐伯さえき貴文たかふみと名乗った。

 どちらも、麗と同じ普通科特技コースに所属しているらしい。


「あ〜、やっぱり?キレイな顔してるもんね」


 そう和也が言うと、優は困ったように微笑んだ。


「いや、僕は別に芸能関係の仕事をしてるから、特技コースにいるわけじゃないんです」

「あ、そうなの?じゃ、スポーツ関係?」

「いや、あの、家の事情で、毎日学校に通うのが困難なので……」


 そう言葉をにごす優に、聞かれたくないことだと察せられて、それ以上の質問ははばかられた。


「じゃ、ウララちゃんと一緒だね」


 と真琴が気楽にフォローを入れると、優は嬉しそうに「そうなんだ」と微笑んだ。


「嫌だわ。一緒にしないで。そのせいで懐かれて迷惑してるんだから」


 その優の横で、サラダを突きながら、麗がきっぱりと言う。そう言われた優は、なぜか若干嬉しそうだった。


 優の勘違いのせいで周りを騒がせた一行は、とりあえず手近な席に座り、各々昼食にありついていた。


 騒いでいたことによる注目はいつの間にか消えていたが、クロウニーといるせいか、アイドルもかくやという優といるせいか、真琴と麗に対する女子からの視線は全く消えそうになかった。


 それに気づいているのかいないのか、初対面だと言うのに、男達の話ははずんでいた。


「皆さん、いい体されてますよね。スポーツか何かされてるんですか?」

「ヤダな〜、スグルちゃん。タメ口でいいって」

「ス、『スグルちゃん』!?」


 和也が持ち前のコミュニケーション能力の高さを発揮してそう言うと、何故か佐伯の方が反応した。

 一方の優は、嬉しそうに瞳をキラキラさせていた。


「いいんですか?いや……、いいの?」

「お〜、俺たち、タメ口以外、使えねーしさ。な、ユーゴ」

「そうだな」

「わ〜、嬉しいかも。僕、そういう男友達、今までいなかったから……」


 そう言って、優は本当に嬉しそうにはにかんだ。優がはにかむと、周囲にぶわっと花が咲く。

 そのはにかみ光線を浴びて、工業科の面々は「おぉ」と軽く声を上げた。何だ、このかわいい生き物は。本当に同じ男子高校生だろうか。


 「そういう男友達」に入れてもらえなかった佐伯を置いて、彼らの話は進んでいく。


「え〜、この後、サッカーするの?」

「そ。スグルちゃんも来る?」

「あ〜、うん。どうしよっかな。……ウララちゃん、見に来る?」


 そこで声をかけるべきは佐伯ではないかと思われたが、優は麗に訊ねた。


「は?何で私が見に行かないといけないの」

「来てくれると、嬉しいな〜と思って」


「嫌」


 一刀両断する麗を見て、勇吾が真琴に小声で聞いた。


「この女は、お前にもこうなのか?」

「ううん。これに比べたら、めっちゃ優しい」

「……『これに比べたら』?それは……」

「そこ、聞こえてるわよ」


 こそこそと話す二人に、若干柔らかくした麗の声が飛んでくる。それでも、何故か二人は母親に叱られた子供のように、背筋がしゃんと伸びたのだった。


「なぁに?スグルちゃん。めっちゃラブじゃん」


 和也のからかうような声に、対照的な表情を返す二人。


「えへへ。でも、ウララちゃん、なかなかつれなくて」

「『ラブ』なんて、そんな単純なものじゃないわよ。一方的にしたわれて、いい迷惑だわ」


 その麗の辛辣しんらつな言葉に男達が反応するより早く、真琴が「わかる」と声を上げた。


「ウララちゃん、その気持ち、めっちゃわかる。相手がイケメンであればあるほど、迷惑じゃない?」

「――っ‼そう!そうなのよ!わかってくれる?」


 真琴は立ち上がると、向かいにいる麗に右手を差し出した。その右手をがっしり掴む麗。

 わかる、語れるという真琴に、麗は語りましょうと頬を紅潮させて頷いた。


「……でも、好意を寄せられるって、嬉しことだろう?」


 今まで黙っていた佐伯が、優を助けるためか、そんな主張をした。その主張に、それ以外の男達は無言で賛成する。彼らの中に、惚れることが迷惑になるという図式はなかった。それが、優のようなイケメンであれば、なおさらである。


 だが、麗はその主張をきっぱりとねつけた。


「常識の範囲内ならね?でも、水瀬君のは、はっきり言わせて貰えば、ストーカーだわ」

「いやぁ、そんな。ストーカーだなんて」


 そう否定する優に、男達も、「何を大袈裟な」と共感する。だが、続けられた優の言葉に、男達は凍りついた。


「――僕、まだウララちゃんの家も知らないし」


 好きな人の家を知っていて、当然。知らないことを恥ずかしいことのように言う優を見て、ようやく男達も違和感を抱く。


「迷惑なのか?――スグル。好きな相手に迷惑をかけるのはよくないぞ」


 前半は麗に、後半は優に向けて、勇吾は至極しごくまっとうなことを言った。


「うん。だから、普段はあまり声をかけないで、見守ってるんだけど。今日は麗ちゃんのピンチだと思っちゃったから、我慢できなくて」


 そう言ってぽっと頬を染めて、恥じらう優の言葉の通じなさに、ようやく男達は、麗の言う「迷惑」の一端がわかったような気がした。

 「そう言うことじゃなくね?」と言う和也の言葉の意味が、本当にわからないのか、キョトンとした顔で「どう言うこと?」と優は聞き返した。


 麗も佐伯も慣れているのか、澄ました顔で食事を続けている。そして、麗は話にならないでしょ?と呟くと、食べ終わったなら、行きましょうと真琴を促した。


「あ、ウララちゃん。僕も――」


 そう言って、立ち上がろうとした優を、思わず和也は引き止めていた。なんとなく、このまま行かせたらヤバい気がしたのだ。


「いやいやいや。スグルちゃん!今日はオレ達とサッカーしようぜ!」

「え〜、でも……」


 そう言って、去っていく麗を未練がましく見つめる。だが、麗は真琴を従えて、振り返ることなく食堂を出て行った。



「……あの子、ササハラマコトって言ったっけ。どこで友達になったんだろう。気が付かなかったな……」


 麗が消えた扉を見ながら、優はぼそりと呟いた。

 佐伯の、女同士だ、気にするんじゃない、と言う言葉に反応せず、優は和也に訊ねた。


「……ねぇ、君たちって、さっきのマコトちゃんと一緒のクラスなんだよね?どんな子?出身はどこ?仲いい友達は誰?どうやってウララちゃんと友達になったか、知ってる?」


 矢継やつばやに質問を繰り出す優の、その、表情の消えた顔に、和也はゾッとしてしまった。


「え……?あ……、」


 和也は誤魔化すようにへラリとした笑いを浮かべるが、その額からは一筋の汗が流れ落ちていた。頭の中に、警報アラームが鳴り響く。本能的に、真琴の情報を伝えてはいけないことはわかったが、どうごまかしていいか、とっさに言葉が出てこなかった。


 と、そんな和也の肩に、熱い手が置かれ、はっとする。


「大丈夫だ。マコトはお前の敵にはならない」


 あおぐと、勇吾だった。穏やかだが、有無を言わせない強い視線で、優を見つめていた。


「……そうかな。僕はそう思わないけど?」

「俺はそう思う。……俺がそう、ならせない」

「ふうん?」


 だから、真琴に関わるな、という勇吾を値踏みするような視線で見つめる優。そこには先ほどまでのふわふわした優しげな雰囲気は一切見られなかった。


 と、その不穏な空気を吹き飛ばすかのように、長谷川が一際、大きな声で、よっしゃー、食べ終わったぜ!と叫んだ。それにつられるように、次々と、声が上がる。


「ごちそうさま!」

「あ〜、食った食った」

「サッカー行こうぜ、サッカー!」


 その明るい声に、呪縛の溶けた和也は、いつもの調子を取り戻して、優に声をかけたのだった。


「!おお、そうだな、サッカーだ。スグルちゃん、行こうぜ!」


 優は勇吾を一瞥すると、出会った時のような誰にも警戒心を抱かせない微笑みをたたえて、和也に向き直った。


「僕、あんまり上手じゃないから、ハンデくれる?」

「っ、……おー、ハンデか。高いぜ?」

「え〜、困る〜」


 そんな会話をする優からは、先ほどの不穏な気配は一切なかった。むしろ、先ほどあれだけ本能がアラームを鳴らしていたのに、今の優を見ていると自分の本能が間違っていたのではないかとすら思えた。


「じゃ、僕、ユーゴと一緒のチームがいいな」

「いいけど、ユーゴ、下手だぜ?」

「え〜、そうなの?見えな〜い」


 そんな話をしながら、食器を返した彼らは、グラウンドへとなだれ込んで行ったのだった。

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