第12話「秘密のヴァンパイア(下)」

 葛葉先輩に言われて気が付いた。

 いつの間にか……私は泣いていた。


「お前、泣いてるぞ」

 二回目。固まっていた私に反応したのか葛葉先輩がまたも、忠告を入れる。


「泣いてません!」

 泣いてることを自覚こそしたが反発してみせる。

 頭を振り回したせいで、先輩は一度銃を引っ込めてしまう。


「いや、泣いてるけど」

「決めつけないでください!」

 否定しないといけない。

 否定しなくては……揺らぐ。いつも通りのノリに戻されてしまったら、またいつもの日々の展開みたいに誤魔化されそうで……私が揺らいでしまう。


 何度も泣いていないと口にする。

 だが、それとは裏腹に私の目からは次々と涙が溢れ続ける。


「……覚悟決めた癖して、その程度かよ」

 先輩の言葉。

「!」

 私はその言葉に反応を示してしまった。

 気づいていた。この男は私のしようとしていた事に気付いていた……私がなぜ、先輩を呼びつけて、こんな無意味な事をしようとしたのか。その理由を最初から悟っていたのだ。


 何処か悔しい気持ちでいっぱいになる。

 また、自分は先輩の手の平で踊らされていたのかと悔しい気持ちでいっぱいになる。


「……お前がそれを望むなら、俺は容赦しない。そういう話だからな」

 もしも私が人間へ害を与える存在になるのだとしたら、その時は容赦なく排除する。それが怪物ハンターとしての彼の責務であり、当然の事である。


 そうだ、それでいい。

 この街を守るヒーローとして、脅威となるであろう私をすぐさま駆逐してくれ。誰だろうと噛み千切りたくて仕方ないと欲望を剥き出す顔面を吹っ飛ばしてくれ。


 この男にならそれが出来る。怪物に対して何の躊躇もない一面を見せていた、あの怪物ハンターにならそれが出来る。


 だから頼む。

 その冷酷な眼差しのまま、私を葬り去ってくれ。


「……俺は人間を殺せない」

 先輩は銃をまたも引っ込める。


「怪物ハンターが殺すのは怪物だけだ。だから、今のお前に銃を向ける資格が俺にはない」


「……この期に及んで何を言ってるんですか」

 

 表情一つ変えずに呑気な事を言い出した葛葉先輩に私は激昂する。

 私が欲しいのはそういう優しさではない。そんな無意味な情に付き合う時間はない。私の体は刻一刻として、完全なる吸血鬼として意識を乗っ取られつつある。


「私は怪物ですよ。今、こうして怪物ハンターである貴方を殺そうとしている」

「その割には殺意が中途半端だって言ったんだ。二度も言わせるな、お前」


 殺意の先にある本当の意思をこの先輩は見抜いている。

 その気持ちは正直嬉しくないわけではない……でも違う。

 

「こうして隙を見せているのに襲ってこない。殺す気ないだろ、お前」

 この状況であろうと拳銃一つ見せようとしない赴き。こちらを油断させてくれている寸断なのかと思ったが違う。

 殺意を感じないから拳銃を取り出さないだけ。殺す気は全くないと気付いているから、やらないだけ。


「……だったら、今から襲えば、貴方は私を殺すんですか?」

「ああ、その牙が俺の肌に触れた途端に……お前は敵でしかない」

 怪物ハンターとしての言葉を彼は吐く。


「そうですか……じゃあ」

 そんな簡単な事でいいのか。そうするだけで私は死ぬことが出来るのか。

 先輩から提示してくれた処刑の条件。それを口にしてくれた先輩に何処か感謝を浮かべながら私は再び牙を首元へと近づける。


 牙が触れるだけでいい。血は吸わない。



 ……そうなれば、すべて終わりだ。私の想いのままだ。

 私は先輩へとさらに距離を近づけた。





 直後。

 頬を叩く音が響く。


「……っ!」


 私は、先輩の首を噛むことが出来なかった。

 その手前……私は、全開の力で先輩から頬をはたかれた。


 

 突然の出来事に私は意識と思考を止めている。頬が真っ赤に染まり痛みを伴っているが、私はそんな頬に手を触れる余裕さえない。

 ピタリと止まった体。今も尚、動き続けているのは、私の意思に反して涙を流し続けている脆い瞳だけだ。


「……お前の気持ちを聞かせろ」

 先輩は重い口を開く。


「お前の気持ちもわからずに中途半端なまま……。そんな状態で引き金なんて引けるか……!!」

 友達を殺す。慕ってくれる可愛い後輩を殺す。

 例え化け物であろうとそれは変わらない。先輩は一人の友人として、私を可愛い後輩として……人間の仲間として向き合ってくれている。


「お前の望んだことだ。俺は付き合ってやるつもりでいる。苦しい事、悲しい事……全部言え」

 先輩が私へ近づいて来る。


「……怖くないのか。死ぬのは」

「怖くないですよ」

「本当にそうか」

「はい」

「神に誓えるか?」

「くどいですよ」


 終わらない質問攻め。



 先輩の声を聴くたびに、私の心が揺らいでいく。



「言ったはずだろ、本当の事を正直に言えって言ってるんだ……!! お前の嘘は分かりやすすぎる……!!」


 先輩は胸に手を当て、必死に私と向き合ってくれている。


「本当の事を言えッ!!」


 そして、私はついに―――




「……怖いに決まってるじゃないですかッ!!」


 私は叫んでしまう。

 本当の気持ちを。私は先輩の優しさに、真っ向から私と向き合おうとしてくれている先輩の愛情に負けてしまい、とうとう甘えた言葉を先輩にぶつけてしまう。


「だって……死んだら、もう先輩と喋れないし、喧嘩も出来ない」

 また一人ぼっちになる。誰も近くにいない本当の意味での一人ぼっち。

「二度と先輩に会えない……二度と先輩と遊べない……っ!」

 それは本当に怖い。誰も私に関わってくれなくなる永遠の闇が怖い。


「でも、それよりも私は先輩を失望させるのが怖いんです……私を人間だと信じてくれている先輩の気持ちを無駄にしてしまうのが……本当の意味で化け物になってしまうのが、怖いんです……ッ!」


 二つの拳を強く閉じる。

 いつか自分が本物の化け物になる日が来る。そしてそれはそう遠くない日なのだと思っている。今日の吸血衝動もその予兆だと思っている。


 もうすぐ、自分は自分でいられなくなるかもしれない。

 先輩の気持ちを台無しにするその日が来るのが怖いのだと、私は心の中に閉じ込めていた本当の気持ちを彼にぶつけた。


「だから先輩……お願いします。私を助けてください」


 ……こうでもしなければ、きっとこの人は引き金を引いてくれない。

 だから、もう隠すのはやめたのだ。


「私を解放してください……先輩の手で」

 両手を広げ、先輩の気持ちを受け止める準備に入る。

 きっと今までとは比べ物にならない痛みが襲い掛かってくるだろう。一瞬で自分の首は塵となって消えるだろう。その恐ろしさは想像するだけでも恐ろしい。


 でも、怖くない。恐ろしくなんてない。

 こうすることで先輩は自分から解放される。自分も苦しみから解放される。


 私はそっと目を閉じた。

 ……これが、今、私が口に出来る最後のお願いだ。


「私を殺してください。お願いします」


 心からの願い。

 いつも私を可愛がってくれた先輩に出来る、最後のワガママだ。



「……お前の頼み、聞き届けた」

 先輩もようやく分かってくれたようだ。

 本当に優しい先輩だった。こんなワガママで面倒くさい後輩である私を見てくれたのは先輩だけかもしれない。私を大切にしてくれた人がいてくれたという事実があるだけで、私はもう死なんて怖くないし、この人生においても満足だった。


 ……一つだけ後悔があるとすれば、海には行ってみたかった。

 先輩が買ってくれた水着を着てみたかった。海には行きたくないと言い切ったが、泳ぎはしなくとも海には遊びに行ってみたいし、先輩が選んでくれた水着も可愛らしくて気に入っていた。今夜に少しだけ肌に通してみようかと考えるくらいには。


 でも、それを口にしたら、先輩は引き金を引かないと思う。

 だから、この気持ちだけはあの世に持っていく事にしよう。先輩の最後の覚悟を無駄にしない為に。


 もう、言い残すことも何もない。

 私は全ての意識を閉じ、自分の体との別れを告げた。








「ふんっ」

 突きつけられる。


「……!?」

 眉間に銃口ではなく。

 口元に“何かゼリー飲料のパックの飲み口”みたいなものを突き付けられる。


「ふんぬっ」

 ゼリー飲料のパックを勢いよく葛葉先輩は押し潰す。

「うぐぐぐッ!?」

 体の中に何かドロっとした何かが流し込まれていく。それは野菜ジュースにしてはあまりにも濃厚で、苦みというよりは微かな臭みがある。

 しかもその臭さは生き物が腐ったようなそれとは違い、何か鉄臭い。硫黄のような何かを連想させる匂いと共に、私の口の中に謎の液体が流し込まれた。


「ぷはっ!?」

 思わず私は姿勢を退けた。

 もう二度と逃げないと覚悟したはずの体は想定外の出来事に拒否反応を起こす。しかし、回避が間に合わなかったのか、流し込まれた液体を私は飲み込んでしまった。


 “美味いが鉄臭い!”

 口の中では経験したこともないヤバい感触が伝わってくる。


「先輩ッ!? この状況で何を飲ませたっ!?」

 考えられない行動に私は叫ぶ。


「……これ」

 葛葉先輩は拳銃をおろし、左手に持っていたそれを私に向けた。

「それって……」

 そこにあったのはコンビニなどで売っていそうなゼリー飲料でも、飲むアイスなんかでもない。


 “輸血パック”だ。

 誰の血かは分からない。中身の五分の一ほどは無くなっているのを見ると、結構な量の血液を流し込まれたようである。


「先輩、それって」

「俺が無理言って購入したドナー用の輸血」

 先輩は輸血パックを揺らしながら説明する。


「……俺の知り合いに血液関連で困ってる患者がいるって相談した。そしたら、これを譲ってくれたんだよ。相当高値だったけど」

 医療施設にて保存されていたというドナー用の血液。一人の人間を救いたいという思いを伝えた後に輸血パックを受け取ったという。


「収まった?」

「……それは、収まったですけど」

 輸血パックの血は本物の人間の血。吸血鬼としての自分が最も体に求めているドリンクではあった。それを結構な量放り込まれたおかげか、さっきまで抑えていた吸血衝動は一瞬にして引っ込んでしまった。


「……その血はもう誰のものでもない」

 輸血パックを先輩はこちらに投げてくる。

 

「ドナーとして渡された地点でその血の所有権は失っている。それは患者のモノ……人間として苦しんでいるお前のモノだ」

 先輩が口にしたのはあまりにも暴論で我儘な反論。

「だから、それを口にしても誰も文句は言わない。何事もない普通の人間が利用しているんだからな」

 このためだけに医療施設をだまして購入したという複数の輸血パック。

 それを次々と先輩は私に手渡してきた。


 やれることはやった。だから感謝しろ。

 そんなドヤっとした顔つきで、先輩は私を見下ろしていた。


「……全くもう」

 こんなワガママは初めてである。

 ここまでの暴論を聞いてると何か馬鹿らしく思えてしまう。


 ここまで私のために必死に意地になる姿。


「輸血パックを飲む人間が……普通なわけないでしょうに」

 そんなワガママが。

 あらゆる手を使って、たった一人の後輩を助けようとしてくれる先輩のワガママがあまりにも滅茶苦茶過ぎて……私の覚悟を完全に殺してしまった。


 先輩は殺した。

 私の中にいる、“もう一人の私”を殺す為にこのような手を回してくれた。


 どう足掻いても私はただの吸血鬼……しかし、誰にも手をかけない一人の人間として生きる資格を先輩は与えてくれた。

 まあ、輸血パックを定期的に摂取している地点で結局は普通の人間ではないのは自覚している。でもそれを口にしたら、先輩はまたさっきみたいに駄々をこね続けると思う。


 ……参った。

 私はその場で輸血パックを吸い込み始めた。



「海に行く話。ちゃんと考えておけよ」


「……はい!」


 私の横に座った先輩に、今できる最高の返事を返してあげた。



 少しおかしいけど、クールで何を考えているか分からない。

 でも、ここまで後輩を可愛がってくれる馬鹿な先輩。


 私はそんな先輩が好きだ。

 だけど、それを私から口にするのは悔しい気持ちになる……だから、その気持ちだけは悟られない様にと奮闘することにする。

 

 この人生を。

 人間として生きられる人生を。


 私は、先輩のために“人間として”生きようと心に誓ったのだった。




「……たまに吸血衝動が引っ込むことが多かったけど、それはどうしてだろ?」

「俺がお前の飲み物に輸血を混ぜてたから」

「え!?」

「嘘だけど」


 ただ、あと一つワガママがあるとすれば。

 その本当か嘘か分からない冗談は心臓に悪いからやめてくれということだけである。

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