第31話「忙しなく」
第一章31話「忙しなく」
人間とゴブリンが同じ道を行き交うという、この世界の人間からしたら異様な光景が広がっているカトンナ村。
最初は誰しもがおっかなびっくり復興作業をしていたのだが、切羽詰まった状況ゆえか、すでに気にしているものはいない。
村長と
藁と石灰とにがりが欲しい、と。
お主の好きにせい、と半ば投げやりに許可を得ることはできた。『好きにせい』という言葉にかこつけて他にもおねだりして、勝利をもぎ取ってはいるのだが……。
「問題はにがりなんだよなぁ。藁は家畜の餌でたくさんあるし、石灰は貝塚があったからそこからなんとか採取できるんだけど……」
ウンウン唸りながら、コウは村の復興作業の邪魔にならないよう、外を適当に歩いていた。
この少年を一人にしておくと何をしでかすかわからないので、仕方なくリアエルも付き添って歩いている。
プラチナブロンドに輝く長い髪に、天上のハープのように清らかな声。穢れを寄せ付けぬ白く透き通った肌に目鼻立ちは彫刻のように整っていて、まるで天使のように一種の芸術じみた美少女だ。
ただし、白いフードを目深にかぶり、その顔の半分も見えない。
フードに隠れる
「にがりって?」
謎の単語にリアエルは反応した。
「えっと……ミネラルたあっぷりの不思議な液体のことだよ」
その質問に、コウは簡潔に答える。
にがりとは、海水から様々な製法で作られる、その名の通り苦い液体だ。色々な使用法があるが、一般的によく知られているのはやはり豆腐か。
ご飯を炊くときや、湯船に入れるのも良いと言われている。
「これがないと
「みねらる? たたき……? キミの言ってることこれっぽっちもわからないわ……結局、なにをするつもりなの?」
彼が何かに悩んでいるときは、たいてい無理難題だったりする。ならば一つ一つの言葉の意味を気にするよりも、その結果どうなるのかを聞くのが最も手っ取り早い。
コウは人差し指を立て、くるくると回す。
「つまり、あんな『小屋』じゃなくて、より頑丈な『家』を作ってやりたいんだよ。また材料とかやり方を紙に書いておいても良いんだけど、せめて一回くらいは実演したいんだ」
と言うかやったことないからやってみたい——そんな本音は心の中で響かせるに留めた。
より頑丈な家を作ることができれば、今回のように少し焼けてしまっただけで大損害になるようなことはない。
同じように同じような小屋を建ててもいいが、それでは同じ轍を踏んでしまう可能性がある。ならば安全策として別の手を打つべきだろう。
わかりやすい対策として、まずは家に使う素材だ。
「俺の故郷には『三匹の子豚』って童話があってね、豚がそれぞれ自分の家を建てるんだけど、オオカミに次々と壊されちゃうんだ」
「豚が家なんて建てられるわけないじゃない」
「子供向けの童話だから! 細かいことは気にしない気にしない!」
かつては自分も同じことを思ったが、身も蓋もない言い方に流石のコウも苦笑いを浮かべる。
一つ咳払いをしてから、コウはゆっくりと思い出すように語り始める。
「んで、最後の一匹はちょー頑丈に作ったからなかなか壊れなかった。業を煮やしたオオカミは煙突から侵入するんだけど、煮詰めておいた鍋に落ちちゃって、逃げ帰っちゃうんだ。助かった三匹の子豚は、その家で仲良く暮らしましたとさ。ちゃんちゃん。ってな感じの話」
ザックリと概要を話し、チラリと振り返ってリアエルの様子を覗いてみると、ふーん、と感心したような吐息を漏らす。
「面白そうなお話ね」
「だろ? 俺の故郷にはこういう話たくさんあんだぜ」
その中から、今と似通った状況である『三匹の子豚』をチョイスし、彼らの行動を踏襲しようと画策したわけだ。
流石に原作通りレンガの家を用意するのは難易度が高すぎるため、現状の環境で用意できる、もっとも頑丈であると予想される家——『土壁の家』をコウは考えていた。
「それはさておき。うーん……最悪にがりは無くてもいいんだけど、ここまできたら細部にまでこだわりたいっていうか」
「はぁ……キミって凝り性なのね。家を作るだなんて、誰も考えないわよそんなこと」
リアエルは深くため息をつくも、無理だ、無茶だと否定することはしなかった。そんな悩ましげな仕草ですら絵になるのだから、絶世の美少女とは恐ろしい。
「自覚はあるよ。でもこればっかりはね」
肩をすくめて自分の根っこにある性分に呆れるコウ。
こだわりすぎて作れませんでした、間に合いませんでした、となってしまっては本末転倒。時には妥協というものも必要になってくる——のに、ここでどうしても諦め切れないのが、コウという少年の宿命であった。
「あんたー! そんなところでフラフラと何をしとるんさねー?」
そのとき、遠くからラーカナの声が響いてきた。
独特な口調で話す、料理のことならば右に出るものはいない腕前を持つ女性だ。
ラーカナは何かが入った瓶を片手に所構わず歩き回り、中身をあちこちに差し入れているようだ。もちろんゴブリン相手にも同じように差し入れている。
「ラーカナさん。俺は今猛烈に悩んでるんっす」
「悩みかい? 煮詰まってるようなら、これでも食べてスッキリしんさい」
中身を食べてみろと、口の大きな瓶を向けて促してくるラーカナ。見たところ何かの野菜を何かの液体に漬けた、いわゆる浅漬けに見える。
「どれどれ、いただきます」
もはやラーカナが作る食べ物に疑いはない。
コウは瓶の口に手を突っ込んで直接野菜を摘むと、それをヒョイと口の中に放り込む。
「むむっ?! こ、これはぁ?!」
足元から青々とした草原が広がっていくかのような衝撃だった。
口の中に入れた瞬間に無限の広がりを見せる清涼感。ひと噛みするごとに水分が踊るように弾け、コリコリとした食感が非常にクセになる。
「大根の浅漬けっぽいなにか! 疲れがすっ飛んで頭もスッキリした気がする!」
「惜しい! そいつはダイコの浅漬けさね。少し前に寝かせておいたやつで、無事だったからみんなに配ってるんさね」
ラーカナの家は火災の被害をあまり受けておらず、備蓄はそこそこ生き残っている。おまけに瓶に入っていたから、これは無傷だったわけだ。
作業で大忙しの村人とゴブリンのための心のこもった差し入れには、救われている人がたくさんいるだろう。
「ほら、あんたもどうだい?」
「ど、どうも……」
リアエルにも差し出される瓶。
遠慮気味に中身をひとつまみ口に含み、手を添えてお上品に咀嚼する。
「美味しい……!」
「それはなによりさね」
素直な感想にご満悦のラーカナ。
あらゆる言葉を尽くして褒め称えられるよりも、シンプルに『美味しい』の一言が一番心に届く。
「酸味に疲労回復の効果があるし、卵の殻を肥料にして育てた野菜だから栄養も満点さね!」
「それだぁ!」
唐突に大声を張り上げるコウ。二人は鳩が豆鉄砲喰らったようにキョトンとする。
コウは光明をその瞳に映したかのような、キラキラとした目でラーカナに詰め寄り、空いている手をギュッと握りしめる。
「この酸味ってお酢だよな?!」
「あ、ああそうさね」
「やっぱり! そうかその手があったか! なんとかなるかもしれん! ありがとうラーカナさん!」
「……なんの話さね?」
戸惑うラーカナはリアエルに助けを求めるも、これっぽっちもわかっていないリアエルは苦笑いを浮かべて首を傾げるしかない。
「お酢ってたくさんある? 卵の殻も!」
「あるけど……そんなものどうするんさね?」
「にがりの代用品を作るんだよ!」
お酢50ccに対し卵の殻一個分を浸し、四日ほど放置する。それを
コウの脳内でこれからのプランが次々と組み立っていく。
「揃った……揃ったぞ! ラーカナさん、頼みがある!」
「ん、言ってみんさい?」
もはや村の英雄と言っても過言ではないコウの頼みとあっては断れない。もとよりラーカナはコウの提案には前向きに乗っかるつもり満々だ。
それがカトンナ村のためになるとわかっているから。
「お酢と卵の殻と貝殻をありったけ集めてほしい。貝殻は一回焼くから窯があるところに」
「ほいきた、あたしに任せんさい」
「よし、あとは
土壁の下地として竹を
普通はこんなことを高校生が知っているのはおかしいが、『歩く無駄知識』の二つ名に恥じない無駄な知識である。
その無駄な知識が異世界では非常に役に立っているので、人生何が役に立つのかわからないものだ。
「土は畑の土がいい具合だし、砂利とかは集めねぇとか。確か川の方にいい感じにジャリジャリしたのあったな」
壁に使う土は粒の大きさを変えていくつか用意する必要がある。そのための砂利だ。
「うおぉ、マジでダッシュじみてきたな!」
毎週日曜日、欠かさずに見ていた大好きな番組のようになってきて、鼻息が荒くなる。
もちろん、リアエルとラーカナの二人は何を言っているのか理解できず、首を傾げ合う。
「うしっ、エースーヌを探そう。ついでに樽トマトの容器もタタケで代用できそうだし、それもお願いすっか」
節を残して器のように切れば、その中にやしがらの代わりになる繊維質、例えば木の幹を削り出したものを詰め、そこにマトマの種を撒けば、樽トマトならぬ樽マトマの出来上がりだ。
あり合わせでここまでの物が作れるならば、上出来だろう。
コウは我先にエースーヌの姿を探して歩き始める。
「あっ、ちょっとキミ?! し、失礼します……」
「頑張りんさい! ——さて、あたしもやることやるかね!」
リアエルは会釈をしてコウの後を追いかけた。
ラーカナは振り回されて慌ただしいリアエルに激励を送りつつ、自らも腕まくりをして気合を入れたのだった。
***
村中をくまなく探し回り、まもなく求めていた背中を視界に捉えた。
エースーヌは村のそばに横たえて積み上げたままの大きすぎる竹——タタケに腰かけ、曲刀の手入れをしていた。
自慢の怪力で廃材の撤去などの力仕事をしているかと思って村の中を重点的に探していたのに、まさかこんなところに一人でいるとは。
おかげで見つけるのに少し時間がかかってしまった。
異世界に来てコウが得た、自動翻訳される加護の
[エースーヌ!]
[っ!!! ……貴様か。なんだ]
ゴブリン族の中でも突出した体躯を誇るエースーヌ。親玉ゴブリンであるチジオラが言うには、図体はでかくても気は小さいゴブリンらしい。
外見からそんなことは微塵もわからないが、反応で教えてくれた。
[そんなに警戒すんなよ。……あと隠れ切れてないぞ。チョッパーかよ]
声をかけた瞬間、猫のように飛び上がりタタケの陰に身を隠してしまったのだ。
物陰に身を潜めたままのつもりで要件を聞いているようだが、身体がはみ出しまくっている。頭隠して尻隠さずとはまさにこの事か。
ゴブリン語なので、リアエルの「誰よチョッパー」といういつもの突っ込みは無い。
これはこれで、ちょっと寂しい。
[頼みたいことがあるんだ。お前にしかできない]
[……言ってみろ]
顔を覗かせて訝しげな視線を送ってくる。気が小さいというよりは、警戒心が非常に高いと評価を見直すべきだろう。
説明のためにコウがタタケに近寄ると、近寄った分だけエースーヌは離れていく。
何もするつもりはないのにこうも警戒されてしまうと、意外と傷付くものだった。
タタケまで辿り着いたコウは、エースーヌに見えるように表面に指を這わせて切る箇所を指示。
[節のところからこのくらいの位置で輪切りにしたのを何個か——そうだな、とりあえず五個くらい。それから細長くて平たい棒状のを大中小の三種類用意しておいてもらいたい。いけるか?]
[……問題ない。少し離れろ]
[いや、別に今すぐじゃなくても——]
まだやることはあるので、すぐ必要なわけではない。
しかしエースーヌは制止の言葉を無視し、助走とともに曲刀を水平に薙ぎ払う。横倒しになったタタケが半分に裂けるように切られ、片割れが宙に跳ね上がる。
それをジャンプで追いかけ、目にも留まらぬ速さで曲刀を振るった次の瞬間には、空中でバラバラに解体されていた。
[うお?! あぶぶぶぶ!?]
降り注いでくるタタケの槍がコウの目の前で地面に突き刺さり、タタケの柵が一瞬にして出来上がった。
「大丈夫?! あのゴブリンもしかして——」
「いや、平気だよリッちゃん! ナイフしまって!」
襲ってきたのかと早とちりしたリアエルが懐から薄緑の投げナイフを取り出して構えるが、慌ててコウがそれを止めた。
そうとは知らず、エースーヌはマイペースに問う。
[大中小とは、それでよいか?]
[へ……?]
[大中小、それでよいかと聞いた]
言われて気づく。よくよく見てみればこのタタケの柵、太さが三種類ある。
[お、おお。よいよい。これでよい]
柵の隙間からエースーヌを見てコクコクと頷く。空中のあの一瞬でここまでの芸当、曲芸を飛び越えてもはやファンタジー。
「いやこの世界ファンタジーだしっ」
ビシッ、と横に手を振ってセルフ突っ込み。ファンタジーの一言で全て片付くのだから便利すぎる世界だった。
「っつか柵か。このアイデアも頂こう」
今回のニドルウルフ襲撃事件は、カトンナ村がオープン過ぎるのも原因の一端だ。
そもそもしっかりと侵入対策していれば、ゴブリンに畑を荒らされるような被害も減っていただろうに。
「いまさら言ってもしょうがねぇ。柵なんてゴブリン相手にはどうせムダだろうしな」
ゴブリンは普通に人並みの知能を持ち合わせている。柵を避けて侵入するくらいの頭はあろう。
「あとは場所の確保と土集め……少し人手が欲しいところだな」
重い土や砂利を一箇所に集めるには、コウ一人では心許ない。
リアエルのような乙女に力仕事を任せるのは心苦しいし、村の誰かを引き抜くにしても、その分作業の効率が落ちてしまう。
「ええい、背に腹はかえられん。物は試しだ、マライカさんに相談しよう」
次に探すは村のリーダー、マライカ。
エースーヌを探す過程で何度も見かけているからどこにいるかはわかっている。
「ほんと忙しないんだから……」
目的地に向かって一直線に歩き出すコウの後を、呟きながらついていくリアエル。
彼女のその
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