1.デファクト・スタンダード 1

 清風高等学校は、普通科だけでなく、工業、商業など職業教育を主とする学科も設置された高校だ。それゆえ、科ごとにかなり違いが出て来る。ちなみに工業科といえば、例年、不良っぽい学生が多いのだが、今年の一年は今までに輪をかけてそんな学生であふれていた。


 そんな工業科の学生達が、夏の気配を感じるこの時期に一つの教室に詰め込まれたら、どうなるか。「むさ苦しい」の一言に尽きる。


 そんなむさ苦しい男達の中で、一際目立つのが市ヶ谷いちがや勇吾ゆうごであった。


 180cmを超える長身と、服の上からでもわかるきたえ抜かれた筋肉。昨夜の雰囲気もそのままに、服だけが学校指定のツナギに変わっていた。だが、そのツナギも、既に魔改造され、背中にはクロウニーのロゴがでかでかとプリントされていた。


「ユーゴ、今日はどうする?」


 お揃いのクロウニーのツナギを着た和也が、放課後の予定を勇吾に訊ねた。勇吾が考えをまとめている間にも、周りからメシだとか、ゲーセンだとか、色々な意見が聞こえて来る。

 とりあえず、コンビニでアイス食いてぇ、という声に、


「そう言えば、駅前に新しいかき氷屋ができてたよな」


 と、勇吾がつぶやいた。

 その呟きを聞いて、周りの男たちが一瞬固まる。

 勇吾が言っているかき氷屋とは、おしゃれなかき氷屋で、連日、女子が行列をなしているような店だ。そんなところに行くのか?このメンツで?と、誰もが思った。口には出さなかったが。

 勇吾の意見に微妙な空気になりつつも、とりあえず移動だけでもしようとしている男達に声がかかった。


「市ヶ谷くん。」


 ――男たちの動きが止まる。


 こちらに向けて「くん」と呼ばれているので、このうちの中の誰かなのだろうが、そう呼ばれる人物に心当たりのない男達は顔を見合わせた。


 そんな中、勇吾が、

「なんだ」

 と、返事する。


 勇吾の視線の先、声をかけてきたのは、同じく学校指定のツナギを着た女子生徒だった。肩までの黒髪を無造作にまとめ、眼鏡をかけている彼女は、このクラス唯一の女子だった。男達同様、学校内では常にツナギ(未改造)を着ているので、ともすればクラスに女子がいることを忘れてしまいそうになる。

 和也的には、あれは女子とはカウントできねーよ、とのことらしい。

 周りが、ユーゴの名字って、市ヶ谷だったっけ、忘れてたわ、などと騒ぐ中、その女子生徒は顔色一つ変えずに、勇吾と対峙した。


「あのさ、ほんっと余計なお世話だと思うんだけど、」


 そう言って、言いにくそうに眼鏡のつるを押し上げた。


「……勉強した方がよくない?」

「……勉強って、何の」

「何のって、期末」

「…………」

「…………」


 沈黙が二人の間に落ちる。それで、女子生徒は、勇吾がピンと来ていないことを悟ったのだろう。呆れたような表情を浮かべ、ため息をついた。


「え〜っと、副委員長?」

「笹原です。笹原ささはら真琴まこと


 和也が助け舟を出そうと呼びかけると、その女生徒は斬りつけるように名前を名乗った。


「ササハラマコト……」


 漢字すら思い出せずに、胡乱に呟く勇吾に、いよいよ真琴は呆れていることを隠そうともしなかった。


「あのさぁ、前の委員会の後、きみちゃん担任に言われてたよね?期末で赤取るとヤバイって」


 そう言われて、勇吾はようやく、あぁ、あの事か、とおぼろげな記憶が思い浮かんだ。

 前回の委員会の後、担任に呼び止められて、そんな話をした……ような……、気が、しなくもない?


 だいぶ記憶が怪しいということが伝わったのだろう。真琴がフォローを入れた。


「えーっと、市ヶ谷くんって、中間、赤点あったんだよね?それ、期末でも赤点だったら、夏休み補習だよ?」

「「「夏休み補習!?」」」


 真琴の言葉に、勇吾ではなく、周りの男達が反応した。


「それってユーゴだけ?」

「ううん。中間期末と両方赤点だった人対象」

「げっ、マジ?俺、赤ある!」

「俺も!」


 男達から、次々と声が上がる。皆、勇吾につられて学校に来てはいるものの、来ているだけということが多い。しかも、そもそも勉強が好きではないのだ。次々と赤点を申告する声が上がる。

 彼らは、衝撃の新事実!とでもいうように大騒ぎしていたが、このことは既に先週、きみちゃんから通告されていた。


 大騒ぎする男達を尻目に、真琴は淡々と続けた。


「それにさ、夏休みの補習もそうなんだけど、あんまり赤点多いと、進級できなくなっちゃうよ?この学校、普通に留年とかあるからね」


 そんな遠い将来のことが、ピンと来ていない男達に、真琴は丁寧にも追い討ちをかけた。


「……市ヶ谷くん、みんなのリーダーなんでしょ?このままだと、市ヶ谷くんだけ留年して、他の人は二年になるけど……、それでいいの?」


 その時の、男達の衝撃は如何いかほどだったのだろうか。真琴は、彼らの背後に雷が落ちたのが見えたような気さえした。

 そして、そこまで言われてようやく、勇吾は自分のヤバさに気がついた。


 留年し、後輩達とともに一年の部屋にいる自分を、遠くからクロウニーのメンバーが見守る……。そんな将来を想像し、勇吾は自分の胸がきゅーんと締め付けられるのを感じた。

 二年の教室で談笑しているメンバー達が、笑顔で遠ざかって行く。待ってくれ、俺も行く、と追いすがろうとしたが、その声は二年の教室までは届かなかった。


 そこまで想像した勇吾が、涙目で和也にすがった。


「カズヤ、俺、二年になれないのか!?」

「ンなわけないだろ!何とかなるって!」


 和也が慌てて叫んだ。それを皮切りに、周りの男達も口々になぐさめる。


「そうだぞ、ユーゴ。お前一人置いて行かねーよ!」

「俺達はいつも一緒だ!」

「お、お前達……!」


 勇吾は、180センチを超える巨体を屈めて、目に感動の涙をためてウルウルしている。ゴリラとも言える巨漢が、ウルウルしている図というのは、かなりクるものがあったが、周りの男達は気にしていないようだった。それどころか、リーダーである勇吾に頼られて、嬉しそうですらあった。


 うるわしき友情劇場が目の前で繰り広げられる中、真琴は一人冷静に、これって全員留年フラグじゃね?と考えていた。どうでもいいので、突っ込まなかったが。


「……で、ユーゴ。お前、何が赤だったんだ?」


 和也の言葉に、さっきまでウルウルしていた勇吾の視線が、ふいっとらされる。その様子に、和也だけでなく、周りにいた全員が胸騒ぎを覚えた。


「ユーゴ?いくつだ?」


 和也は、目線をそらし続ける勇吾の頬を両手で挟んで、無理矢理、自分の方を向かせた。そして、強引に視線を合わせたまま、優しい声で訊ねた。


「いくつだ?一つ?」


 答えない勇吾に代わり、真琴が、一つくらいできみちゃんはあんなこと言わないよ、と注釈を入れた。


「二つ?」


 勇気付けようとしたのか、それなら俺と一緒だぜ、という長谷川の声に、勇吾は反応しなかった。


「三つ……?」


 力なく、勇吾の首が振られる。そして、観念したのか、無言のまま指で数字を示した。その数……、


「ほとんどじゃねーか!」


 うわぁと、絶望とも諦念とも受け取れるため息が周囲から漏れる。そんな中、真琴は薄々感づいていたのか、当然というように勇吾を見ていた。


「マジか……」

「何をやってるんだ、ユーゴ」

「いや、むしろ何もやってねーのか」

「ちょ、俺だってもうちょっとマシだぜ」

「何とかナンねーのかよ」


 さっきまで温かかった男達が、口々に呆れたような声を出す。

 男達が一気に手の平を返したのには、訳があった。

 この工業科における一般科目のレベルはそんなに高くない。勉強が嫌いだとはいえ、中間テスト前に、ある程度勉強しただけで、ほとんどの者が、ギリギリ赤点を免れられたのだ。

 そんなテストで、ほとんどが赤点だっただと……⁉︎


 皆が絶句する中、いち早く復活したのは、和也だった。暗い雰囲気を吹き飛ばそうと、殊更ことさら、明るい声を出す。


「いや、今から勉強すれば、何とかなるはずだ!」


 和也は、力強く言い切った。それは勇吾に、というより、自分に言い聞かせるためだったのかもしれない。


「俺は数学なら、教えられる。時間はまだある。やろうぜ!ユーゴ!」

「カズヤ……!」


 その時、勇吾の目には和也から後光が差して見えた。絶望のふちにあってなお、希望を見出すその姿は、神々しくさえあった。


「俺も、理系科目ならいけるぜ」

「ハセ……!」


 和也につられて、長谷川も立候補する。その頼もしい姿に、勇吾は感動した。あぁ、なんていい友達を持ったのだろうか。

 だが、感動はそこまでだった。この勢いで次に立候補するものを待ったが、返ってきたのは沈黙だけだった。


「他に、誰か教えられる奴はいねーのか?」

「…………」


 和也の問いかけに、さっと目をそらすメンバー達。

 彼等は、自分の勉強もままならないのだ。当然、人に教えられる訳がない。むしろ、自分たちも誰かに教えてもらわなければ、期末で赤点を取る可能性が十二分にあった。


 その沈黙の意味を正確に理解し、勇吾が泣き崩れた。


「俺は、夏休みもなければ、二年にも上がれないのか……!」

「ユーゴ……!」


 そう言って、男達は男泣きに泣くのであった。


◇◇◇


 茶番だ。完全に茶番である。


 男泣きに泣く男達の輪の外から、この一連の流れを見ていた真琴がため息をついた。もう、いっその事、帰ってやろうかとも思ったが、帰れない訳が彼女にあった。

 彼女は、苦々しい胸中を隠しながら、申し出た。


「あのさ、私でよかったら、教えるけど?」


 その一言で、男達の嗚咽が止まった。注目が彼女に集まる。それを眼鏡越しに受け止めながら、彼女は平然と続けた。


「あぁ、勘違いしないで?私はきみちゃんに頼まれただけだから」


 いかつい男達の視線を一身に集めながら、彼女に怯んだ様子は見られなかった。男達の中に、女一人なのだ。これくらいの図太さがないとやっていけないのかもしれない。

 そして、その図太さをきみちゃんに見込まれたのだ。



 きみちゃんはこのクラスの担任である。若く、話が通じる男性教員のため、皆から「ちゃん」付けされて親しまれている。

 そのきみちゃんは新婚ホヤホヤで、ラブラブだった。隙あらば、会話の中に奥さんの惚気のろけを挟んでくるほどに。しかし、教育熱心なきみちゃんは、普段奥さんを十分構えないらしい。(惚気を聞く限り、十分構っていると思われたが。)

 そんなきみちゃんは、寂しくさせている負い目から、夏休みに奥さんとラブラブいちゃいちゃする約束をしたのだそうだ。


 つまり、きみちゃんは、夏休み、バカどもに構っている暇がない、という訳である。


 そこで、クラス一、成績がいい真琴に、白羽の矢が立ったのだ。

 確かに、きみちゃんの事情はわかる。仕事熱心で、面倒見が良く、プライベートを削ることもいとわない。きみちゃんのそんな姿勢に、真琴も好感を持っていたので、できるなら助けてあげたかった。


 が。が、である。


 こればっかりは無理な相談だった。


 真琴は入学式の日、クラスメイトがいかつい奴らばかりなのを見て、三年間、できるだけ彼等と接点を作らず、やりすごそうと決めていたからだ。力も、友達もいない真琴が取れる、唯一の自衛手段である。

 真琴は、そのことをきみちゃんに伝え、丁重に断ったが、きみちゃんのほうが一枚上手だった。


 真琴が、工業高校からの大学進学を視野に入れていることを知っているきみちゃんは、内申点というカードをチラつかせたのだ。これは、真琴には無視できないカードだった。


「いや、引き受けなかったからって、評価は落とさないよ?そこはもちろん安心してよ〜。でも、引き受けてくれたら、内申とか、推薦書とか?そういうのに書けるよな〜、って思っちゃったり?『面倒見が良く、クラス内で率先して勉強会を開いて、学力向上に努めていました』とか?書いてあったら良くね?」


 良くね?と、きみちゃんに重ねて問われて、真琴は頷くしかなかった。

 頷いた真琴に、いや〜、ありがとう!意外とお前はふてぶてしいから、大丈夫だって!と余計な一言を投げかけて、きみちゃんはにこにこ笑った。



 その笑顔を思い出すにつけ、真琴の中に殺意が生まれる。

 だが、そんなことを知らない男達は、期待に満ちた目で、真琴を見ていた。


「……本当か、え〜っと……」

「笹原だよ、笹原真琴」


 さっき、自己紹介をしたにもかかわらず、速攻忘れた勇吾に、そっと和也がささやいた。


「そうだ、マコト!本当に教えてくれるのか!?」


 勇吾がガバッと真琴の手を取って、期待に満ちた目で訊ねた。


「……まぁ、ちゃんと勉強するっていうなら」


 やる気のない奴に教えるほど、真琴も暇ではない。そう言うと、勇吾は勢い込んで、

「するする、ちゃんと勉強する!」

 と言った。


 キラキラと目を輝かせるその様子が意外にもかわいくて、真琴は眼鏡の奥で微笑んだ。そして、少し、ほんの少し、仏心を出してしまった。

 頑張る奴の手助けをするのは嫌いじゃない、夏休みまででいいから、頑張ろうと励ましてしまったのだ。


 何の気なく発した言葉だったが、勇吾はいたく感激したのか、ありがとう、マコト!と叫んで抱きついてきた。


 ……かわいいなんて思ったのは間違いだった。

 こいつは熊を倒したとかいう噂も持つ男である。

 そんな体力おばけにぎゅうぎゅう抱きしめられて、真琴は一瞬、三途の川が見えたのだった。


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