第21話「定番」

   第一章21話「定番」




「みんな時間ギリギリで俺に鬼が移るように計算してるだろ絶対……」


 こんなのは認められないと、悔しがる情けない声が原っぱに響く。


 合計で四回行われた鬼ごっこ。その全てがコウの負けという散々たる結果に終わった。

 最後の最後に至っては全員で結託していたんじゃないかと邪推さえしてしまう。


「変な言いがかりはやめなさいよみっともない。潔く負けを認めなさい」

「リッちゃんキビシー!」


 ぐちぐちと文句を垂れるコウを一刀両断。


「でもそんなところもたまらない!」


 変な性癖が目覚めつつあるコウを冷めた眼差しで見つめるリアエル。


「キミって後ろ向きなのか前向きなのかわからないわよね……」

「そんなの前向きに決まってんでしょーが。たまにムーンウォークしてるだけ!」

「ああ、はいはい。むうんうぉーくむうんうぉーく」


 コウが何を言っているのかわからないリアエルは適当にあしらって、手に持っていた包みを広げる。


 それはマライカの妻、ラーカナから預かったお弁当。

 これを食べるために一時休戦——いや休憩タイムだ。


 一番見晴らしのいい丘の上で、スークライト、サラハナ、アーニン、オットーもお弁当を囲むように集まっている。腹時計的にはおやつになるだろうか。


「待ってましたラーカナさんのお手製弁当!」


 ラーカナが作る料理はどれも絶品であることはすでに己の舌で二度も味わっている。すっかり彼女から生み出される味の魅力の虜になってしまった。

 もはやお腹を空かせるために鬼ごっこをして走り回ったのだと言っても過言ではあるまい。


 本来の目的からは外れているが、あながち間違ってもいなかった。


 コウはゴブリンの言葉で弁当を差し出す。

 それを怪しむような目で見るアーニンとオットー。


[お前らも食え! 超うんめぇから!]

[我らがニンゲンの料理を……?]

[毒など入っていないだろうな……?]

[失礼なやつらだな! そんなことするわけないだろ?! それに俺らだって同じの食うんだから、それじゃ共倒れになんだろ?]

[しかしだな——]

[いいから食えってんだよ!]


 なおもラーカナの手料理を疑うゴブリン兄弟に痺れを切らしたコウは無理やりアーニンの口に何かの肉でマトマを包んだ、ベーコントマト的な食べ物を口に詰め込んだ。


[もがぁ?!]

[どうだ?! うんめぇだろ?!]


 コウが作ったわけでもないのに渾身のドヤ顔を決め込む。


 最初は恐る恐る咀嚼していたアーニンも、すぐに大きな目をさらに大きくして、舌鼓を打つ。


[確かに旨い……ニンゲンはいつもこのようなものを食していると言うのか]

[おうよ。誰もが毎日こんな美味いものを、ってわけじゃねぇけどな]


 ラーカナの腕前が特別に一級品なので、全ての人間がこの美味しさを知っていると勘違いされては困る。


[だからよーく味わえよ。そしてその舌に味をしっかりと刻み込んでおけ。俺だって滅多に食えねぇんだから]


 さらに言えば、ラーカナにはゴブリンと遊ぶことは言っていないため、量は二人分少なくなっていて希少価値はより上がっている。

 ゆえに大切に食べなければバチが当たる。食べ物の恨みはいつの世、どの世界でも恐ろしいものなのだ。


[オットーも変な遠慮なんかしてないで食え。毒味なら兄貴が済ませただろ?]

[おいコウ! 今のは聞き捨てならぬぞ!]

[それもそうであるな。頂こうではないか]

[弟よ?!]


 まさかの弟の裏切り的な発言に仰天する兄貴。


 そんな兄貴を差し置いて、オットーはそっと弁当の肉団子を摘み、口に放り込んだ。さりげなく弁当の主役である肉を掻っ攫っていくあたりは、抜け目ない。


[確かに……これは美味であるな]

[だろ? 運動した後だからさらに美味い!]


 コウは自分のことのように喜び、満足げに笑う。


 スークライトもサラハナも、母親が作ってくれたお弁当を片や慌ただしく、片や大人しく食べている。


 天野家では長男として振舞っていたコウだが、なんとなく親の気持ちがわかったような気がして、ついつい優しい目になる。


 内心では少し心配していたゴブリンとの接触も、上手くいった。今では馴染んでいると言ってもいい。

 コウの想像以上に、この場にいる子供達は友好的だったのが功を奏した。

 ゴブリンの危険性を、人間の危険性を、それぞれ言い聞かされていたらどうなっていたことか。


 できればリアエルも心を開いてもらえると完璧だったのだが……。


「…………」


 彼女はゴブリンから距離を取った位置に座っている。

 本人は無意識かもしれないし、スークライトとサラハナがしれっとゴブリンの隣に座ったから遠い位置にならざるを得なかっただけかもしれない。


 それでも、ゴブリンを殺そうとしていた最初の頃と比べれば、大きな進歩と言えよう。


「リッちゃん」

「……ん。なに?」


 口元に手を添えて、上品に咀嚼しているリアエルに声をかけ、飲み込んでから返ってくる反応。それを待ってから、コウは気になっていたことを聞いた。


「どうだった? 鬼ごっこ。楽しかった?」

「…………ま、まぁまぁかしらね」

「そか」


 素直でないように見えて素直な返事に満足したコウ。

 実は、側から見て一番鬼ごっこに熱中していたのはリアエルだったのだ。


 何しろ加護の力を使ってまで生き残ろうとしたのだから。


「でもやっぱ【風繰りの加護】を使うのは俺としてはずるいと思うわけよ」

「禁止しなかったキミが悪いのよ」

「いやまぁそうなんだけど……」

「それにキミにしか使ってないわ」

「そうだったん?!」


 言われてみればそうだったような気がしてくる。


 風は目に見えないからてっきり他の人にも使っているかと思っていたら、まさかの嬉しくない特別扱いをされていたという事実。


 腕を組み、自分だけの反省会を開く。


「次からはちゃんと加護の使用は禁止にしよう。それから……いや待てよ? そしたら俺誰とも話せなくなるんじゃね? そもそも加護を使わないってどうやればいいのかよくわからん。じゃあ禁止にできないじゃん! どうすりゃ勝てんのよ俺!?」


 最初は自信満々で挑んだ鬼ごっこなのに、負けが続いたせいか勝ちのビジョンが浮かんでこなくてコウは頭を抱える。


 そうこうしているうちにもラーカナお手製弁当は着々と減っていき——


「おいしかったー!」

「……うん」


 スークライトとサラハナがほっこりとした顔でお腹をさすり、


[今まで食したことのない味であった]

[この味はいったいどうやって出しているのであろうか……]


 兄弟ゴブリンは未知の美食に出会い、真剣に自分の住処で再現できないか考えていた。


「あんときこうしてれば——あれ、俺の分は?」

「もう無いわよ?」

「めちょっく!」


 お弁当の中身がすっからかんになっていることにようやく気づき、オーバーリアクションするコウ。


 もともと二人分も少ない量であったし、遠慮という言葉を知らない育ち盛りの子供が四人もいる。こういうことにもなろう。

 この際、全然食べられなかったことは気にしても仕方がない。そう、仕方がないのだ。


 すでに無くなってしまったものを嘆いても戻ってくるわけでもないし——と胸の内に渦巻く後悔をねじ伏せて、コウは立ち上がりお尻を叩く。


「さて、休憩も終わったし、第二部と行くか?」

「あ、それなんだけど……」


 反省点もそれなりに見えたし、やる気も満々で準備体操をしているコウに、リアエルは遠慮がちに手を挙げた。


「ちょっと村で何かあったみたいなの。キミを探してるみたい」

「うぇ? どうしてそんなこと……あ、〝風の噂〟か?」

「ええ」


 リアエルは【風繰りの加護】の能力ちからで、遠くにいる人の声を聞くことができる。まだ使いこなせていないため、思うような効果を得られないのが難点だが。

 今回も、たまたま声が耳に入ったのだろう。情報も断片的で、いまいち要領を得ない。


 とはいえ、これを無視してこのまま遊び続けることはできない。求める声には応えてやりたいと思うのが、アマノ・コウという少年の在り方だ。


[すまん! ちょっと用事ができちまった! 今日のところはここまでで解散! ってことにしたいんだが、いいか?]


 勢いよく両手を合わせてゴブリンに頭を下げる。


 兄弟ゴブリンをずっと森の入り口付近で待たせていることへの謝罪も込めたお願いだ。


[俺はまた明日もここに来るつもりだ。まだまだお前らとやりたい遊びもあるし! 埋め合わせは必ずする!]


 頭を下げた彼の後頭部を釈然としない表情で見つめていたアーニンは、小さなため息を一つ。


[……致し方あるまい。美味な飯に免じて、今日のところはよかろう]

[サンキュー!]


 アーニンからお許しをもらい、パッと顔を明るくするコウ。


[何時になるかわからんけど、必ず来る!]


 ゴブリンと約束を交わし、お弁当を片付けた一行は村へと踵を返して兄弟ゴブリンと別れ、束の間の楽しい時間は終わりを迎えたのだった。




   ***




 みんなで手を繋ぎ、和気藹々とした雰囲気で歩く四人。いい汗をかいた疲労感と、適度に膨れた胃袋がいい気分にしてくれる。


 そんな夢見心地も悪くないが、現実を忘れてはならない。

 村に着く前に、スークライトとサラハナには釘を刺しておかなければ。

 それもしっかりと、だ。


「スー君サラちゃん、ゴブリンと遊んだってことは、誰にも言っちゃいけないよ?」


 村の大人たちのゴブリンに対する負の感情は確かなものだ。実害もある。


 それなのに元凶であるゴブリンと遊んできたなどとバラされては、良好な関係に亀裂が走るかもしれない。

 そうなっては『ゴブリンと仲良くなっちゃおう大作戦』はご破算となってしまう。


「わかったー!」


 スークライトは相変わらずのイエスマンで元気に了承が返ってくる。本当にわかっているのか逆に心配だ。

 そしてしっかり者のサラハナの説得には苦心しそうだと身構えていると——


「……わかった」


 あろうことか頷きが返ってくる。


「わかってくれちゃうのか……」


 絶対に「なんで?」「どうして?」と首を傾げられるとばかり思っていたのに。


「……だってゴブリンの話するとき、みんなこわい顔するから」


 うつむきながらサラハナがポツリとこぼす。

 しっかり者がゆえに、なぜ口止めをされたのか理解しているということだ。


「サラちゃんは怖かったか? ゴブリン」

「……さいしょは」

「今は?」

「こわくないよ」

「マジで偉いなこの子ぉ!」


 健気な振る舞いに、涙がちょちょぎれそうになる。

 あと数年生まれるのが早ければ惚れていたかもしれない。


「まぁ仮にそうだったとしても? リッちゃんが不動の一番ですけどね!」

「急になに言ってるのよ。ほら、見えてきたわよ」


 リアエルが指差す先に、お世話になっている村が見えてきた。


「……なんか、様子変じゃね?」

「……そうね。煙でも焚いてるのかしら」


 まだ遠く先、モクモクと黒い煙が立ち上っている。


「いや、あれは違う……火事だ!」


 リアエルが言っている煙とは恐らく焼畑農法による煙のこと。しかし明らかに時期ではないし、どう見てもそれとは煙の色が異なる。

 黒い煙は化学製品などが不完全燃焼した際に発生する炭素が原因で真っ黒に染まる。この世界に化学製品と呼べるものが存在しているかは疑問だが、まず火事で間違いあるまい。


「スー君!?」


 火事かもしれないとわかるや否や、スークライトは繋いだ手を振りほどき、自慢の足を全力全開にして突っ走る。


「スー君待った! ——くそっ、俺らも急ごう!」

「ええ!」


 何も知らない素人が火事に迂闊に近づくと取り返しのつかないことになる。


「サラちゃん、おんぶするからしっかり掴まっててな!」

「……うん!」


 軽くて小さな体を背負い、先走ったスークライトを追って二人は駆け出す。

 村人が無事であることを祈りながら、とにかく急ぐ。


「ああクソ! 最初の村を少し離れたら焼かれる。こんな定番イベントの存在を忘れるなんて! クソ! クソクソクソ!」


 歯軋りしながら悪態をついて自らの失態を責めるコウ。

 今までの経験則から当てはめれば、これくらいすぐに思い当たりそうなものなのに。


「文句を言っても仕方ないわ! 〝疾風はやての追い風〟!」


 リアエルが持つ【風繰りの加護】で追い風を作り、足の速度と体力の温存を図る。


 息を切らして村の入り口に辿り着くと、辺り一面は焼け野原と化していた。

 肌をチリチリと焦がすような熱波が視界を焼き、濃く染まった煙が空を曇天のように覆う。


 もしや手遅れだったか——そう思った矢先、聞き覚えのある声が駆け寄ってきた。


「コウさん! リアエルさん! サラ!」

「マライカさん! よかった!」


 顔や服が煤けて汚れてはいるものの、大きな怪我などはしていない。マライカの背後、村はずれの隅には他の村人の姿もある。

 考えうる最悪のシナリオ、全滅は免れたようだが、このままでは村の全焼は避けられない。


「状況は?! なにがどうなってるん?!」


 サラハナを背中から下ろしてマライカに預けつつ、現状の確認。


 すると、炎の壁から飛び出してくる小さな人影。

 それは真っ先に飛び出していったスークライトであった。頭上にはグッタリとした大の大人が抱え上げられている。


「パパ! これでだいじょうぶだよー!」

「スー君?!」

「よし! 村人全員の無事はこれで確認できました! ですが、原因は未だ不明のままです」


 スークライトのありえない光景を目の当たりにしながらも、マライカはそれを当たり前のように受け取って報告してくる。


「ああクソ、詮索はあとあと! とにかく火を消さないと!」


 いろいろなことが起こり過ぎて混乱してくる頭を振って、余計な情報はひとまず隅に追いやる。


 火の勢いは衰えを知らず、このままでは村全体が黒焦げになる。それだけはなんとかして避けたい。


「つっても消防車なんか呼べるわけないし……」


 熱気に炙られてオーバーヒートを起こしそうな頭を必死に回転させて、現状を打破できる案を模索する。


「いま村の大人たちが協力して川の水をかけてますが全然手が足りないんです。リアエルさん、力を貸してくださいませんか!」

「わ、私?」


 切羽詰まったマライカはリアエルに助けを求めた。


「畑に水を与えたときのように水を撒いて欲しいんです! できますよね?!」


 細い肩を掴んで揺さぶるようにせがむマライカ。普段は冷静沈着な彼でも、この状況で落ち着けというほうが無理な話だろう。


「わ、わかったわ! とにかくやってみる!」


 マライカの必死さに負け、リアエルは頬を固くしながらも頷く。そして走るマライカの案内についていった。


 コウは火事の光景を目に焼き付けるかのようにその場に立ち尽くし、全体を眺めるばかり。


「……ダメだ、それじゃ間に合わない」


 現実世界において、火災の消火に使われる水の量は規模によって大きく変動するが一件につき平均約10000リットルと言われている。重さにすれば約10トン。

 リアエルが一度に運べる水の量は30トンほどが限界。つまり一回で三件の消化が可能な計算となるが、そんなものは机上の空論でしかない。


 ホースで水を飛ばすのと雨のように降らせるのとでは効率が違うし、プロと素人の違いだってある。

 それがいったい何件発生している? どの程度の規模で広がっている?

 その方法では全てを救うことはできない。




 ——




 水をかけて一部を確実に救うか。結果のわからない博打で全てを救うことに賭けるか。

 合理的に考えれば、一部でも確実に救う判断を下しただろう。


 ただし、アマノ・コウという少年に、合理的な思考を期待するのは間違っている。


「やるっきゃねぇ。なんてったって俺は、ワガママだからな!」


 決意し、決断した少年の瞳にもはや迷いは一欠片もない。

 一直線に駆け出して向かった先は、起死回生の可能性を握っているリアエルのもと。


「リッちゃん!」

「なによ?! こっちは集中しなきゃいけないの!」


 川の水を【風繰りの加護】で持ち上げ、大きな水球を空中に浮かべながらリアエルは怒鳴る。

 事は一刻を争う。コウの相手などしている場合ではないだろう。


 その間にもせっせと村人はバケツリレーで手近な炎に水をかけ続けている。それでも、火災の勢いはとどまることを知らない。


「そのやり方じゃ間に合わない! 俺に考えがある! 力を貸してくれ!」

「他にどんな方法があるっていうのよ?!」

「詳しく説明してる時間はない! 決めてくれ、水をかけ続けて『一部を救う』か、俺の賭けに乗って『全てを救う』か!」


 コウの言葉に目を見開いたリアエルは、巨大な水球を一気に拡散して村中にばら撒いた。




「——全てよ!!」




 即決したリアエルの決断力に心を打たれたコウは、不敵な笑みをこぼす。


 ——やっぱりこの子は最高だ!


「リッちゃんなら、そう言ってくれると思ってたぜ!」


 迷いのない彼女の一言に背中を押され、コウの決意はさらに漲る。


「マライカさん、本当に村人は全員避難したんだな?!」

「はい、間違いないです!」

「うしっ、危険だから安全なところまで村から離れてくれ。俺がいいって言うまで絶対に近づいちゃダメだから!」

「いったいなにを——」

「頼む! 絶対に救ってみせるから!」

「……わかりました」


 コウの揺るがぬ意思をその瞳に感じ取ったマライカは固く頷く。村人全員に声をかけ、バケツリレーを中断させて村人は村から離れていく。


 それを見送りつつ、背後に立つリアエルに向けて、


「リッちゃん、加護の有効範囲はどれくらいだ? ここから村全体までいける?」

「……流石に厳しいわ。村の中央に行ければいけると思う」

「上出来上出来! じゃあ行こう!」

「村の中央に?! 死ぬわよ?!」


 炎の中に飛び込もうとしたコウを引き止めて、リアエルは怒鳴る。

 自殺しにいくようなものなのだから、当たり前だろう。


 振り返る彼の顔には、恐怖の色は無い。

 そこに在るのは、全幅の信頼のみ。


「死なない。リッちゃんと一緒なら!」

「……キミのバカが移ったのかもしれないわね。どうなっても知らないんだから!」

「そうこなくっちゃ!」


 駆け出すコウの背中を追いかけながら、リアエルは【風繰りの加護】を使って炎を遠ざけ、道を作る。


 村全体を飲み込む業火を肌に感じ、汗が滝のように溢れ出す。

 チリチリと肌を突き刺すような痛みに、薄い空気の息苦しさ。

 あらゆる要素において、リアエルの加護がなかったらあっという間に動けなくなり、焼死していただろう。


「この辺りだ」

「ええ、ここなら全体に届くはずよ」


 村の中央に辿り着いた二人は頷き合う。


「それで、なにをするの? 私はどうすればいい?」

「村全体を真空状態にして窒息消化する」


 燃焼の三要素『可燃物・酸素供給体・点火源』そのいずれかを除去することによって、火は消える。

 窒息消化は酸素供給体を断つ消化方法だ。


「しんくう……? 私にもわかるように説明して! 時間がないんだから!」

「火に風を送ると大きくなるのはわかるよな? 焚き火でやってたろ?」

「ええ」


 あのときのリアエルは否定していたが、やはり加護で風を送って火起こしのアシストを行なっていたらしい。

 それどころではないからリアエルは気づかない。


「その逆で、風を送らなければ火は大きくならない。だからリッちゃんには村の外側に向けて風を起こしてもらって、空気の無い状態を作ってもらいたいんだ。それが真空状態ってやつ」

「でも、そんなことしたら——!」


 当然、中心にいるリアエルとコウは空気の無い場所で呼吸ができない苦痛に耐えなければならない。


「これはリッちゃんにしか出来ないことだし、リッちゃんなら出来ることだ! あとは信じてるぜ! さあやって!」

「どうなっても知らないから! 恨まないでよね!」

「恨むどころか愛してるぜー!」

「調子いいんだか——らっ!」


 リアエルは両手を広げ【風繰りの加護】を全力発動。

 リアエルを中心に押し広げられるように風が流れ、村の空気がみるみるうちに薄くなっていく。


 ビキビキッ——


「あぐっ?!」


 気圧の急激な変化に耳が悲鳴を上げた。


 同じ条件であるはずのリアエルが歯を食いしばって力を使っているのだ、ここで自分が弱気になるわけにはいかない。

 周りの炎に酸素を奪われ、リアエルの加護で空気が遠ざかり、ひたすらに息苦しくなる一方。


 泣きそうだ。吐きそうだ。死にそうだ。

 でも、泣くわけにはいかない。吐くわけにはいかない。死ぬわけには、いかない。


 こんなところで、女の子一人に重荷を背負わせるわけには、いかない!


 ちょっとでも、その重荷を背負ってあげられたら。

 ただそれだけの理由で、たったそれだけの理由で、コウはリアエルの隣に立つ。

 とどまるところを知らなかった炎の勢いは、どんどん弱くなっていく。


 同時に、自らの意識が遠ざかっていくのを感じた。


「は……っ……は……っ」


 目の前は霞み、呼吸の仕方を忘れてしまったかのようにおぼつかない。末端は痺れ、どうして立っていられるのか、疑問に思う余裕すらない。

 こんなものリアエルの負担と比べたらどうってことない。

 コウと違って、彼女は加護まで使っているのだから、心身の負担は比べるべくもない。


 凝縮された苦しみの時間は、まるで一瞬を永遠のように感じさせる。


 いつ終わる。いつ消える。いつまでかかる。

 早く終われ。早く消えろ。

 早く、早く、早くはやくはやくはやくハヤクハヤクハヤク——!!




「——っつぁは?!」




 唐突に、肺の中に空気が。


 水面に顔を出したように本能が酸素を求め、何度も呼吸を繰り返して体の欲求を満たしていく。


 ようやく落ち着いてきた呼吸をどうにか整えると、霞んでいた視界も次第にクリアになっていく。


「リッちゃん……?」


 リアエルは、両手を広げ仁王立ちしたままピクリとも動かない。


「リッちゃん!」


 そのまま後ろに倒れてくる体を受け止めた。

 勢いで被っていたフードが外れる。


「なんつー汗! 呼吸も浅い!」


 リアエルの顔面は血の気が失せて蒼白になり、魂の質量すら失ってしまったかのように、その体は軽かった。


「リッちゃん! リッちゃん!!」


 揺さぶりながら強く呼びかけても反応が返ってこない。痙攣した瞼は、意識が朦朧としている証。

 このままでは危険だ。


 周りを見てみると、村全体を覆っていた火災は見事に鎮火されていた。

 動くなら今しかない。


 コウはリアエルの体を抱き抱え、来た道を急いで戻る。


「マライカさん! どこにいますかー?!」

「コウさん! どうしたんですか?!」


 コウの必死な呼びかけに応え、遠くから様子を見守っていたマライカが慌てて駆け寄ってくる。


「見ての通り、村の火災は収まった。まだ火が燻ってるところがあるかもしれないからしらみ潰しに探して処理してくれ」

「わかりました。けど……リアエルさんは?」

「ここで安静にしてれば大丈夫、なはず」


 酸素吸入器でもあればよかったが、もちろんそんなものはない。

 とにかく火災によって酸素が薄くなっている村から離れ、リアエルに自らの力で酸素を取り込んでもらうしか手段が思いつかなかった。


 マライカはリアエルの身を案じながらも、コウの指示に従って早速村人に指示を出し、再び火災が発生するのを防ぐため、残り火の処理に向かった。


「ここならいいか、な……」


 脚の長い草が生えている地帯を見つけ、比較的柔らかい地面にリアエルをそっと寝かせる。


「っだぁぁ〜〜……」


 力の抜けたコウは、手足を投げ出して大の字に。


「も〜無理。さっきので三回くらいは死んだ気がする……」


 村を全焼から救った英雄は、そのまま力尽きるように意識が現実から切り離されたのだった。

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