第10話「秘密のヴァンパイア(上)」


 ハンター、葛葉彰ニ告グ。


 コノ通達ハ一度目ニシタ瞬間ニ廃棄スベシ。



 任務ヲ与エル。貴公ノ希望通リ、特例トシテコノ任ヲ与エル。

 外部ニヨル協力ハ後日ベツノ報告書ニテ。


 葛葉彰。

 貴公ニ……吸血ノ怪物、椎葉メリー。

 上記ノ駆除ヲ言イ渡ス。



 コノ書物ハ焼却ニテ抹消セヨ。

 健闘ヲ祈ル。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



『椎葉さーん、宅配便でーす!』

 チャイムの鳴る音、そしてドアを叩く音。

 明かり一つついていない私の部屋に宅配便のお兄さんの声が聞こえてくる。


『椎葉さーん!』

 何度も何度もドアを叩く。留守番という事で荷物預かりになるのが面倒くさいのか入念に部屋のドアを叩いて来る。たぶんだけど、この宅配の人はアルバイトなのかもしれない。


『宅配でーす!』

 何ともうるさい声。学生時代は体育会系の熱血兄貴分だったのだろうか。その声は衰えるどころか余計に大きくなっていく。


 ああ、本当に声がよく響く。元気の良い声がずっと耳に響く。



 “活きのいい美味しそうな男性の声だ”。


 あれだけ活気がいいのなら、きっと流れる血も濃厚で衝動的。マグマのようにドロドロとした熱い血液を宿しているに違いない。きっとそれは、千年以上も前のビンテージもののワインだろうと、有名ブランドが手掛けた最高級のシャンパンだろうと敵いやしない最高の逸品であるに違いない。


『椎葉さーん!』

 吸いたい。そんな男性の血を一滴も残らず飲み尽くしたい。


『宅配ですよー!』

 食べてしまいたい。その肉一つ残らず貪り尽くしてしまいたい。


 食べたい。貪りたい。

 飲み込んでしまいたい……あの男性の血で、この渇いた喉を潤したい。


 火傷しそうだ。焦がれそうだ。その衝動はあまりにも情熱的だ。



 吸いたい、吸いたい……吸イタイ


 吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ

 吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ

 吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ

 吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ

 吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ

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 吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ

 吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ

 吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ吸イタイ


 吸いたい  吸いたい


 ”吸イタイッ!!!”



「うるさい……ッ!!」

 電気一つついていない部屋の中で私は叫ぶ。

 頼むから黙ってくれ。宅配のお兄さんも……私の中にいる“もう一人の私”にも。


 誰の血も吸いたくない。この衝動を必死に我慢しているのだ。だから、頼むからその活きの良い声をずっと玄関先で叫ぶのはやめてくれ。


 近所迷惑もそうだが私にとっても迷惑だ。


 私の中にいる欲望に刺激を与えるのはやめてくれ。これ以上衝動を突き刺すな。

 いつもより余計な枚数の毛布を重ねているベッドの中で私は猫のように丸くなる。耳も両手で必死に塞いで、体も燃え上がらない様にと姿勢を固めることで押さえつける。


 何も聞こえたくない。

 今は人間の声を聴きたくない。人間でありたいが故に、他人の声を聴きたくない。


「なんで、なんで……なんでなんでなんでっ……!!」


 どうして、こんなことになってしまったんだろう。

 私が何か悪い事をしたのか。神様は私にどんな罰を与えたというのか。


「なんで、こうなるの……」


 思い出す。

 数年前の事を……私は思い出す。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 十六年前、私は市内の病院にて産声を上げた。

 体重は女の子の赤ちゃんの平均くらい。元気よく泣き散らすその姿は他の赤ん坊と比べるとちょっと暴れ馬のようであったという。

 

 両親は何処にでもいるような優しいお父さんとお母さんだった。


 お父さんは日本のとある有名企業の中間管理職で有名大学を卒業した本物のエリートだ。会社でも少しばかり評判の高い理想高きビジネスマンであった。

 お母さんはそんなお父さんの会社で働く一人のOLだったという。転勤でお父さんと同じ会社に来たようで、その際、お仕事のプロジェクトが一緒になったことで知り合ったようだ。


 結婚してからお母さんは専業主婦として私の面倒をずっと見てくれた。時折、仕事場のピンチに駆けつけたりするようで、その時には赤ん坊の私も会社に連れてこられ、事務所のお兄さんたちに可愛がられていた。


 幸せな家庭だった。

 ……この頃の私は、“まだ普通の女の子”だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 生まれてから十二年後。私は小学校を卒業し中学生になった。

 私は他の子達と比べると活発で悪戯好き。学校の先生たちも手を焼くほどの問題児として有名で、体育の授業は男子に負けないくらいに運動神経抜群のボーイッシュ女子だった。今と真逆だから、凄く驚く人も多いと思う。

 そう、この頃はまだ普通に外で遊んでいたのである。元気があり余り過ぎてる子と言われ、暇ある時はいつも外で遊んで、いろんな人たちに悪戯を仕掛けていたのだという。


 ……何不自由のない生活を送っていた。

 

 しかし、そんな不自由のない普通の生活に亀裂が入り始めたのは、私が中学生になって数か月後の事であった。



 両親が亡くなったのである。



 双方とも一緒にだ。死亡原因は仕事場へ二人一緒にタクシーへ向かっている途中、携帯電話を見ながら運転していた成人男性の車との衝突事故。当たり方が悪かったのかタクシーは衝突してきた車と電柱に挟まれスクラップに。両親は即死だったという。


 ……最早、人の原形をとどめていない遺体だったという事もあり、焼却もされずに処分されたと聞いた。

 私は、亡骸に別れを告げることも出来なかったのだ。


 葬式で私は遺影を見ながらずっと泣いていた。

 真面目で厳しく、三カ月に一回遊べるかどうかだったけど凄く優しかったお父さん。そして、いつも勉強を家事の合間に教えてくれたお母さん。


 そんな二人が大好きだった。そんな大切な家族が二人同時に亡くなったと聞いた時には最初こそ実感が生まれなかった。ただ、素顔で何の意味も分からなく返事をしただけ。よく分からないまま、葬式会場へ顔を出したのだ。

 両親が死んだという非常事態に体が焦り始めたのは報告を受けてから数分後の事。さっきまで冷めていたエンジンがいきなり火を噴いて私の体を突き動かしたのだ。


 ずっと泣いた。

 葬式が終わった後も、ベッドの中でずっと両親の死を喚いていた……。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 それから数日後。私は施設にて預けられることになった。

 母親が手を回していたという養護施設。母親はそこのオーナーでもあったらしく、天涯孤独の身となった私の面倒を見てくれることになった。


 しっかり勉強して、いきたい高校に向かうといい。高校の入学金くらいは気にしなくてよいというのが母親からの伝言だったという。

 だから私は必死に勉強をした。そして、スポーツ面でも何か私に才能がないのかと色んなスポーツに手を出して、体を磨く日々であった。


 中学生になってから一年が過ぎようとしたある日の事。

 年末年始まであと数か月。冷え込み始めた時期にて私はいつも通り、養護施設の個人用のシャワー室へ足を踏み入れた直後の事だった。


『うっ……!?』

 突然、胸が痛くなった。


『うっ……がぁあああ……!?』

 

 シャワーのお湯を浴びながら、私は必死に胸を押さえた。

 体の中から何かが私を突き上げようとしている。心臓を突き破って、この体から何かが生まれようと暴れまわっている。


 どれだけ姿勢を低くしても、その感覚が引っ込む気配がない。むしろ状況は悪化するのみで体の中で何かが弾けようと熱くなるだけ。

 痛むのは次第に胸だけではなくなっていた。頭痛や眩暈も酷くなり、背中にも火傷のような感覚が襲い掛かる。


『ッ……!?』


 突き破る。

 心臓がガラスのように割れた感覚。体の中から何かが出てきた感覚。


 痛みは和らいでいく。

 ……私はそっと鏡の方へ眼を向ける。


『えっ……』


 何だ。


『ええっ……』


 何なんだ。



『ええっ……ええ……えええ……!?』


 何なのだ、この鏡の前にいる“化け物”は?


 額には血管のようなものが浮き出て、頬には大量の皺。

 そして、ウサギのように真っ赤な瞳に、鋭く尖った牙。


 それだけじゃない。何かが体が突き破ってきたような感覚。

 ……背中に生えた悪魔のような羽。背中は肌を突き破ってきたコレのせいで出血を起こし、羽も出てきてすぐの外の世界に慣れないのか痙攣を起こしている。


『ああっ……あぁああああっ!?』


 恐ろしかった。

 そのあまりの化け様に体が耐えきれず……私は意識を失った。



 この頃だった。

 私が“吸血鬼”になってしまったのは。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 育児施設に通いながらも、私は難なく中学校生活を迎えている。

 ……いや、難なくという言葉は紛れもない誤った表現だろうか。



 外に出られない。体育が出来ない。

 私の体は……外に出ることを拒んでいた。


 ヒソヒソ話が聞こえる。

 ずっと私の耳にヒソヒソ話が聞こえてくる。


”最近、椎葉さんの付き合いが悪い”


 それはどれだけ無視しても耳に入る。


”最近、椎葉さんの様子がおかしい”


 大好きな文庫本でそれを誤魔化そうとしても、聞き逃せない。


”最近、椎葉さんがやつれたような気がした”


 うるさい。うるさい。


”最近、椎葉さん暗くなったよね”

”最近、椎葉さん可愛げがなくなった”

”最近、椎葉さんが生意気のような気がする”

”最近、椎葉さんの事が気に入らなくなった”

”最近……椎葉さんって落ちぶれたよね。何だか知らないけれど”


「うるさい……うるさい……っ!!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 分かるものか。何がわかるものか。

 お前達にこの苦しみが……分かるものか。




”食べてしまいたい”。

”クラスメイト全員の……その無駄に元気の良い血を貪ってしまいたい!”


 こんな悪魔のような囁きが突然頭に響くようになったなんて分かるものか!


 それだけじゃない。最近、体の様子がおかしいんだ!

 

 日光を浴びようとすると体が焼けただれてしまう。

 この体で神社などに近づこうとすると体が苦しくなってしまう。

 牙に不気味な感触がある。爪も今まで以上に伸びるようになっている。


 時折……目の前の世界が鮮血のように真っ赤になる。



 どういうことなのだ。

 これではまるで……怪物。


「いやっ……いやぁっ!!」

 ヴァンパイア。まるで吸血鬼そのものだった。


 日光一つ入らない夜中の時間を狙って下校する私。しかし、その時間になっても街から人だかりは消えやしない。

 それどころか仕事終わりのサラリーマンや肌の綺麗な女性が沢山街に現れる。それに対して体が食事を欲している。


「来ないでっ……来ないでよっ……!!」


 日に日にこの衝動は体に染みついて来る。

 無視をすれば無視をするほど体が焼けてしまいそうになる。いつか自分が自分でなくなるような気がして、苦しい日々が続く。


 頼むから消えてくれ。

 私の前から人間が消えてくれ。


「はぁ……はぁっ……!」

 気が付けば裏山の森の中。

 人がいないところを目指していたら、こんな場所に顔を出していた。


「グルルル……!」

 犬の鳴き声が聞こえる。

 野犬だ。この立ち入り禁止の裏山によく現れるという危険生物だ。


 私は昔から、こういった生物に近寄られる体質だった。動物から下に見られているのか、それとも単に変な匂いがするから警戒しているのだろうか。


 野犬は歯を尖らせ、私を睨みつけている。


「グルァアアッ!!」

 野犬は私に飛びついた。


「……ガァアアアッ!!!」

 その時の私は壊れていたと思っている。記憶一つすら消えてしまうほどに。

 ただ覚えているのは……飛びかかっていた犬に対し、私は欲望の赴くままに牙を立て、”貪り尽くした”ということだけだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 何が原因だったのか。どうして吸血鬼になってしまったのか。それは高校生になってからもずっと分からないままで謎に包まれている。


 日光が苦手となった体の変化。

 大好きだった課外スポーツが何一つ出来なくなってしまった。この体質一つのせいで私は将来の可能性を大きく失ったのだ。


 そこから私の人生は転落する一方だった。

 外の光を浴びたくない一心で引きこもり、吸血鬼だとバレない様に周りとの関わりも全てシャットダウンした。吸血衝動に至っては裏山に隠れている犬やクマなどの野生動物から吸い尽くし誤魔化してきた。


 人間とは思えないおぞましい毎日。

 中学二年生になった頃には、私は家族の繋がりだけでなく、多かった友達も誰一人としていなくなった。


 本当の意味で天涯孤独となったのだ。


 養護施設にも別れを告げ、両親の遺影のみを手に取って、このアパートで身を隠している。

 必要最低限の補助金のみを受け取って、こうして、一人静かに。



「……」

 ある程度頭痛が引っ込み、体の熱さも成りを潜めた。

 私は力を振り絞って、布団から顔を出し充電していた携帯を手に取る。


 ……電話をかける。

 ただ一人。連絡先の登録している人物へと電話をかける。



「……もしもし、先輩ですか」

 その電話の相手は、たった一人の友人。


 葛葉先輩に、私は電話を掛けた。

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