第35話「仲間の力。友の力」
第一章35話「仲間の力。友の力」
太陽は徐々に傾き始め、ただでさえ薄暗い周囲はより一層深みを増している。
地図にも乗らない辺境の村からさらに辺境の地である〝名前のない森〟へ足を踏み入れたコウ、リアエル、チジオラの三人は、手掛りを見落とさないように周囲に気を配りつつ奥を目指す。
[なぁチジオラ。2ドルウルフが子供を隠しそうな場所に心当たりってないのか?]
[そんなものあるはずがなかろう]
ぶっきらぼうに返ってくる返答。ゴブリンの濃い緑色の肌は茂みにも闇にも紛れやすく、こうして適当に話でもしていないと見失ってしまいそうだった。
[本来やつらは、捕らえた獲物はその場で喰らう。しかし同胞の言葉なら信ずるに値する]
[サラッと怖い情報初出しですかい……]
種によっては捕らえた獲物を巣まで持ち帰り、安全な場所で食べるとか、取っておくとか、そういったものがあることを少し期待していたのだが、やはり自然界はそこまで甘いものではないらしい。
弱肉強食の早い者勝ちはどの世界でも共通か。
[けどそれが本当ならおかしいよな]
[うむ。我もこのようなことは初めてだ]
長年ニドルウルフと小競り合いを続けてきたゴブリンですら、今回の誘拐事件は前例がない。
コウの疑問に肯定しながら、草むらをかき分けて手掛かりを探す。
[それに奴やらは特定の住処を持たず、常に縄張り内を転々としている。どこにいるかなど皆目見当も付かん]
つくづく用心深い生き物だ。簡単には足取りを掴ませてくれないくせに、こちらの足取りはわかっているかのように襲ってくる。
まるでスナイパーだ。
超長距離による認識外からの狙撃。ターゲットが完全に油断し、足を止めるその時をただひたすらに待ち続けるタチの悪い殺し屋。
ゲームだったら罵詈雑言を吐き捨てて袋叩きにされるくらいには嫌われる相手。ゲームだから「やられたー悔しい!」で済むが、ここがリアルである以上、やられるのは論外。
それはすなわち『死』を意味する。
[外見的な特徴は?]
コウモリが飛び交い始めた頭上を見上げ、木の上なども念のため確かめておく。
もしかしたらスークライトかサラハナか、木を登って避難しているかもしれないし、ニドルウルフが隠れていないとも限らない。
[貴様と比べても大きい四足歩行の獣だ。強靭な歯牙と体毛を持ち、生半可な攻撃では逆にこちらがやられる]
[マジか……]
名前からしてオオカミのようなので四足歩行なのは予想通りだったが、コウと比べても大きいときたか。
(オオカミなら大きくてもラブラドールくらいのはず。立ち上がれば俺より大きいかもだけど……)
口の中でモゴモゴと独り
そういうことを言っているのではないような気がする。四足歩行の状態、つまり全長ではなく全高でコウより大きいと、そのように聞こえた。
「なにブツブツ言ってるの?」
「聞こえた?」
「少し。大きいとかなんとか」
「相変わらず良い耳をお持ちで」
天使のように可憐な造形をしていながら地獄耳という皮肉の効いたリアエルだけの長所に肩を竦めた。
その長所のおかげでスカイダイビングから助かったし、村の異変にもすぐに気づけた。〝風の噂〟による聴覚強化があれば、暗い森の中でもいち早く危険を察知できるだろう。頼もしい限りだ。
「2ドルウルフはかなりデカイらしいよ。なのに誰も姿を見たことがないとか変だよな」
「ゴブリンから見て大きいんじゃなくて?」
「俺と比べても大きいってさ」
仮にライオンほどの大きさだと仮定して、重量は200キロを超えるほどになる。そんな巨体が音も無く忍び寄り、村に火を放ったり人を攫ったりできるのだろうか?
それができてしまうから謎の存在であり、手をこまねいている原因なわけだが、ではどうやっているのか?
さっぱりわからない。
怪奇現象じみた謎に首を傾げつつ三人で固まって歩みを進め、少しずつ森の奥深くへと入っていく。
周囲を警戒しながら、リアエルがポツリと呟く。
「……いきなり襲われたり、しないかしら?」
「それはない……はず」
「どうしてそう言えるのよ」
「そりゃリッちゃんがいるからさ」
弱音にも聞こえる呟きに、コウは半ば確信を持って答えた。
リアエルと出会ったばかりの頃、最初は二人だけで行動していた。モンスターらしき気配は感じながらも、それでも襲われることはなかったのだから、チジオラも加えた三人ならばより安全。
ニドルウルフから見て、リアエルとスークライトは要注意人物として認識されている節がある。
だからこそリアエルには村に残って欲しかったのだが、そうも言っていられない様子だったし、おかげで比較的安全に捜索できるのだから良しとしておく。
「って呑気に構えてられないんだけどな」
急に様子が怪しくなったカトンナ村に想いを馳せる。
確かにマライカは信頼できる男だ。「村の防衛を頼む」と言い、それに「ええ」としっかり頷いた。約束を違えるような男ではない。
が、それでも心配なものは心配だ。早く戻るに越したことはない。
しかし無事に二人を連れ戻せたとして、リアエルをカトンナ村に入れたらまた何か問題が発生しかねない。何よりリアエル自身が嫌がるだろう。
次から次へと問題が発生して、息つく暇もない。
やれやれ、と嘆息して視線を下げた先で、目敏くコウは気づいた。
「二人とも! これ見てくれ」
[どうしたのだ]
「これ……なに?」
コウが木の根元でしゃがみ込み、幹を指差す。よくよく見てみれば、そこには白い何がこびりつくように付着している。
「キノコを千切った跡だ。サラちゃんは食料を調達しに森に入ったんだろ? ここに生えてたキノコを採ったのかもしれない」
これは貴重な証拠になりうる。
サラハナがここを通ったのであれば、この近くに生えているキノコなどの食材は採取されているはず。
その跡を辿っていけば、サラハナの足取りは追える。
問題はその後だ。
どこでニドルウルフに捕まり、どこに連れ去られたのか。
「ねぇ、もしかしてこれもそうなんじゃない?」
「おお、さすがリッちゃん」
リアエルがすぐ近くの木の根元にも同じような跡を発見した。
[こっちの奥にも似たような痕跡があったぞ]
[でかした! 上出来上出来!]
リアエルが見つけた跡のその奥にも、同じようにキノコを採取した跡が続いているのをチジオラが発見。サラハナたちはその方向に向かって進み、食材の確保をしていたと思われる。
「つーことは、こっちの方向に行けば……」
「あの子がいるのね」
「たぶん、だけどな」
他の生物がキノコを食べた可能性もなくはない。さしものコウも、手でちぎったのか、他の動物が食べたのか、判別が難しかった。
それでも、他に何も手がかりが無い以上、この痕跡に一縷の望みを託すしかない。
「行くっきゃない」
キノコの痕跡を辿って歩き始める一行。
[コウ、こっちだ]
[オッケー]
ここでは長年森で暮らしてきたゴブリンのチジオラが真価を発揮した。
人間よりも目が大きく発達しているのは暗闇でも標的を見失わないためなのか、次々とキノコの痕跡を見つけていく。
チジオラの案内を頼りにどんどん奥へと入っていくと、痕跡の様子が変わってくる。
キノコが千切られた跡ではなく、千切られたキノコが落ちているのだ。
「まただ……」
その欠片を摘み上げて、ポツリと呟く。
こう何度もキノコが、それも欠片が落ちているのはおかしい。ここから考えられる回答はひとつ。
「サラちゃんはこの時点で攫われてる」
「え、どういうこと?! まだ森に入ってからそんなに歩いてないけど……」
〝名前のない森〟はそれだけ食料が豊富ということだ。サラハナが何度も足を止め、その場に長く居座り、採取する。
ついて行った二人も同じようにして手伝っていたのだろう。採取することに夢中になり、だからニドルウルフの接近を許した。
しかし、タダで攫われるほどサラハナも馬鹿ではない。
「この千切れたキノコは、サラちゃんが残してくれた手掛かりだ」
どのようにして攫ったのかはわからないが、少なくとも手は動かせる状態だった。そして採取したキノコを少しずつ千切り、道しるべを残したのだ。
これはニドルウルフが人間ほど賢くない、あるいは器用ではない証拠。これならば多少の勝機も見えてくる。
コウの中に、一網打尽にできる一つのプランが浮かび上がった。
[ひとまずこの痕跡を辿ろう。チジオラ、頼む]
[うむ]
ゴブリンの
着実に近づいている。そんな予感がある。
ひとつ、気掛かりがあるとすればスークライトのことだ。
まだ合流できていないし、行き先さえ不明。サラハナの足取りは掴めた以上、スークライトとの合流のほうが難しいかもしれない。
なぜなら、スークライトは間違いなく動き回っている。
迷子になったとき、お互いに動き回るよりも片方は動かず、もう片方が探すほうが合流できる可能性が高いのは幾度かの実験で証明されている。
とはいえ、これはお互いがお互いを探し合っている場合の話。
サラハナの所、と目的地は一致しているのだからこのままサラハナの足取りを追っていればきっと合流できるはず。
そう信じて、先を急ぐのが最善。
ふと、淀みなく動いていたチジオラの足が止まる。
[おかしい……]
[チジオラ? どうした?]
[痕跡が途切れた]
[マジか……]
リアエルにも同じことを伝え、考える。
可能性は二つ。
近くにいるか、千切るキノコが尽きたか。
「この一帯をくまなく探してみよう」
どちらにせよ足取りが途切れてしまった以上、新たな手がかりを見つけるしかないし、これなら近くにいる可能性も探れる。
お互いに視認できる距離を保ちつつ、周辺に視線を配る。
どこを見ても木、木、木。草、草、草。闇、闇、闇。
サラハナ本人か、それに繋がる手がかりは見当たらない。
目の保養としてリアエルを視界に入れようと、振り返った瞬間だった。
——コウのすぐ背後に、音も無くソレはいた。
「————っ?!」
全く予期せぬ出来事に、声を上げることすら忘れてしまうような一瞬の硬直。ゾワゾワと背筋が泡立つ。
——ボグィ!
その隙に、ソレはコウの左腕へ噛み付いて、聞いたことのない音を静かな森に響かせた。
刹那の間に灼熱のマグマを流し込まれたような激痛が全身を駆け抜け、忘れていた声を無意識に絞り出される。
「ぁガアアアァァァァ?!?!」
とっさにコウはソレを殴りつけて、右手にまで激痛が走るのを感じた。反射的に引っ込め、手に持っていた草刈り鎌をその真っ赤な眼に突き立てた。
ズブリ……と、嫌な感触と確かな手応えを感じる。おまけに鎌の刃が根元からポキリと折れた実感も。
ソレはキャウンと情けない犬のような声を上げ、次の瞬間、地面に沈み込むように姿を消してしまう。
案の定、手には刃を失ったただの棒だけが残されていた。
「どうしたの?!」
[コウ! 無事か?!]
僅かに遅れてやってくるリアエルとチジオラ。
膝から崩折れ、痛みを堪えるのに必死で口から出るのは荒い呼吸のみ。心配してくれる二人に応えることすらできない。
コウは自分の左腕を見る。
肘から先の、
気のせいであってくれと願いつつ、次に棒を持ったままの右手を見た。
まるでマシンガンに撃たれたかのように、蜂の巣になっていた。一つ一つの傷は小さくても数が多く、出血で言えば右手の方が酷いほど。
痛みが目立ってくる前に、コウは近くに落ちていた太めの枝を手繰り寄せ、ただの棒になってしまった鎌も合わせて左腕にあてがう。
「待って、私がやるわ」
リアエルは懐から取り出した投げナイフを使って自分の真っ白いローブを躊躇なく引き裂き、コウの左腕と木の枝を固定する。
さらにローブを引き裂いて即席の包帯をもう一つ作り、右手にキツく巻いていく。
「っ……さすがリッちゃん、手慣れてる……」
「傷の手当てはよくやってるから。こんな酷いの初めてだけど。軽口叩けるならまだ平気ね」
誰もが息を飲むような美貌を目の前に、コウは平静を装うとしていつもの調子で口を開く。もちろんそんなに余裕はないが、好きな女の子を目の前にして無様に痛がるほど、コウのプライドは安くない。
「あんにゃろう……ぜってー許さん」
脂汗を額に滲ませて歯を食いしばりながら強がるコウ。
森の暗がりの中で見た僅かな影。目の前から忽然と姿を消してしまったが、あれがニドルウルフでまず間違いあるまい。
「誰だよ2ドルで安いからの弱そうとか連想したやつあ、俺か。あれじゃ2ドルじゃなくてニードルじゃねぇかクソ……」
殴りつけたときの右手の損傷。それはまさに針山を殴ったようなものだった。チジオラが言っていた[生半可な攻撃ではこちらがやられる]とはこういうことだったのだ。
勝手な勘違いで相手の実力を測り損ねていた。ただ臆病で厄介なオオカミだと思っていたが、そう簡単な話ではないことが、文字通り骨身に染みて痛感した。
[チジオラ、今のがニドルウルフで間違いないよな?]
[うむ。我にもわからん方法で姿をくらますのだ]
コウの確認に周囲を警戒してくれているチジオラは頷く。
長年争っているゴブリンでさえ、相手の全てを知っているわけではないようだ。
[……みてーだな。チジオラもわからんとは、計算外だ……]
言いつつ、身体の具合を確かめる。
右手はローブの包帯が邪魔だがなんとか動かせる。しかし左腕は肘までしか動かせない。そこから先、手首や指を動かそうものなら激痛が走りそうでおっかない。
最悪、右手は動かせるのだからもう一つの草刈り鎌は握れる。やろうと思えば反撃くらいはできるということだ。
腰に挿しておいた二本目の草刈り鎌を手に取って具合を確かめつつ、このまま手に持っておくか、腰に戻すか少し考え、コウは草刈り鎌を腰に戻した。
片腕が使えなくなってしまった以上、あらゆる状況に対処するため残りの手は空けておきたい。
「リッちゃんはさっきの見えた?」
「ええ、少しだけど。闇に紛れるというか、落ちていく……? ように見えたわ」
「まぁ俺も大体そんな感じ」
懐に投げナイフをしまいながら、リアエルは見えたことをそのまま報告する。コウが見たものも大方彼女の言う通り。
ニドルウルフは地面の下へ落ちていくように消えたのだ。
「地面を泳ぐオオカミってことか? そんなんあるか?」
コウの知識ではそういうモンスターはいくつか知っている。だがそれは大体が砂漠のような柔らかい砂地であることが条件だった。
それ以外の場所で地面に潜ることもあるが、それはゲームだからであって、現実的に見れば考えられない。
仮にそうだったとしても、潜った穴が見当たらないのはやはり不自然。
「あり得ないはあり得ないなのか、なにかトリックがあるのか……わからなくなってきたな」
あらゆる可能性を考慮するコウにとって、未知という泥沼にはまってしまうと動けなくなる。
——だが、今のコウは一人ではない。
足がはまったら手を差し伸べてくれる仲間がいる。
足が動かなかったら背を押してくれる友がいる。
「とにかく移動しましょう。ここにいたら危険だわ」
[早く動くぞ。いつまた襲撃されるかわからん]
二人にはわからないだろうが同じことを同時に言っていて、思わずコウは吹き出してしまう。
「こんなときになに笑ってるのよ?」
[どうした? なにがおかしい?]
コウの奇行とも取れる笑いに訝しむところまで同じで、コウは自分の腕が損傷していることも忘れて勢いよく立ち上がった。
「ぁいってて……行こう。サラちゃんを探さないと!」
まるで待ち構えていたかのようにニドルウルフと出くわしたのだ、この近くにサラハナがいる可能性は充分高いと思われる。
ならばのんびりしている暇はない。
「腕は平気? キミだけでも戻ったほうが——」
「ここまで来て戻るほうが危険だよ。それにリッちゃんの愛の手当てで治ったも同然だから!」
痛みに顔を顰めながらのぎこちないウインクは難なく躱されてしまう。
「完治してから言いなさい」
「相変わらず手厳しいねぇ……」
そんなところがたまらないのだが。
ひとまず、奥に進むということで満場一致になった一行は、サラハナとスークライトを探し、さらに深い闇の中へと身を踊らせるのだった。
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