第34話「主人公」

   第一章34話「主人公」




 それを口にした本人でさえ、状況を正しく理解しているとは思えないほどに、額からは嫌な汗が滲み出ている。


 受け入れられないのだろう。この現実が。


「アマノさん、私は今、なんと言いましたか……?」

「サラちゃんが、ニドルウルフに連れ去られたって……」


 それを聞いたコウもすぐには信じられなかった。


 サラハナはコウを除いて唯一、人間でありながらゴブリン語を話せる女の子だ。

 人間とゴブリンの間で意思疎通を図るためには絶対に必要な存在。

 村から離れるなんて考えられないし、ニドルウルフに攫われるなんてことは起こりえないはず。


 しかしそれは起こった。ということは——


「サラちゃんを村の外に出したってのかよ?!」


 村がニドルウルフの襲撃を受けたのは昨日の今日だ。すぐ近くに潜んでいてもなんらおかしくはない。

 それくらいマライカだってわかっているはずだ。


「私じゃありません! 少し目を離した隙に見えなくなっていて……賢い子ですから大丈夫だろうと……私もこの場から離れるわけにはいきませんでしたし……」


 自慢の娘に対する信頼が裏目に出たか。


 しかしコウも同じ考えではある。サラハナは間違いなく賢い女の子だ。だからこそ、意味のない行動は絶対にしない。

 サラハナなりに考えて、何かをしようとしたはずだ。


「おい、もっと詳しく話せ!」


 未だに息の整わない村人の胸ぐらを掴み上げて激しく揺さぶる。


「お前サラちゃんのそばにいたんだろ?! 連れ去られたってどういうことだ?! どうしてサラちゃんが村の外にいるんだ?!」


 激しく村人を揺さぶり、襟元からビリビリと服が裂け始める。


「ちょっとキミ! 落ち着きなさいよ!」

「落ち着け?! 落ち着いてるよ! だから話を聞こうとしてんじゃんか!」

「それが人から話を聞こうとしてる態度なのって言ってるの!」

「——っ」


 強き意志の宿る翠緑色の瞳に射抜かれて、水を浴びたように頭に登った血が下っていく。


 リアエルの言う通りだ。激しく揺さぶられたまま落ち着いて話などできるわけがない。

 そんな当たり前のことにも気づかないくらい、コウは切羽詰まっていた。


「ふーっ……」


 ゆっくりと息を吐いてうるさく鳴り響く心音を落ち着け、思考をクリアに。

 握り締めて固まったままの指を一本ずつ開いて、村人を解放。腰が浮いた状態だった村人は咳き込みながらへたり込んだ。


 落ち着きを取り戻したコウを見てリアエルはホッと一息つく。


「この人の話は私が聞くわ。キミはそっち」


 彼女が指差す先を目で追うと、同じように息を切らしているゴブリンが。

 サラハナが連れ去られたと慌てて逃げ帰ってきたのは村人一人ではない。ゴブリンも一緒だったことを失念していた。


 サラハナがいない今、ゴブリンと会話ができるのはコウだけ。ならばゴブリンから事情聴取するのは彼の役目だろう。

 常に一歩引いた冷静さを持つ彼女がそばにいなかったら事態はよりややこしくなっていたに違いない。


 心の中でそんな彼女に感謝しつつ、無意識に加護の力を発動してゴブリンの言葉で問い掛けた。


[一体なにがあった。教えてくれ]


 四つん這いになって息を荒げているゴブリンはコウの姿を大きな瞳の中に写し、とつとつとそのときの状況を話し始める。


[あいつらいきなり襲いかかってきた。全然気づかなかった。我らを取り囲んでから分断して、女子おなごだけを攫った]


 チジオラから聞いていた通り、ニドルウルフはとてつもなく臆病で、用心深いらしい。


 サラハナだけを狙った。つまり一番力の無い者だけをピンポイントで選んで攫っていったということになる。

 なんというチームワーク。そして恐ろしいほどに——狡猾。


[お前ら三人だけだったのか?]

[そうだ]


 頷くゴブリンに、コウは下唇を噛む。


[……どうしてたった三人で外に出た?]


 誰しもがわかっていたはずだ。いま森に行くのは危険であると。

 行くなら行くで一声かけるべきだったし、もっと強い人を選ぶべきだった。


[女子の提案だ。少しでも食料を集めようと]

[帰り道は襲われなかったから大丈夫、とでも言ってたか?]

[あ、ああ。確かにそう言っていた]

[………………そういうことか……クソ]


 察しのついたコウは悪態をつく。


 きっとサラハナは、もっともっと村の役に立ちたかったのだ。

 気の小さな女の子で、体も小さくて、自らが無力であると自覚がある。でもそれ以上に、誰よりも優しく、誰よりも他人想いで、誰よりも人の役に立ちたいと願っていた。


 ——ゴブリンの住処に交渉しに行く前のことだ。


 そんな女の子でも、やれることがあると、手伝えることがあると、できることがあるとわかったときの、あの目の輝きようは忘れまい。


 ……だから、なのだろう。


[気にし過ぎなんだよ……]


 通訳を必要とするマライカのそばを離れても引き止められないくらいには、村は良い流れに乗っていた。

 村の機能が上手く回り過ぎて、自分つうやくの存在価値が、薄れてしまったのだ。

 それを取り戻そうとして、独断行動に至った。


 たったの三人で動いたのは、復興作業の邪魔にならないように、人員の減少を最小限に抑えたかったからだろう。コウが〝土壁の家〟を少人数で作ろうとしたのと同じ理由だ。黙って行動したのは止められるとわかっていたから。


 そして、ゴブリンの住処からの帰り道に襲われなかったのは大勢で移動していたからであって、少人数であればニドルウルフも間違いなく好機と捉える。

 森の死神がこんなわかりやすいチャンスを見逃すとはとても思えない。


 その結果、サラハナはまんまと攫われてしまった、というわけだ。


「子供の話に大人が簡単に乗るなよって怒鳴り散らしたいとこだが、それは後回しだ。今はとにかくサラちゃんを助けることに専念しないと」


 連れ去られた、という言葉を信じるならば、サラハナは無事。ならば人間の足でもまだ追いつける場所にいるかもしれない。


「それは賛成。だけどどうするの? 詳しい行方はわからないみたいよ」


 コウの呟きにリアエルも賛同してくれた。

 村人から詳しい話を聞いて、彼女も現状を理解したようだ。


 コウは指で額を突いて、情報を整理しつつ今後の方針を練る。


「住処があるならそこを突くべき。けど簡単に見つかるとは思えないし、仮に見つかったとしておとなしく保護できるとも思えないな」


 捜索隊を編成するか? 人海戦術で森を探せば手がかりくらいは見つかろう。だがその隙を突かれて村が再度襲われたら今度こそ取り返しがつかなくなってしまう。

 かと言って村の守りを固めていたらサラハナはいつまでたっても見つからない。


 ならばここは、村を守れるように戦力を残しつつ、少数精鋭の捜索隊を出す。

 これしか打てる手はない。


「問題は、何人行くか、誰が行くか、だな」


 最適解が見えてこない。やはり相手の素性が未知だとどうしても慎重にならざるを得ない。

 手をこまねいている時間も惜しいと言うのに。


「……くそ」


 焦る気持ちがコウの冷静な思考を阻害する。


 追い討ちをかけるように、嫌な予感が全身を駆け巡った。不幸とは、最も嫌なタイミングで連鎖するものだ。

 思考が悪い方へ傾いていたからこそ、すぐその可能性に思い至れたのは怪我の功名とでも言おうか。


「……スー君は?」

「え? なに?」


 まるで吐息のような呟きにリアエルは耳を寄せる。


「スー君はいるか?!」

「スーくん……? えっとあの子なら——」


 集まっている人だかりを見回して、リアエルの表情が徐々に凍りつく。

 スークライトの姿が見えない。人懐こい子犬のように元気な男の子がいない。


「マライカさん、スー君はどこだ?!」


 復興作業の現場監督をしていたマライカならば知っているはずと、怒鳴りながら詰め寄る。


「スーなら川へ水汲みに行かせたはずですが、確かにもう戻ってもいい頃……まさかスーもニドルウルフに?!」

「その可能性もあるけど、多分違う」


 焦るマライカに首を振って否定する。


「スー君は村が燃えてると知った瞬間にはもう駆け出してた。きっと今回も、とっくに飛び出してる!」

「そんな……!」


 マライカはショックで後ずさるが、コウは冷静だった。


 ニドルウルフはとにかく臆病。何がなんでも弱者を狙う。


 判断基準は謎だが、まず間違いなくこの村の中で一番強いのは先祖返りで勇者の血が色濃く現れたスークライトだ。

 今まで村が襲われてこなかったのは、スークライトが村から出たことがなかったから。


 それをコウが連れ出した途端、襲われた。

 タイミングは一致する。


 だからスークライトまで攫われたとは考えにくい。

 自分が絶対有利と確信できたときのみ動くような、圧倒的慎重派なのだ、ニドルウルフというモンスターは。


「助けに行くのは2ドルウルフに詳しいやつと、最低限、自分の身は自分で守れるやつ。この条件を満たせる編成じゃないとダメだ」


 ニドルウルフと戦闘経験のある腕の立つゴブリンは外せない。ゴブリンだけだとサラハナより先にスークライトと合流したとき、意思疎通が困難になるので唯一の通訳であるコウも重荷にはなるが欠かせない。


 コウは各々の性格や特性を考慮して慎重に人選を考えていると、リアエルの白い手が上がる。


「私が行くわ。私なら戦える」


 実に頼もしい立候補。しかしコウは首を横に振る。


「いや、ダメだ。できればリッちゃんには残って欲しい」

「なっ、私の実力を疑ってるの?!」

「そんなわけない。むしろ逆だよ」


 反対されると思っていなかったリアエルは声を荒げたが、コウはそれを手で制した。


「リッちゃんには村を守って欲しいんだ。ゴブリンを連れて行って、リッちゃんまで連れて行ったら戦力のバランスが崩れる」


 捜索の安全性は増すが、村に戦える者が減ったらそれだけ村の危険も増す。


「多分、これは罠だ。海老で鯛を釣ろうとしてる。だからもしものためにも犠牲は少ない方がいい」


 ——パンッッッ


 言った瞬間、視界が急に動いて脳みそが揺れた。遅れてやったきたのは、頬から伝わるジンジンとした痛みの感覚。


「『犠牲』とか言わないでよ!!」


 悲痛な面持ちで喉から声を出すリアエルの瞳には、大粒の涙が溜まっていた。

 リアエルに頬を引っ叩かれたのだと、遅れてようやくわかる。


 真剣な彼女の表情を見て、コウは反省した。

 深く、深く、反省し、思い直した。


 リアエルの——好きな女の子の涙に勝てる男なんていやしない。


「……ゴメン、確かに『犠牲』はないわな」


 自嘲気味に吐息をこぼす。


 リアエルの過去に何があったのかはわからない。でも、何かがあったのだ。それに踏み込むほど無粋ではないし、今は状況が許さない。


「犠牲とか……なに言ってんだよ、ざけんな。主人公気取ってんじゃねーよ、俺!」


 リアエルに頬を張られて我に返った。なんなら生まれ変わったような気分だ。


 さらに自分の両手で思い切り挟み込んで、パシンッ、と乾いた音がカトンナ村に響き渡る。


「俺は、主人公じゃない」


 ——主人公は死んだりしない。だからこそ主人公たりえるのだ。


 しかし一歩間違えばコウは死ぬ。異世界に来たからと言って、自分が主役だと天狗になりかけていた。


「俺は、主人公じゃないんだ」


 ——主人公は死んだりしない。だから物語を安心して読み進められる。


 だが、仮にその世界が現実だったとして、主人公が自分自身だったら?

 本当に死なないと言い切れるのだろうか?


 銃弾が雨あられと降り注ぐ戦場の中を、丸腰で駆け回って無事で済むだろうか? それをやってのけてしまうから、主人公たり得る。

 コウはそんなことをする勇気なんて毛ほども無い。


 死なないために、安全に、確実に。

 これが絶対条件。


「行ってください、


 リアエルの主張を後押ししたのは、今まで黙っていたマライカ。


「あなたはこの村に奇跡をもたらす使であると、私は信じています」

「……っ?!」


 マライカは、あっさりと禁句タブーを口にする。


 村の者に素顔を見られないようにフードは常に深くかぶっていた。なのにどうして今その単語が飛び出してくるのか、リアエルにはわからなかった。


「この村が炎に包まれたあと、見てしまったのです。そのお顔を」


 火災を【風繰りの加護】で窒息消化した際、リアエルは気を失った。コウがぐったりとする彼女を抱えて村の外まで運び出したとき、フードが外れていることまで気が回らなかった。


 それゆえに、マライカには見られてしまっていた。


「……やめてください。私は天使なんかじゃありません」


 歯を食いしばり、苦虫を噛み潰したように低い声を出す。フードを摘み、より深く被って顔を隠す。


 人だかりが、ざわめき出した。


「天使?」「天使だって?」「あの方は天使なのかい?」「こんなところにわざわざ?」


 信じられないと言ったような声が人だかりを波及していく。


 そんな様子を目の当たりにして、コウは思った。

 なんだこれ、なんかおかしい、と。


 確かに『天使』というワードはタブーだと叱られ、以降は口にしないように努めてきた。だがコウが口にした『天使』は単純な褒め言葉としてである。

 しかし村人たちの口にする『天使』という響きには、それ以上の、おそれのような感情が混じっていた。


 まるで信仰している神が目の前に現れたかのような、畏敬の念がその場を飛び交っている。


「リアエル様の、望むままになさるのが良いでしょう。だからアマノさん、リアエル様のお望みを無下にしないでください」

「マライカさん……みんなまで……」


 深く、頭を下げられた。それに続くように、村人が次々とこうべを垂れていく。


 コウは直感した。リアエルが『天使』と呼ばれるのを嫌がる理由わけを。


 ——神格化されすぎている。


 現実世界では、天使は神の使いのように表現されることが多い。しかしこの世界ではまるで神そのもの。

 そんな彼女をこの場に置いておくことは、果たして本当に得策だろうか?


 答えは否。


 信仰する神がそばにいて、本来のポテンシャルを発揮できるか? やる気を出してポテンシャル以上の力を発揮するかもしれない。でも、集中できず、注意力が散漫になるかもしれない。

 不確定要素が強すぎる。


 幸いなのは、リアエルの意思を尊重する姿勢が見えること。

 ならばここは、下手に意見を貫くべきでは無い。


「……わかった。マライカさん、指揮を取ってこの村の防衛を頼むぜ」

「ええ」


 マライカはしっかりと頷く。ここは村のリーダーを信じるしかない。


 180度意見を変え、柔軟に対応してこその人間。不安要素は排除し、後のことは後で臨機応変に対処する。

 無茶苦茶でも、これが最善。


 次にコウはゴブリンの言葉で大きく呼びかける。


[チジオラはいるか?!]


 コウの知るゴブリンの中で間違いなく申し分ない実力者の名を叫ぶ。


 最初はチジオラを残し、エースーヌを連れていくつもりだったが、リアエルが来るのならバランスを取って逆にするのがベスト。


[我ならばここだ]


 人だかりの隙間から姿を現したチジオラ。すぐさま事情を説明する。


[サラちゃんが2ドルウルフに攫われた。助けに行きたい、力を貸してくれないか]

[なぜ我がそのようなことを]

[ちょっ——?!]


 今までのやり取りは人間の言葉だったので事態を把握し切れていないと思ったコウは、掻い摘んで説明したが、明後日の方向を向いて吐き捨てられた。


 しかし、すぐに視線を交錯させた。


[——と言いたいところだが、あの小娘には同胞を救ってもらった借りがある。今こそ報いるとき]

[んだよ! 脅かすなよ!]


 人間の信仰も言葉も耳に入っていないからこその平常運転。気持ち的に、ゴブリンに救われた気分だ。

 メンバーは決まった。恐らくこれが一番バランスの取れた編成。


「マライカさん、なにか武器になりそうなものはないか?」

「これならありますが……」

「上出来上出来!」


 コウはマライカから草刈り鎌を二つ受け取り、一つは背中側のベルトに通した。未だに全貌が明らかになっていない相手に対して草刈り鎌とは、果たしてどこまで有効に機能するか。


「ま、無いより全然マシだな! 時間が惜しい、準備はできてるか?!」

「こっちのセリフよ」


 リアエルは口の端を不敵に歪めて笑う。


[チジオラは準備できてるか?!]

[愚問]


 チジオラはすでに弓を手に持ち、矢筒を腰に付けている。


「よし。善は急げだ! 行くぜ!」


 コウ、リアエル、チジオラの三人は、サラハナがいるはずの〝名前のない森〟へ向かって駆け出した。

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