第22話「原因」

   第一章22話「原因」




 普段であれば誰もが家でそれぞれの時間を過ごす、静かな時間。しかし今は人々の緊張感のある声に満たされていた。

 薄闇に染まる空は重苦しく、今にも雨が降りそうな雰囲気を漂わせている。


「ぁ……?」


 ぽんやりと目を開けて、最初に目に入ったのは、今にも落ちて来そうな、そんな空だった。


「……知らない天井、みたいなことにはなってないみたいだな」


 どうやら意識を失って気がついたときの定番は回避したらしい。


 正しく、コウが気絶するかのように眠ってしまった場所のままだった。違いと言えば、手足に包帯が巻かれ、大袈裟に応急処置がしてある点くらいか。

 側にはリアエルも眠っており、呼吸も、顔色も正常な状態に戻っている。


「よかった……」


 無事な姿を確認できて安心する。


 不思議な力のあるファンタジー世界において、魅力ある響きを持つ魔法的な力の加護でも、こういうときは不便でしかない。

 回復系の加護でも使えれば医療の知識など不要だが、それを使えるものがいないと話にならないのだから、現実世界の医療技術が恋しくなってくる。


「ま、無い物ねだりしたところでって話だけど」


 無いものは無い。足りないならあるもので補うしかないのだ。

 この世界では、そうやって生きていくしかない。


「……本当に大丈夫だよな?」


 寝息を立てているリアエルに顔を近づけてよく見てみる。


 わずかに上下する胸。瑞々しく小さな唇から溢れてくる吐息。陰を落とすような長いまつ毛。

 震えるほどの美少女がすぐ目の前に。


「……おにいちゃん」

「っつぁい?!」


 すぐ背後から、怪しむような声がかけられて、コウの心臓は体ごと飛び跳ねた。


「ビクッたー、サラちゃんか……」

「……じょせいのねがおをまじまじ見るのは良くないってママが言ってた」

「ぅ、おっしゃる通りです……」


 小さな子供に正論をかまされてぐうの音も出ずに項垂れる。

 サラハナは地面に腰を置いて、分厚い本に視線を落としていた。


「サラちゃんが手当てしてくれたのか?」


 コクリと頷きが返ってくる。


 賢い女の子なのだ、今やっているように本などで手当ての仕方もどこかで覚えたのだろう。


「……パパがそのままようすを見てなさいって。あぶないから」

「危ない?」


 コクリと頷いたサラハナは、視線を本から離さずに指をさす。


「……なるほど」


 その先を追って見れば、大人たちが大声を張り上げて作業をしていた。

 火事に巻き込まれた村の復興作業や、その他諸々を行なっているのだろう。

 その作業に非力なサラハナの出る幕はないため、コウたちの看病に当てられた、と。


「サラちゃん?」


 パタリと本を閉じたサラハナは立ち上がる。


「……目がさめたらおしえなさいって村長が」

「おお、そうか。わかった」


 つくづく言いつけを守るいい子だな、とコウは思う。どう教育すればあそこまで品行方正な女の子に育つのやら。

 現実世界にいるやんちゃな妹とは似ても似つかないと、苦笑いを浮かべたのだった。


 村長に教えに行ったサラハナの背中を見送って。


「ふー……なんとかなったみたいだな。いちおうは」


 一息つき、冷静になった頭で辺りを窺う。


 ここから見える範囲では、村は原型をとどめている。黒焦げになって今にも崩れてしまいそうな小屋も見えるが、表面が焦げているだけなので、かんなで表面を削るなりすれば再利用はできるはず。

 火災の再発も無かったようで、ひとまずは安心だ。


 あとはリアエルが無事目覚めてくれれば、一件落着と思っていいはず。


「手伝いに行きたいけど、ここを離れるわけにはいかんよな」


 火災でダメになってしまった物を運び出している村人を見て腰を上げかけるが、思い直す。


 リアエルを一人にしてこの場を離れるわけにはいかない。

 彼女が頑なに人前でフードを取ろうとしないのは素顔を晒したくないからだ。目を離している隙に何をされるか。


 手当てをしてくれた人がサラハナでよかった。


「ほんとはそんな風に思いたくはないんだけど」


 この村の人々はみな慈愛に満ちている。よそ者で素性もわからないコウですら笑顔で迎え入れてくれた心優しき人々なのだから。


「思ったよりも元気そうじゃ。ご無事でなによりですな」

「じいさんか」


 立派なヒゲを蓄えた老人、村長がゆっくりと歩いてきた。隣には報告しに行ったサラハナもいる。


 村長は、おもむろに頭を深々と下げた。


「まずは村を救ってくれた英雄に感謝を。ありがとう」

「よしてくれ、俺が英雄って柄かよ」

「では小僧が良いかの?」

「よいよい、そっちのほうが気楽でいいよクソジジイ」

「ほっほっほ」


 何が面白いのか謎な笑いを上げて、村長は自慢のヒゲを撫で付ける。


「お主のおかげで村は救われた。正直ワシは諦めておったよ」

「おいおい」


 一番諦めてはいけない立場にいるであろう村長の口からそんな言葉が飛び出てきて、思わず誰かに聞かれていないか周りを確かめてしまう。


 ……サラハナがいたのだった。

 子供だからセーフということにして。


「じゃがお主は諦めなかった。他の村人も全員諦めなかった。その結果、なんとかなった。……願いとは通じるものなのじゃな」

「なにをいまさら。なんとかできると思ったから行動した。それだけさ」


 目の前にできることがあるのにやらないのは、もはや怠惰であり傲慢だ。村の人に良くしてもらった恩を忘れて惨劇から目をそらすほど薄情になった覚えはない。


 ゆえに当然の行いだと、少年は主張する。


「それで、火事の原因は特定できたん?」


 村一つを飲み込むような火災だったのだ、どうしてこんなことになってしまったのか知りたかったのだが……。


 コウの質問に、村長は首を振った。


「それがさっぱりなんじゃよ。以前火事が発生したことはあるのじゃが、そのときは加熱石かねつせきの暴走と原因は特定できていたし、ここまで大規模なものではなかった」

「加熱石……ああ、あれのことか」


 村長の言う加熱石とは恐らく、村長の家に行ったとき、お茶を沸かすのに使っていたあの不思議物体のことだろう。マライカ一家とお鍋を食べたときにも使われていた。


 名前からそこまで推察して、確かに今回の火事の原因が加熱石でないことはわかった。

 コウが見た炎は村全体を満遍なく覆っていた。つまり、村長の言う通り加熱石が出火の原因であるならば、あちこちで同時に加熱石が暴走しなければ理屈に合わない。

 原因が特定できないということは、他に原因があるということだ。


「それで? 村長的にはこれからどうするおつもりで?」

「お主のおかげで——」

たち・・、な。お主たち・・


 先程から言い忘れている複数形に直すよう訂正する。


 今回の一件に一番貢献してくれたのはコウではなく隣で眠っているリアエルだ。無謀で無茶なことをさせてしまったのだから、眠っているとはいえ少しくらい労われてもよかろう。


「——お主たちのおかげで村は救われたが、その被害は思っていたよりもひどいものじゃった。ひとまずは無事なワシの家に集まってもらうことになるのじゃが……」

「キャパオーバーか」


 沈み込む語気と表情に状況を加味し、先んじて言い当てる。

 村長の家は集会場も兼ねているためこの村で一番大きい。ほとんどの村人が集まれるくらいのスペースはあるが、生活となれば話は別だ。


「うむ。それにワシの家も炎に飲まれておったからの、何十人も入れて大丈夫なのかと少々心配での」

「道理だな。少なくとも以前より強度は落ちてると思ったほうがいいだろ」

「やはりそうか……」


 コウの言葉を聞いてどんどん落ち込んでいく村長。なんだか年寄りを虐めているような気分になってきて、心地が悪い。

 それに、落ち込み具合が半端じゃない。


「もしかして……まだなんか問題あんのか?」


 当てずっぽうに聞いてみると、無言の肯定が返ってきて、思わず「マジか……」とこぼしてしまう。


「村人がみな無事じゃったのは不幸中の幸いなのじゃが、食料がほぼ全滅での。食料庫の被害が一番ひどいのじゃよ。畑も同様じゃ」

「おいおい、食いもん無いとか兵糧攻めかよって……笑えねー冗談だぜマジで」


 戦さ場ではあえて殺さず負傷に留めさせることで、相手の首をジリジリと締め上げる戦法が一番えげつないと聞いたが、それに似たような状況に心が押しつぶされてしまいそうだ。


「どんくらい持ちそうなんだ?」

「ギリギリまで切り詰めて3日ほど……だそうじゃ」

「行商人は? 確かここまで来るんだよな?」

「先日寄ったばかりじゃから、期待できんの」

「近くの村とかに応援を要請するとか、逆に避難するとかは?」

「こんな辺境の地で、ここ以外に人は住んでおらん」

「じゃあちなみに聞くけど、人がいるところまでどれくらいで行けるん?」

「早亀を飛ばせば3日くらいかの」

「かめ……? いや、まぁそこはいいとして……」


 音の響きからして早馬の亀バージョンといったところか。この世界では乗れる生き物といえば馬ではなく亀らしい。

 現実世界では鈍足で有名な亀が足に使われているとは、ユニークな世界だ。


「そうだ、じゃあ伝書鳩とかは」

「でんしょばと?」

「ああ、なんでもない。俺が悪かった……」


 ひとまず思いつく解決策を片っ端から挙げていき、村長に次々とワンパンで粉砕されていく様は悪い意味で痛快だ。


「……なかなかの絶望っぷりじゃねーのよ」


 手で顔を覆って、せめて落ち込む自分の顔は見せまいとするコウ。せっかくここまでして救った村なのに、このままでは自滅の運命を辿ってしまう。


「復興の目処は立ってんの?」

「生憎、お主も知っておろうが人手不足での。このままでは無理じゃろう。人が少ないからこそ全員を救えたのじゃから、皮肉な話じゃ」

「万策尽きたー! ってか? 冗談じゃねぇ」


 万の策で足りないならば、億の策、それでも足りないなら兆の策を持って挑むのみ。


「つっても、言うは易し行うは難し、か」


 何も思いつかないようではただの無策。

 具体的な案が見つからなければ、動きようがない。


「違う違う、具体的な案を見つけるために、動くんだろーがよ、俺」


 自分の頬をパシンと張って、弱気な心を正す。


「サラちゃん」

「……なに?」


 ずっと側で持っていた本に視線を落としていたサラハナに呼びかける。


「リッちゃんの様子を見ててもらえるかな? 俺も手伝いに行きたいんだ」

「……わかった」

「サンキュー」


 形のいい頭を優しく撫で、随分と雰囲気の変わってしまった村へと足を踏み入れる。


 焦げ臭さがどこまでも充満していて、コウは顔をしかめた。


「残り火の処理はしっかりできてるみたいだな」


 所々に水がかけられて湿っている焦げた木材がある。これならば大丈夫だろう。


 しかし村長の言っていた通り、助かったものの被害は甚大で、果たしてこれは「助かった」と言っていいものか、疑問に感じてしまうほどだ。

 多くの村人は使えそうな物を選定し、村長の家のそばまで運び出している。

 そんな様子を尻目に何かないかと村を歩き、鼻が焦げ臭さにも慣れてきたとき、コウはそれを発見した。


「これは……刀傷? じゃないな。もしかして爪痕、か?」


 指を這わせ、伝わって来る感触からそう推察する。


 小屋の裏側、真っ黒に焦げてボロボロになった壁に、わかりづらいが細長い凹みが連なっている。


 まるで——爪痕のように。


 この村にいる動物は家畜くらいで、ここまで深く刻めるほどの爪を持つ動物はいないはず。


「向こうの小屋はどうだ?」


 作業の邪魔にならないように人気の少ない小屋を選び、周囲をぐるりと周りながら目を凝らす。


「……あった」


 やはりその小屋にも同じような爪痕が刻み込まれていた。


 ——あっちの小屋にも。

 ——こっちの小屋にも。


「何軒か見て回った限りでは、全部にあるな……」


 火事の原因の輪郭がハッキリとしてきた。

 が、このままでは決定的な証拠にはならない。


「お、いいのあんじゃん。ちょいと拝借っと」


 爪痕の刻まれた被害の少ない板材が剥がれ落ちていた。


 それを拾って川辺まで持っていき、愛用のショルダーバッグから取り出したのは、メタルマッチ。火起こしのときに使った強力な火打ち石だ。

 さらにモーラナイフを取り出し、峰の部分をメタルマッチに押し当てて構える。

 狙いは、爪痕。


 ナイフを滑らせ、バヂヂヂヂッと前方に火花が飛び散る。


「——ビンゴ」


 そう呟くコウの目の前では、一発で簡単に火が着いてメラメラと燃え盛る炎が、揺らめいているのだった。




   ***




「ぅ……ん」


 天上のハープのような吐息を漏らしてリアエルは目を覚ます。


 真っ黒に染まった空をしばし無言で見つめてから、ようやく自らに何が起こったのか理解に及んだ彼女は慌てて身を起こした。


「火事は?! ……収まってる……?」


 宵闇に紛れて、真っ黒に焦げた小屋が散見されるが、原型はとどめている。脳裏に焼き付く真紅に染め上げられた光景とは打って変わって、黒く冷えた鉄のように村は重苦しい。


 それでも無事に消化ができたことに安堵し、リアエルは胸を撫で下ろした。


「……おねえちゃん」

「っひゃん?!」


 安心し切った途端背後から声がかけられ、落ち着いた心臓が一気に跳ね上がる。


「……おはよう」

「お、おはよう。いたのね」


 すぐ傍には、借りてきた猫のように大人しい少女、サラハナが地面に腰を下ろして読書をしていた。


 全く気配を感じなかった。

 リアエルは内心の激しい鼓動に胸を押さえ、涼しい顔をしているサラハナを見つめながら取り繕うも時すでに遅し。


「えっと……?」

「……おにいちゃんならおてつだいに行ってるよ」

「え? どうしてそんなこと——」

「……キョロキョロしてたから」


 本から視線を外さぬままに、サラハナはリアエルの心情を読み取った。

 何もかもお見通しか。


 あのとき、少年の身に気を配るほどの余裕はなかった。だから大事ないかと直前までそばにいたはずの少年の姿をつい探していた。


 スークライトもそうだったが、この兄妹は何かおかしい。人間でありながら、加護とは違う人間を超越した能力を宿している。

 リアエルにはそのように感じられた。


「——っいしょっと。おはようリッちゃん」


 訝しんでいると、あのお調子者の声が。


 見てみれば、バッグとは違った荷物を小脇に抱えていて、それを地面に置いているところだった。


「目が覚めてくれてよかった。具合は? 調子はどうなん?」


 近づいてきてしゃがみ込み、純粋な心配の瞳を差し向ける。

 思ったよりも元気そうで、ピンピンしていた。心配するだけ損だったか。


「平気よ。キミのほうこそ大丈夫なのよね?」

「おかげさまでな!」


 ニッカリと笑って親指を立てる少年。


「そう、ならよかった。それよりなにがどうなったのか、教えて」


 自分は不覚にも気絶してしまったようで、つい先ほど目が覚めたばかり。いきなり様変わりした村を見せつけられて、状況に追いつけていない。


 その点、この少年ならば事情に精通していそうだし、村人よりも話を聞きやすい。


「ああ。リッちゃんのお陰で村も村人も助かった。けどこのままじゃ近いうちに自滅するかもしれん」

「自滅って……どういうこと?」


 カトンナ村は助かったのではないのか? 少年の指示と、リアエルの加護の力によって救われたのではなかったのか?


 リアエルの疑問に、少年は肩をすくめながら答える。


「被害が想像以上でな、特に食料がヤバイらしい。持って3日かもってさ」

「なにそれ、大変じゃない!」


 事の重大さをすぐに理解し、リアエルは声を上げる。


 地図でさえ端っこの、こんな辺境の地でひっそりと自給自足を営んでいた村で応援なんか期待できない。

 この村の中だけで解決しないといけないことなのに、いくらなんでも制限時間が短すぎる。


「————」


 そしてリアエルは違和感を覚えた。


 八方塞がりのこの状況で、少年は余裕そうな態度。

 諦めが針を振り切って、自棄になっているのか。

 いや、そんなはずはない。短い付き合いだが、この少年のことはある程度わかってきた。


「……キミ、なにか考えがあるの?」


 半ば確信を持ってそう聞くリアエルに、少年は鼻を鳴らす。


「——コイツ、リッちゃんなら見覚えないか?」


 少年は小脇に抱えていた荷物を地面に立てかける。

 それは小屋の壁などに使われていた板材だった。比較的被害の少ないそれの表面を見せるようにして、少年は一部を指差す。


「あっ、それってもしかして——」


 確かに、見覚えがあった。

 リアエルのその反応だけで、少年は満足したように力強く笑う。


「火事の原因は不明って村長は言ってたんだけど、やっぱり間違いなさそうだな。原因は——」


 少年は黒く染まった村を見て、何かを決意するように呟く。


「——2ドルウルフだ!」

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