第30話「友好の証」

   第一章30話「友好の証」




 カトンナ村——

 そこは大陸の辺境にある、地図にも載っていないような小さな村。


 そこでは新鮮なマトマなどがたくさん育てられ、時折ふらっと現れる行商人に買い取ってもらってギリギリのところで生計を立てている。

 村の命と言っても過言ではないそれらを荒らすモンスター、ゴブリンをなんとかしてもらうため、村は一番近くの教会へ依頼を申請。


 そしてやってきたのは白いフードを目深にかぶった少女、リアエル。

 風を操る【風りの加護】をその身に宿した物静かな少女だった。


 一度はゴブリンの住処である〝名前のない森〟へ出向いたものの、依頼を果たさぬまま謎の少年を引き連れて戻ってきた。

 その謎の少年の名はアマノ・コウ。記憶喪失になり、森をさまよっていたところをリアエルに救われたとか。ゴブリンの言葉を理解し、介することができるという前例のない加護を宿した、不思議で元気な少年だった。


 村が抱える問題に対し、彼はこう言った。




「じゃあ、ゴブリンに助けてもらおう」




 と。


 そんなことできるわけがないと、誰もが思った。

 老齢の村長はわからないが、カトンナ村のリーダーであるマライカも、やはりその言葉を疑った。


 だが、その思いは、覆される。

 少年が手を大きく振りながら、歩いてくる——




「おーいみんなー! 戻ったぞー!」




 ——この言葉と一緒に、大量のゴブリンを引き連れて。




   ***




「お、やってるやってる」


 コウは隠れ家的居酒屋でも見つけたように呟く。


 遠くから見る村は以前よりも人気が多く、そして慌ただしそうに動き回っていた。

 村がニドルウルフの襲撃に遭い燃えてしまって、使えなくなってしまった残骸を片付けているのだろう。


[みんなはここいらでちょっと待っててくれ!]


 後ろをついてくるゴブリンの群れに待機を命じる。

 巨大な竹——タタケを担がせたまま待たせるわけにもいかないので急がねば。


 村の人たちは事情をわかっているから攻撃してくるようなことはないと思うが、いきなりぞろぞろと押し掛けては警戒心を煽ってしまう。


 コウとリアエル、ラーカナとサラハナが村まで向かい、まずは元気であることを見せてやる。


「ラーカナ! サラ!」


 一番にすっ飛んできたのはラーカナの夫であり、サラハナの父であるマライカ。


 その存在を確認するかのように体を触り、幻ではないことをしっかりと確かめてから強く抱きしめる。


「二人とも、よかった……!」

「あんた、心配しすぎさね」

「……パパ、くるしい」

「ああ、すまない」


 ラーカナとサラハナに窘められ、恥ずかしいところを見せてしまったと咳払いをしつつ、コウへ向き直る。


「コウさん、交渉のほうはどうなりましたか?」

「見ての通りさ!」


 遠くで待機しているゴブリンたちへ手を広げ、胸を張って思う存分その成果を披露する。


 ここまで大変だったが、ようやくたどり着いた。

 コウが夢見た光景は、もう目の前に広がっている。

 人間とゴブリンが手を取り、共存する世界が。


「ゴブリンを村に近づけても平気か? さっそく、村の復興を手伝ってもらおうと思うんだけど」

「それは構いませんが——」


 遠くで控えているゴブリンを見るマライカの目は、どこか冷たい。家族を殺した因縁の相手が目の前にいると思えば、当然の反応だろう。

 しかし今は手を取り合うべき場面であることを、マライカはわかっている。


「——本当に、大丈夫なんですね?」


 念を押してくるマライカに、親指を立ててみせる。


「大丈夫だった俺らが証人だ。みんなが手を出さなければ、なにもしない。だからリーダーとしてしっかり手綱を握ってくれよ?」

「……わかりました」


 覚悟が決まった村のリーダーは固く頷く。

 それを見届け、コウはゴブリンたちへ手を振って合図を飛ばす。


 一斉に歩き始めたゴブリンたちの迫力に腰が引けそうになるマライカだが、愛する妻、そして愛しき娘の前で格好悪い姿は見せられないと、必死に踏ん張る。

 ゴブリンの行進は小さな地鳴りすら引き起こし、焼けて強度が落ちた小屋が倒れたりしないかとヒヤヒヤさせる。


 そんな心配も引きつった笑顔の裏に隠し、マライカは声を張り上げた。


「ようこそカトンナ村へ! この場にいない村長に代わり、私マライカが皆さんを歓迎いたします!」


 マライカらしいお固い挨拶で出迎えられたゴブリンたち。しかし当然人間の言葉はわからないので、コウが通訳する。


[歓迎するってさ]


 せっかくのお固い挨拶も、コウの前では雑に解体されてしまう。


 そうと知るのは、ゴブリンの言葉を独自で学習したサラハナだけだ。無口な少女だし、決して間違ったことを言っているわけではないので無反応だが。


 遅れて集まってきた村人たちも、固唾を呑んで見守る。


 ゴブリンの群れのうちから先頭にいた一匹が、一歩、また一歩と歩み出てきた。

 マライカの前で足を止めたのは、他の個体よりも装飾が多く、貫禄を感じさせる風体のゴブリン——親玉ドンであるチジオラだ。


[出迎えご苦労。あのニンゲンはキサマのつがいと聞いた。料理の件、感謝する]


 あのニンゲンとはラーカナのことで、彼女の料理に助けられたゴブリンはたくさんいる。代表として、礼を捧げないわけにはいかないのだろう。


 相手の目を下から見上げるように見て、最大限の気持ちを込める。

 どうしても睨んでいるように見えてしまうのは、それだけ真剣になっている証拠なのだが、睨まれているマライカからすれば気が気ではなかった。


 それに助け舟を出すような形で、コウの通訳が差し込まれる。


「ラーカナさんの料理に助けられたから、ありがとうってさ」

「それは……私ではなくラーカナに言うべきことです。が、そのお言葉はありがたく頂戴しておきましょう」

「そうしてやってくれ」


 まるで自分のことのように嬉しいのか、僅かにはにかむマライカ。


「それにしても、アマノさんは本当にゴブリンの言葉が話せるのですね」

「ふふん、まあね!」


 得意げに胸を張って鼻の穴を広げるコウ。


「加護のおかげだけどね」

「リッちゃんそれは言わない約束!」

「そんな約束、記憶にないわね」


 まるで自分の功績だと言わんばかりのコウの態度に、リアエルが冷たく水を差す。

 もちろん、功績で言えばリアエルのほうが圧倒的に貢献している。


 命を助けられたことから始まり、彼女が宿す【風繰りの加護】には何度も何度もお世話になった。きっとまだまだお世話になることだろう。


 そりゃないよリッちゃん〜、と情けない声を上げるコウのすねを、チジオラが軽く蹴り上げる。


「いった?!」

[ニンゲンの親玉のところまで通せ]

[いいけど、もうちょっと加減ってものをだな——]

[は や く し ろ]

[わかったわかった、わかりましたよ。ったく……]


 人間と比べ、体の小さいゴブリンでも、あの鋭い目つきで凄まれたら怯んでしまうものだ。


 渋々了承したコウはマライカへと向き直り、


「あとのことはサラちゃんに話してあるから、サラちゃんに聞いてくれ。俺はこのゴブリンを村長のところへ案内してくるから」

「サラが……? いえ、わかりました」


 どうしてサラハナにあとのことが任されているのか引っかかったのだろうが、そんなことを気にしている場合ではないと我に返り、頷く。


「じゃあサラちゃん、こっからが正念場だけど、大丈夫か?」

「……へいき」

「上出来上出来!」


 サラハナの自信満々の返答に満足したコウは形のいい小さな頭をひと撫でしてから、チジオラを村長がいる集会場へと連れて行く。


 他のゴブリンたちはサラハナの通訳を通して村の復興の手伝いだ。


 焼けて焦げた匂いが未だに漂う道を歩き、損傷の少ない大きな家へ。

 コンコンコン、と軽くノックをする。

 すると扉の向こうから「開いておる、入りたまえ」と老人の声が聞こえてきた。


 軋む音を立てながらドアを開けて中へ。


「やっほー村長、戻ったぜ」

「やはり小僧か。村が騒がしかったし、わざわざ戸を叩くなどお主しかおらんと思ったよ」


 立派な白いヒゲを蓄えた村長は、羊皮紙を片手に椅子に腰掛けた状態で出迎えてくれた。


「よしよし、まだしっかり生きてるなジジイ」

「小僧こそ足がついておって安心したぞ」


 お互い勝手に殺し合ってから、毎度恒例の罵り合う挨拶は終了だ。

 どうしていつもそうなのかしら、とかたわらで痛そうに頭を抱えるリアエルには気づかない。


「色々報告したいことはあるんだが、まずは紹介したい奴がいる」

「ふむ? そこなゴブリンのことかの?」

「ああ。ゴブリンのボスの、チジオラだ」

「なんと」


 コウの口から明かされる重要人物の名に、シワの線のような細い目が見開かれる。

 村長のそんな反応を尻目に、次はチジオラに村長のことを紹介する。


[この爺さんが、この村で一番偉い人間だ]

[ひ弱そうであるな]

[否定はしない——ってか実際その通りだしな。人間は力じゃなくて経験や知識がとうとばれるんだよ]


 世襲制など、例外は存在するが、基本的には村の長は経験豊富な老人と相場が決まっている。


「さてさて、挨拶も済んだところで、話し合いといきますか」


 長い年月の間いがみ合っていた人間とゴブリンのトップが一堂に会したのだ、有益な時間にしなければならない。


「小僧、そこのイスを持ってきて、チジオラ殿へ」

「へいへい」


 足腰の弱った爺さんを労って、言われた通り無造作に置かれていたイスを引きずって村長の対面に設置する。


 しかし、チジオラは首を横に振った。


[我は地面でいい]

[え? けど客人を地べたに座らせるわけには——]


 食糧が不足している現状、人間様式のおもてなしはできないが、せめてそれくらいはしてやるべきだろう。


[それを言ったら我もそうだ。キサマらを地面に座らせた。それに……大きさが合わん]


 どこか悔しそうに呟くチジオラ。


 確かに、人間とゴブリンでは体格の差が激しい。コウと肩を並べるエースーヌが稀有な存在なだけで、基本的にはゴブリンは小人と呼べるくらいには小さい。

 椅子に座らせたら、お人形のようになってしまう。ゴブリンの親玉に、そんなおままごとじみた格好をさせるわけには。


「じゃあ……とりあえずリッちゃんどうぞ」

「どうしてそうなったの?!」


 言葉がわからず、突然矛先が自分に向いてきたリアエルは驚きを隠せない。


「レディーファースト的な? 男としてのプライド的な? そんな感じ」

「全然わからないわ……」

「いいからほら、座った座った」


 有無を言わせずリアエルを椅子に座らせ、コウとチジオラは床に直接腰を下ろす。


「うん、洞窟の地面より楽だな。もっと椅子用意しとけって話だけど」


 尻の負担が段違いなことに感動しつつ、それが場違いな感想であることにコウは気づきもしない。

 あとはトップ同士の時間だ。コウは通訳で必要だが、リアエルはおま——抑止力だ。


「…………」

[…………]


 両者とも沈黙が続く。相手の出方を窺っているのか、見つめ合ったまま動かない。


 外からは人間の声とゴブリンの声が一緒くたになって聞こえてくる。

 少し心配だったが、サラハナがしっかりと通訳として両陣営の緩衝材となっているのか、いさかいは起こっていない様子。あるいは村のリーダーであるマライカあたりの適材適所を理解した采配が光っているのかもしれない。


 万事順調であるならば良し。

 それよりも問題はこちらだ。


 唾を飲み込むことすら躊躇われるこの張り詰めた空気、どうすれば払拭されるのか。

 集会場の中だけ、外との空間が切り離されているかのようだ。


 一触即発のように感じられる、肌を刺すような空気に冷や汗が滲むリアエル。


「すぴー」

「すぴー?」


 彼女は謎の声に首をかしげる。音の発生源はリアエルのすぐ隣の少し下。つまりはコウから発せられていた。


 ——ぷくりと膨れる鼻ちょうちんとともに。


「こんなときになに寝てるのよキミは?!」

「あぶふんっ?!」


 バシンッ! と小気味良い音を立てて後頭部を叩かれた衝撃で鼻ちょうちんは割れ、キラキラと舞い飛ぶ雫とともにヘンテコな声も飛び出した。


「いや?! 寝てません寝てません!(ジュルリ)」

「よだれまで垂らしてよく言えるわね?!」


 袖口で口元を拭うコウに、リアエルはカンカンだ。

 鼻からも口からも体液を出していては説得力の欠片もない。

 あえて空気を読まないことで定評のある少年は、ここでも見事にやらかしてくれた。


 そのお陰か——


「ほっほっほ」

[ふん……]


 トップの二人は小さく笑い、張り詰めていた空気はどこへやら。

 弛緩した空気はリアエルの固まった頬も柔らかくして、ぎこちなくも笑顔が浮かぶ。


「やっと俺の出番が来そうだな」


 以降はコウの通訳を挟んだやりとりと思ってほしい。


「睨み合っていてはなにも始まらんしの。上から失礼。まずは村の長として、森の伐採の非礼を詫びよう。すまなかったの。小屋を建てたりするためにはどうしても木材が必要だったのじゃ」


 村長が床に座る小さなゴブリンに頭を下げる。


[こちらも、果実を荒らしたことは悪かったと思っている。しかしニンゲンにも事情があるように、我らにも同胞を救いたいという事情があった]

「うむ、それは皆の上に立つ者として、当然のことじゃ。今となっては過ぎたこと。過去のことはお互い水に流して、未来のことを見つめようではありませんか」

[異存はない。こうしている間にも我らが同胞は苦しんでいる。ニンゲンの力があればもっと早く、多くの同胞を救えると聞いた。だから我らゴブリン族は、ニンゲンに力を貸すことをここに誓おう]

「その代わり、儂ら人間はお主たちゴブリン族に手を貸すことをここに約束しよう」

「まとまったな」


 座っていたコウは立ち上がり、満面の笑みを浮かべる。


「んじゃ、お互いに手を取り合うってことで、いっちょ握手でも交わしておくか? 友好の証として!」

「儂は構わんが、折角じゃ、ゴブリン族のやり方もやっておきたいのう」


 村長自らの申し出に、「それ頂き☆」と指を鳴らしてウインクも飛ばしつつ、コウはゴブリンに質問した。


[ゴブリンは約束交わすときってなんか作法はあんのか?]

[互いの両の拳を突き合わせる]

[うし、それもやって、めでたく人間とゴブリンの友好関係は結ばれたってことで!]


 チジオラは立ち上がり、村長は座ったままで手を握り合う。

 そして両手の握りこぶしを突き付けあい、トップ同士による誓いは正式に交わされた。


「現実世界なら書類にサインとかしてもらうとこなんだけど、紙は貴重っぽいしな」


 動物の革を使った羊皮紙しかないことを考えると、あまり無駄遣いはしたくない。

 なぜなら、また村のために書き残しておきたいことが増えたからだ。それでも余り、必要と感じたらサインして貰えばいい。


「さてクソジジイ」

「む? なんじゃクソガキ」


 真面目な時間が終わることを待ちに待っていたコウは、ウズウズを隠し切れない子供のように目を輝かせている。


「実は手土産があるんだ! そいつを活かすために、いくつか欲しいものがある。心当たりがあれば聞きたい」

「申してみぃ」

「藁と石灰とにがりだ!」


 コウの口から飛び出した謎の単語の羅列に首をかしげる村長。リアエルも何を言っているのかわからなくて同じように首を傾げるのだった。

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