第25話「ゴブリン洞窟」
第一章25話「ゴブリン洞窟」
出発する前から心配性すぎるマライカの見送りを振り切り、コウ、リアエル、ラーカナ、サラハナの四人は〝名前のない森〟へ向かって歩みを進める。
決して狙ったわけではないが、両手に持っても溢れる花に、コウはやや緊張気味。
この事実に後で気づいてからは舌の根が乾く思いだ。
「ちょっとキミ、なにソワソワしてるのよ?」
「いや? 別に? なんでもないヨ?」
「声が裏返ってるわよ」
そんな緊張をリアエルに見抜かれて、慌てて取り繕うもあっさり撃沈。
心なしか女の子特有の良い香りが漂っているような気がして、そこまで免疫のないコウは早鐘を打つ胸を抑える。
「落ち着け俺、男友達はたくさんいても、女友達はあまりいなかったなとか今さら思い出さなくていいから……!」
「……ママ、おにいちゃんがなにかブツブツ言ってる」
「男の子にも色々あるんさね」
親子にも残念そうな目で見られて視線が心に突き刺さる。
さすがにこれはパーティー編成のバランスが悪いので、早いとこ彼らと合流しなくては。
もう森の入り口は目と鼻の先だ。その前に、心の準備をしてもらわねばなるまい。
「ラーカナさん」
「なにさね?」
「これから、昨日
「覚悟を決めておけってことかい? そんなのとっくにできてるさね」
「頼もしい限りで」
ラーカナから一発強力なのを貰っているので、少し臆病になっているだけなのだろうかと、自らの心にわずかに残る傷に触れる。
兎にも角にも、世の女性陣には敵わないなぁと、
「見えてきたな」
野原の切れ目、森の始まりが姿を表す。と同時に、兄弟ゴブリンも木の陰からひょっこりはん。
明日また来ると言っておいたから、待ち構えていたのだろうか、今回はやけに登場が早かった。
よほど昨日の鬼ごっこが楽しかったと見える。
だが、兄弟ゴブリンには悪いが今日の目的は遊ぶことではない。事情が少し変わったことも説明しなければ。
[ようお前ら。昨日ぶりだな]
コウの挨拶は加護の力でゴブリンの言葉に強制翻訳され、それを初めて耳にしたラーカナは静かに驚いていた。
事前に聞き、覚悟を決めておかなかったらこの程度の衝撃では済まなかっただろう。
[コウよ、今日は早いのだな?]
[見ないニンゲンがいるが、どこのどいつである?]
[この子の母親だよ。安心してくれていい]
木の陰から姿を現し、慣れた様子で近づいてくる兄弟ゴブリン。
人間とゴブリンが親しげに会話をしている光景を目の当たりにし、ラーカナは開いた口が塞がらない。
「本当にゴブリンと話せるんさね……」
「なんとびっくり、話せるのは俺だけじゃないんだぜ?」
サラハナが前に出て、兄弟ゴブリンの弟、オットーの目の前に立ち塞がる。
自分の娘がモンスターの目の前にいる事実に戦々恐々とするも、ラーカナは自慢の胆力でそれを見守る。
[……調子はどう?]
[悪くはない。蔓であやとりの特訓をした。あとで勝負だ]
[……望むところ]
サラハナはたどたどしくもしっかりとゴブリンの言葉で会話を成立させる。
これがコウのように加護の恩恵ではなく、生まれ持った地力で行なっているのだから驚きだ。
「な、なんて言ってるんさね?」
「普通に挨拶だよ。あとであやとりしようぜってさ」
掻い摘んで通訳してから、早速本題に入る。悠長に歓談していられるほどあまり時間はない。
[実はちょっと事情が変わってな、お前らに頼みがあるんだ]
[なんだ?]
[申してみろ]
コウは村に起きた惨状、原因、そしてこれからやりたいことを説明した。
兄弟ゴブリンは、低く唸り声を上げる。
[そのようなことになっているとは]
[やはりあの煙はそういうことであったか]
ここからでも火事の煙は見えていたらしい。もしリアエルの〝風の噂〟がなかったら、見えた煙でようやく事態を察し、慌てて戻るハメになっていた。
そうなっていたら、確実に間に合わなかっただろう。
兄弟ゴブリンは事態の重要性を理解し、頷いてくれた。
[わかった。我々の住処に案内しよう]
[ついてこい。はぐれるなよ]
[ああ、よろしく頼む]
ゴブリンなんかより人間のほうがよっぽど攻撃的なのではと思わずにはいられないほどに物分かりのいい兄弟ゴブリンだが、父親ゴブリンの暴走っぷりを思い返すと、ここでも子供のほうがやけに優秀なのが透けて見えてきた。
「新しい時代が始まる予感がするな……!」
「なに言ってるの。さっさと行くわよ」
次世代の栄光を幻視して、一人ワクワクに浸るコウの襟首を掴んで現実に引き戻すリアエル。
そのまま首を絞めるように引きずり続ける。
「ぐぅぇ……リゥィッヂャン、じどぅ……!」
「なに言ってるかわからないわ。加護はどうしたの加護は」
「ぶちゃびだばいでぇ?!」
無茶言わないでぇ?! と言いたいのだが首が絞まってまともな発音にならない。
まともな発音にならないということは、真面目にやめて欲しいとお願いすることもままならなくて。
「がんべんじでぇ〜?!」
死に際の断末魔のような「勘弁してぇ〜?!」が響き渡り、声に驚いた鳥たちが森から一斉に飛び立った。
***
兄弟ゴブリンの道案内のおかげか、道中は安全に、かつ迅速に移動することができた。
例のズメルン川で襲いかかってきた虹色の魚は今回も人間にだけ襲いかかってきたが、前もってリアエルに〝矢避けの風守〟をかけてもらい、難なく突破。
風のバリアで軌道が変わり、体のギリギリを掠めていく大量の魚の牙はなかなかにスリリングで、リアエルに全幅の信頼を置いているコウは余裕だったが、ラーカナとサラハナの親子はさすがにそう簡単にはいかなかった。
「サラ、目を瞑りな」
「……うん」
サラハナを抱きかかえ、まっすぐに前を見て直進する姿は、母は強し、なんて言葉を彷彿とさせた。
道中で特筆すべきはそれくらいで、一行は順調に歩を進め、とうとうゴブリンの住処のすぐ近くまでやってきた。
[ここで待て]
[父ちゃんに話してくる]
[おう。早めに頼むな]
兄弟ゴブリンはそう言うと、人間という重荷から解放されたように身軽な様子で奥の茂みへと隠れていった。
やはり森を舞台に鬼ごっこをやったら、さすがのスークライトでもゴブリンをタッチするのは至難の技だろうな、と思っていると、リアエルがコウの肩をツンツンと突く。
「どったん?」
「できれば常に通訳して欲しいんだけど。なにが起こってるのかわからないってとても不安だから」
【風
ラーカナは普通の人間だし、サラハナだってゴブリン語を完全にはマスターしていないから、全てを訳すことはできない。
現段階では、ゴブリンとのコミュニケーションはコウの加護が頼りなのだ。
「そうだな、悪かった。ここで待ってろってさ。ボスに報告してくるって」
素直に自分の非を認め、兄弟ゴブリンが言ったことを通訳する。
こうしていれば少しでも親子の不安を取り除けるし、サラハナの学習の助けにもなるはず。
それを聞いた親子は静かに頷いたが、緊張の糸は張り詰めたまま。この先ずっとその調子では身が持たない。
戻ってくるまでの間、何か話しでもして気を紛らわせねば。
「実はゴブリンのボスって、あいつらの親父さんなんだぜ。だからそんなにビビらなくても平気だよ」
出会った頃は、恐らくゴブリンらしいゴブリンだったことは不安を煽るだけだろうから黙っておくとして。
「それに、前もって親父さんには話してあるから、仲間に襲われるようなこともない」
はず、と言い加えそうになる口を根性で
「……随分、準備がいいんさね」
「『準備万端用意周到備えあれば嬉しいな、こんなこともあろうかと!』ってのが俺のモットーでね」
「もっとー?」
よくわからない単語が飛び出てきてリアエルは首をかしげる。
「家訓とか教訓とか、まぁ心構えみたいなもんだ」
「ふーん。で、それは誰の言葉かしら?」
問うてくるリアエルに、自信満々で親指を自らの胸に突き立てて宣言する。
「俺!!」
「誰よ俺」
「いやここでそのテンプレ回答は酷くないっ?!」
もちろん場を和ませようという彼女なりの冗談なのはわかっているがさすがに酷い。
咳払いを挟んで閑話休題。
「まぁとにかく、リッちゃんから村の状況は聞いてたし、ゴブリンと話して向こうさんの事情も知った。その段階でこの作戦は考えてたんだよ」
かなりの急ピッチになってしまったが、だからこそ滞りなく事を進めることができる。
「ゴブリンの事情……森の伐採と食料難、だったかい」
ラーカナの確認に対し、コウは頷いた。
「ああ。昨日説明した通り、食料は森に沢山あるし、畑で育てることもできる。でもゴブリンはそれを知らない。なら人間の知識を貸すから、代わりに人手を貸してくれ、ってのが秘策のざっくりとした概要だな」
森の伐採については、村が焼けてしまったため、新しく小屋を立て直したり補強するのにどうしても木材が必要になってくるだろう。
鉄筋コンクリートなんて以ての外だし、何をするにしても木材は必須になってくる。
こればっかりは良い案が思いつかず、悩みの種だ。
必要最低限の伐採をする許可を貰う。これが今の限界だろう。
ではどうやってあの頑固親父から伐採の許可をもぎ取ろうか——思考が流れに乗ってきたとき、ほんのわずかに聞こえてくる不自然な葉擦れの音。
それは徐々に大きくなり、増えていく。
「リッちゃん」
「ええ」
リアエルは懐に手を差し込み、その手に薄緑の投げナイフを掴んだ状態で構える。
姿を現したのはやはりゴブリンで、一匹、二匹、三匹——どんどん数を増やしていく。
個体差はあるが、どれも体格は小柄で肌は緑色。尖った鼻と耳を持ち、ギョロリとした双眸は、それが人間ではなく亜人種のモンスターであることを認識させられる。
が、いきなり襲ってくる様子はない。しっかり話は通っているようだ。
[おい、本当にニンゲンがいるぞ]
[ああ、ニンゲンだ。間違いない]
[ひ弱そうだが、大丈夫なのか?]
現れたゴブリンたちは口々に確認し合い、こちらが戸惑っている間にもグルリと一周を取り囲まれてしまった。
それでもリアエルの加護は有利に働くから安心だが、ラーカナとサラハナに余計な心労をかけたくはない。
「ちょっとキミ、あいつらなんて言ってるのよ?」
「え? 大歓迎してくれてるぜ?」
「とてもそうは見えないんだけど?!」
ゴブリンを刺激しないようにか、小声で聞いてくるリアエルに、コウは適当に答えた。
ゴブリンに襲われない、その時点で大歓迎だろう。
が、念のため何か仕掛けられる前にコウは声を張り上げた。
[俺はアマノ・コウだ! あんたらのボスに会いに来た。話は通ってるよな?]
[不本意ではあるが]
数多くいる中の一匹、図体のデカい個体が一歩前に出てそれに答える。
明らかに他の個体とは身に纏う雰囲気が違う。見るからに戦闘力が高そうで、兄弟ゴブリンの父親がボスならば、コイツはエースと言ったところか。身に付けている装飾品も、ワンランク上といった印象を受ける。
[
抑揚少なく言ってから踵を返し、ゴブリンの包囲を押しのけて道を作っていく。
「みんな、あのゴブリンが案内してくれるみたいだ。付いて行こう」
先陣を切って、コウが肩で風を切る。ここで前に出ないで、何が男か。
取り囲まれたゴブリンの群れを突き抜けて、大きなゴブリンの背中を追いかける。
大きな、と言っても上背はコウよりも低い。かなりの猫背気味なので、しゃんとすればどっこいどっこいといったところか。
ぞろぞろと一行の後ろを付いてくるゴブリンの群れに戦々恐々としながらしばらく歩く。
案内された先には巨大な岩壁がそそり立ち、穴を穿つように洞窟があった。
岩を積み重ねて巧みに作られた入り口をくぐり、洞窟の中へ。
中は松明で灯りが満たされているわけでもないのに妙に明るく、ひんやりとした空気が漂っている。
よく観察してみれば、岩壁そのものがほんのりと光り、
リアエルがそっと壁に指を這わせると、触れた指先に沿って光が強くなる。
「これ、もしかして
「とうこうせき?」
「明かりに使われてる石のことよ」
「ああ、あれのことか」
灯光石とは、村でも明かりとして使われていた謎の物体の正体。衝撃を加えると強く輝く、ファンタジーのロマンが詰まった石だ。
村で使われている石はもっと明るかったが、この洞窟のものはそれと比べると光度は低い。リアエルの言う通り採掘跡ならば、純度の低い石か、あるいはただの残骸、といったところだろう。
「思ってたよりも幻想的な空間だな……」
「そうね……」
コウの呟きに、リアエルが頷いた。
洞窟と言えば狭くて暗くてジメジメした印象を持っていたものだが、ここはそうではないようだ。
無礼を承知で言うならば、もっと鼻がもげるような悪臭でも漂っているかと思っていたのだが、そんなことはなかった。
と、足元に妙なテカリを発見。
「みんな、足元に気を付けろよ、滑るぞゴブゥ?!」
足元に注意が逸れて頭上が疎かとなり、硬い岩肌に頭部が激突。ゴブリンの語尾みたいな声が出て激痛が走る。
まるでバカにするかのように、ぶつけた岩肌が仄かに明るさを増す。
「キミね……油断するからそういうことにきゃん?!」
今度はリアエルがコウに気を取られて足元のテカリを見逃し、可愛らしい声を上げて尻餅をついた。
リアエルは立ち上がると、お尻の形に明るさを増す地面を苛立たしげに踏み躙る。
「あんたら大丈夫かね?」
「……へいき?」
「へーきへーき、問題ないっ
「ええ、大丈夫(だと思う)」
痛みを隠しきれてないコウの強がりに続き、リアエルの自信なさげな笑み。
ここでは光量が足りないから被害の確認はできないが、大した問題はない。
「ゴブリンが小柄だったり猫背だったりする理由がわかるな……」
せまい洞窟の中で暮らし続けていたら、そのように体も変化していく。
まさにこの採掘跡は彼らにぴったりの住処なわけだ。
[キサマら騒がしい。寝てるのも居る。おとなしくついてこい]
黙って先を歩き、案内していたエースゴブリンが怒りのこもった声を上げて立ち止まる。
[すまんすまん。慣れてないもんでね、気をつけるよ]
「怒られた?」
「いや、叱られた」
「どう違うのよ」
「理不尽なのが怒られる。そうじゃないのが叱られる。だと思ってる」
個人的な見解を述べていると、徐々に道幅が広くなっていき、だんだん歩きやすくなってくる。
奥に進むにつれて広くなっていく構造のようだ。
そしてチラホラと目につき始めるゴブリンの姿。壁に背を預けるようによりかかり、グッタリとしているゴブリンが数多くいる。
——痛ましかった。
そのほとんどは体が痩せ細って手足は皮と骨だけのようになり、それとは対照的にお腹だけがぷっくりと丸く
「重度の栄養失調による腹水……か。初めて見た」
テレビの特番や学校の教科書などで、小さな孤児のお腹がぷっくりと膨れている写真を見たことはある。しかし実物を目にしたのは初めてだ。
小柄なゴブリンだけに、過去に見た小さな子供の映像がダブる。
「そりゃ、畑を荒らしたくもなるか……」
極限の飢餓状態になると片っ端から口に放り込み始めると聞く。瑞々しい果実は、さぞ美味しそうに見えたことだろう。
[ここだ。行け]
ひときわ広く明るい空間に出る。
そこの中央に堂々と座するゴブリンと、左右に控えるようにゴブリンが二体……よく見てみればアーニンとオットーだった。
と、いうことは——
[来たな、ニンゲン]
中央の父親ゴブリンが、ギラギラとした鋭い眼光を飛ばして、一行を歓迎した。
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