第17話「花かんむり」
第一章17話「花かんむり」
両手を握る小さな手から伝わってくる高い体温。右手は強く握られてブンブン振り回され、左手は対照的に優しく添えられるかのようにおとなしい。
「立ちはだかるかべ突き抜けてーっ♪ むかう先にはおひめさまーっ♪ 大切なしめいをその手にやどし、いざ行けその名はアルギトスーっ♪」
跳ねるように元気よくリズムに合わせて右手を振り回しているのは、子犬のように人懐っこい少年——スークライト。
コウは聞いたことのない歌に耳を傾けて、音程も強弱もバラバラな、子供らしい舌ったらずな歌声に元気をもらう。
「スー君歌上手いな! 天才かっ!?」
盛大な拍手を送ってやりたいところだが、あいにく彼の両手は埋まっている。そのため全身全霊の賛美を送って代替とした。
屈託ない笑顔で「えへへー」とはにかむ少年には心から癒されてばかりだ。
「それ、なんて歌なん?」
という質問に答える声は、左手側から聞こえてきた。借りてきた猫のようにおとなしい少女——サラハナだ。
「……勇者アルギトスのさんか」
「ほお、勇者とな。初めて聴いたわ」
やはりファンタジーな世界観だけあって、ごっこじゃない勇者の名前が出てくるとは、よりファンタジー感増し増しである。小さな子供が知っているくらいだから、有名な歌で、勇者アルギトスとは偉大な存在なのかもしれない。
次の声は背後から。
「ふーん……記憶喪失の話、実はちょっと疑い始めてたんだけど、やっぱり本当なのね」
「嘘をつくのは嫌いなんでね!」
「よく言うわよ。ベッドの件忘れてないからね」
しんがりのように後ろをついてくるリアエルから意外そうな声が上がり、コウは背中に向けて自信満々に胸を張るが早速前科を突かれた。
畑の知識などがどうにも豊富すぎて記憶を失っているという話を疑ったようだが、リアエルの疑いはすぐに晴らされた。そもそも記憶喪失なのが見当違いであることは、この際はご愛嬌ということで脇に置いておくとして。
「リッちゃんも知ってるの? 勇者アルギニンの賛歌」
「ア・ル・ギ・ト・ス! 知らない人なんてキミくらいなものよ」
アミノ酸にされてしまった勇者の名前を、腕を組んで訂正するリアエル。彼女が言うには世界的に有名な歌のようで、もし知らない人がいたら生粋のもぐりらしい。
それくらいに知名度の高い歌ならば、好奇心旺盛なコウの興味を引くには充分だった。
「こういうのってなに? 英雄譚っつーの? 吟遊詩人が歌って広まる感じなん?」
「そうね、だいたいそんな感じかしら」
コウの質問にリアエルは頷く。
世界を渡り歩き、各地で伝説や伝承といった話を歌に乗せて人々を楽しませてくれる吟遊詩人。羽根つき帽子を被り、ハープだかなんだかよくわからない弦楽器をかき鳴らしているイメージを強く持っているコウだが、この世界では吟遊詩人とはどのようなものなのだろうか。
なんだかんだでファンタジーに対するコウのイメージは今のところ守られてきている。もしかしたらこの世界でも吟遊詩人はイケメンなのに根無し草の一匹オオカミが担当しているのかもしれない。
そんな想像をよそに、リアエルは悲しげに息をつく。
「でも、賛歌とは言ってるけど英雄譚でもなんでもない悲しい内容よ。私はそう感じる」
「えっ、そうなん?」
スークライトが元気よく歌っているからか、そのような後ろ向きなものには聞こえなかった。どうもリアエルとスークライトの間には、歌詞の受け取り方に決定的な差異があるらしい。
「勇者って魔王を倒す存在でしょ? お姫様を救えても、魔王を倒せなければ意味がない。勇者にはなれても、英雄にはなれなかった……そんな歌よ」
魔王を倒し、世界を救うのが勇者。
魔王を倒し、世界を救ったのが英雄。
勇者アルギトスは魔王を討つ使命を果たせず、英雄になり損ねた——だから英雄譚でもなんでもない悲しい歌。
どこか悲観的なリアエルらしい解釈とも言える。
「そいつは違うよリッちゃん」
首を振り、目を細めながら真っ青な空を見上げてコウは言う。
「誰かを救うってことは、その人の世界を救うってことさ。リッちゃんが俺のことを助けてくれなかったら、あのときに俺の世界は終わってた。俺にとってリッちゃんは立派な英雄なんだよ。みーんなの勇者、誰かの英雄。それでいいと思う。魔王がどうとかはあんま重要じゃないんだ」
だから、アルギトスは使命を全うした。お姫様を救い出し、お姫様の世界を救ったのだ。褒め称えられて、歌となり後世へ語り継がれるべきなのだ。
「『誰かを救うことはその人の世界を救うこと』『みんなの勇者、誰かの英雄でいい』ね……」
コウの言葉を繰り返し、目を瞑るリアエル。その表情は薄く微笑んでいたことを、前を歩くコウは知る由もない。
「……キミもたまにはほんのちょぴっとだけまともなこと言うのね」
らしくなく真面目な雰囲気のコウに違和感を感じて、茶化すようにリアエルが言うと、
「お褒めに預かり光栄です!」
「皮肉のつもりだったんだけど?!」
やっぱりいつもと変わらない、やかましさ全開のコウだった。
他にも何かコウの知らない逸話などがあったら考えは変わるかもしれないが、少なくとも今は、話を聞いてそう感じた。
そのあとはコウも一緒になってスークライトに合わせ、歌いながら歩き続ける。何度もリピートで同じ歌を歌うものだからすっかり覚えてしまった。
歌を歌い終わり、また冒頭から歌い始めようとしたとき、タイミングを計っていたリアエルが「ところで」と間に差し込んできて、いったん中断される。
「どこに向かってるの? このままだと〝名前のない森〟に行っちゃうけど」
コウが先導し、子供二人とリアエルを引き連れて歩いている形だ。どこへ向かっているのかはまだ明かされていない。
一抹の不安を覚えたリアエルは念のために聞いてみると「半分正解」とよくわからない返事が返ってくる。
「どういうこと?」
「〝名前のない森〟方面だけど、そこまでは行かないってこと」
首だけで振り返る彼の顔はいたずらっぽい笑みを浮かべていて、あぁ何か企んでいる、とリアエルに思わせるには充分だった。
それからしばらく歩くと、色とりどりの花が咲き乱れる野原へとたどり着く。
「ふーむ……この辺なら見晴らしも良いし、ちょうど良いかな。ラーカナさんお手製弁当もあるし、可愛い系のレジャーシートでもあれば完璧だったんだけど」
立ち止まったコウは周囲を一望してからそう呟き、両手を離すと腰を落として子供二人と視線を合わせる。
「ここでリアエルお姉ちゃんと少し待っててくれるか?」
「わかったー!」
素直なスークライトからは即答が返ってきてありがたかったが、
「……どこになにしにいくの?」
サラハナからは聞かれたくない質問をドンピシャでされてしまった。
嘘をつきたくないコウは許せる範囲で正直に答える。
「俺の友達をここに連れてくるから、一緒に遊んで、仲良くして欲しいんだ」
「友達……って、まさか……?!」
コウの言葉を繰り返し、〝名前のない森〟方向へ歩いてきたことを加味して、思い当たる節があったリアエルは小さく驚愕した。
子供二人に疑問を抱かせないようにするためになんとか抑えたが、いくらなんでもそれは危険なのではないかとリアエルは冷や汗を流す。
加護の
危ぶむリアエルをよそに、サラハナはコクリと頷いた。
「……わかった。おねえちゃんとまってればいい?」
「そう! いい子に待っててくれな!」
わかってくれたサラハナとスークライトの頭をワシワシと撫でてから、
「じゃあリッちゃん、ちょっと行ってくるから二人のことよろしくな。すぐ戻るから!」
手を振りながら颯爽と〝名前のない森〟へ向かって走り去ってしまう。
「あ、ちょっ——?!」
いきなり子供二人と置き去りにされてしまったリアエルは戸惑いを隠せない。子供は嫌いじゃないが、リアエルは少々特殊な事情を持っているが故に他人との関わり合いは極力避けてきた。
それは子供でも同様だから、スークライトとサラハナともできれば話したくはない。
事情を知り、理解のある人ならば心置きなく話せる。でも、自ら率先して事情を話すわけにはいかないのだ。
「…………」
「…………」
「…………」
コウがいなくなり、舞い降りる沈黙を吹き抜ける風がさらっていく。色とりどりの花々が清涼な風の中に踊り、三人を優しく包み込む。
スークライトとサラハナは、丸々とした純粋な瞳で真っ直ぐにリアエルのことを見つめている。
コウは一緒になって無邪気に遊んでくれたけど、この人はどうなのだろうか、と見定められているかのようだ。
とにかくずっとこのままでいるわけにはいかない。
本心では今すぐにコウを止めに行きたいが、子供二人を連れていくわけにはいかないし、ここに置いていくわけにもいかない。
またしてもコウにしてやられたリアエルは諦めたようにため息をつくと、二人に歩み寄って腰を落とした。
最悪【風繰りの加護】でしっかりと守ってやればいいのだと、開き直る。
「お兄ちゃんが戻ってくるまで、なにしてよっか?」
コウがワシワシと撫でて乱れた髪を優しく手櫛で直しながら問う。
細くて柔らかな髪の毛だった。頭の大きさも、大人と比べて幾分か小さい。体の小ささも柔らかな肌も、なんだか壊れやすいオモチャのようだと、どこか他人事のようにリアエルは感じていた。
彼女の問いに返ってきたのは「んー」とか「うー」とか、考えているのかいないのかよくわからない唸り声。
さて困ったと思いながら、何かないかと周りを見渡す。
足元に広がる花々に目が止まり、
「花かんむりでも作ろっか?」
苦し紛れに提案してみる。
「……つくる!」
と、目を輝かせて真っ先に食いついてきたのは珍しくもサラハナのほうであった。スークライトのやりたいことに合わせてばかりだった少女が、先陣を切ったのだ。
「じゃあぼくもー!」
スークライトは女の子っぽいことでも難色を示さず楽しそうに手を上げて賛同してくれた。
予想外の好感触に胸を撫で下ろしながら、リアエルがその場に腰を下ろすと、二人も同じように座り込み、三角形になる。
よく確かめていなかったが、花かんむりにしやすそうな花で助かった。
「まず、お花の茎を長めに手折って両手に持って、こうやって巻きつける。そしたら新しい花を手折って同じようにこうやって巻きつける。これを繰り返していくのよ」
何度も作ったことがあるリアエルは慣れた手つきで花を編み、徐々に長く連なっていく。
サラハナはリアエルの手元を凝視し、見よう見まねで同じように作ろうと必死になるが、やり方がいまいちよくわからないようだ。
リアエルはゆっくりやっているつもりでも、初めての子供相手には少し難しかったらしい。
正面からだとわかりにくかったのか、サラハナは立ち上がり、リアエルのすぐ隣に移動するとちょこんと腰を下ろす。
「……もういっかい」
「ええいいわよ。いい? ここを、こう持って、こう」
思わず頬が緩んでしまいそうなおねだりに応え、今度こそゆっくりと、丁寧に、見やすいように持って教えてやる。
「ぼくもぼくもー!」
「うぶ」
スークライトも座る位置を変えるために立ち上がり、リアエルにぶつかりながら反対側に座る。
両側からおしくらまんじゅうのように挟み込まれて、苦笑いを浮かべるリアエル。
「ちゃんと教えてあげるからそんなに押さなくても……」
左右から手元を覗き込んでくる小さな頭が二つ。見事に見えない。
「……はやく」
「つぎつぎー!」
「あ、あはは……」
せがんでくる小さな暴走列車をどうやって制御すればいいのかわからなくて、コウの凄さの片鱗をその身を以て垣間見たのだった。
仕方がないので上からなんとか覗き込んで、見えにくい手元は指先の感覚と経験で補い、編み込んでいく。子供二人は綺麗な指先から出来上がっていく美しい花かんむりに驚愕で目を丸くするばかりだ。
「……こう?」
「そうそう。とても上手よ」
編みかけの花かんむりを目の前に突き出されて、近すぎて逆に見辛かったがしっかりと編めていることはわかった。
さすが子供と言うべきか、二人とも吸収が早く、おまけに要領もいいものだからあっという間にコツを掴んで、教えることはすぐに無くなってしまった。
それでもリアエルの方が編む速度は早く、早々に一つ出来上がってしまう。他にやることもないので、念のため周囲を警戒しつつ二つ目の製作に取り掛かった。
「〜♪ 〜♪」
なんだかちょっぴり楽しくなってきたリアエルは無意識に鼻歌を歌い、小さく体を左右に揺らす。
曲は『勇者アルギトスの賛歌』だった。悲しい歌とリアエルは言っていたが、その旋律に悲しさは欠片も感じられない。
「……できた」
「ぼくもー!」
初めて作った花かんむりを天高く掲げて喜ぶ二人。そこそこ時間がかかってしまったし、
それでも、両者とも初めて作ったにしては素晴らしい出来栄えだった。
「「はい」」
「え……これ、私に?」
同時に目の前に差し出される花かんむり。リアエルはキョトンとした顔で確認すると、二人して同じ動きで頷きが返ってきた。
「ありがとう。じゃあお礼にこれをあげる」
二人から花かんむりを受け取ったリアエルは、スークライトとサラハナの頭の上に自分が作った花かんむりを乗せてやる。
「うん、二人ともよく似合ってるわよ」
その姿はまるで、小さな勇者とお姫様だった。
***
「ほんとゴブリンて強情な。説得にこんな時間かかるとは……。リッちゃん怒ってるよなぁ」
リアエルのプンプンした顔を想像してぼやきながら歩くコウ。その後ろからは、ふたつの小さな人影がついてきている。
〝名前のない森〟で出会った兄弟ゴブリン、アーニンとオットーだ。
緑色の肌に尖った耳と鼻。鋭く大きな目は人間よりも広い視野と動体視力を持ち、細い手足に秘められた力は小さくても侮れない。
森に少し入って名前を叫ぶと、茂みから出てきて驚かされ、情けない声が出たのはここだけの秘密。ちなみに驚かそうとしたわけではなく普通に出てきただけだ。
兄弟ゴブリンに事情を説明し、同行を願い出るも、[ニンゲンと戯れるなどできるかアホボケカスコラ]と頑なに首を振るばかり。後半はコウが勝手に付け足した。
頑固者なのは最初からわかっていた。しかし想像以上のわからず屋で、ついて来させるのにここまで苦労させられるとは思ってもみなかった。
[なにか文句らしきことを言っているぞ弟よ]
[察するに『手間をかけさせおってからに』みたいなことを言っている]
[なんでそこ察しちゃうかなぁ?!]
ついてくる兄弟ゴブリンから鋭い洞察力で看破されてしまい、慌てふためく。
ゴブリンに人間の言葉はわからないはずなのに。
だから堂々とぼやいたのだがそれが裏目に出てしまった。
今度からは気をつけようと自らを戒めながら歩を進めていると、遠くに見覚えのある人影がようやく見えてきた。
リアエル、スークライト、サラハナの三人だ。
「……おや?」
目を細め、凝視するコウ。
もしやと思い、兄弟ゴブリンに静かにするように言い聞かせ、そっと足音を殺して歩み寄る。
「あらあらまぁまぁ……俺がいない間になにがあったのやら。羨ましい」
リアエルを中心に、小の字になってスヤスヤと穏やかに眠っていた。
その手には、大切そうに花かんむりが握られていて、悪くない——いや、最高のひと時を過ごしていたことは想像に難くない。
[俺らもお昼寝する?]
[[断固拒否する]]
[ちぇっ、連れないねぇ]
冗談にガチで返され、肩をすくめるコウであった。
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