第10話「困難への切符」

   第一章10話「困難への切符」




〝名前のない森〟を両断するような巨大な大河、ズメルン川をどうにか渡り切り、その後も一悶着あったがコウが仲裁し、一行は順調に例の農村へと歩みを進めていた。


 魚に噛まれた傷跡は思ったよりも深かったが、絆創膏と合わせてなんとか応急処置は済ませた。雑でも何もせずに放っておくよりはマシだろう。


「巨大な大河とか意味かぶってんな」

「なに?」

「んや、なんでもない」


 どうでもいい独り言を背後を歩いているリアエルに聞かれ、適当に誤魔化すコウ。

 正直、独り言でも呟いてないとやっていけない雰囲気に挟まれていた。


 コウの前方を歩き、農村まで道案内をしてくれている兄弟ゴブリン。そして後方の警戒としんがりを務めてくれているリアエル。


 そのリアエルからコウを突き抜けてゴブリンを見る目が棘のように鋭いのだ。


 ズメルン川を渡る際に七色の魚に襲われたことをまだゴブリンの仕業と疑っているらしく、また何かしでかすのではないかと、後方の警戒よりも前方の警戒に意識が集中してしまっていた。


 それに対するゴブリンも、子供ながらリアエルが放つ鋭い視線を過敏に感じ取り、今まであまり気にしてこなかった背後をしきりに気にしている。


 そんな両者の板挟みをくらい、肩身の狭い思いをしているのがコウだ。


 このままでは注意力が散漫になり、よからぬ出来事を引き起こす可能性がある。それは事故であったり、あるいは今が狙い目とニドルウルフが襲ってくるかもしれない。

 だからこそ戦う力を持つ者を前後に配置した陣形を取って守りを固めているのに、これではその機能を十全に発揮できない。

 だったら、戦う力を持たないコウこそがなんとかするべきと、自らを奮い立たせる。


 これ以上、足を引っ張るようなお荷物になるのはゴメンだ。


 先を行く兄弟ゴブリンを見失わないよう、しっかりとついて行きながら、背後のリアエルに向けて声をかける。


「あー、リッちゃん? できれば後ろを警戒しながら聞いて欲しいんだけど」

「なに」


 ゴブリンばかり気にしてないで、と遠回りに伝えつつ、明らかにイラついている強めの言葉に怯みそうになるが、めげずに続ける。


「例の村ってどんなとこ? 着く前になるべく情報が欲しいんだけど」

「普通の農村よ」


 取りつく島もないような物言いに頭を掻くコウだが、彼は諦めずに話題を探す。


「普通って、どんな? 農村ってんだからなにか作物が採れんだろ?」

「畑は見たけど、なに育ててるかはわからなかったわ。私そういうの詳しくなくて」

「そ、そう……」


 確かに、ネギやトウモロコシなど、よほど特徴的な物でなければ大抵の人は何を作っているのかよくわからないだろう。

 どんな作物を作っているのかは見ればわかることなので後回しにするとして、


「じゃあ村の人たちはどんな感じだった? やっぱ年寄りが多いのかな?」

「確かにお年寄りが多い印象だったけど、子供もいたわね」


 農村に子供がいるイメージがなかなか湧かなくて、コウは「ほお」と意外そうに息をこぼす。

 もしかして夏休みみたいなものがあるのだろうか? たまたまそのタイミングで帰省中とか? とどうでもいいことを考える。


「子供がいるんなら、ラッキーだな」


 現実世界でのご近所では、お年寄りとガキンチョからの評判は良かった。これはこれで有益な情報かもしれない。多少はやりやすくなるというものだ。


 それに、コウが考えている作戦には好奇心旺盛で警戒心が薄く、吸収力バツグンの子供が適任だ。

 農村と聞いて半ば諦めかけていただけに、これは朗報だった。


「いい人多そう?」

「そうね。あれ食べるかこれ食べるかっていろいろ押し付けられたわ」

「田舎のじっちゃんばっちゃんの定番だな! なんか親近感湧いてきたわ!」


 お年寄りは世界を飛び越えても世話焼きであることは同じらしい。コウの祖父母も遊びに行くといろいろとお節介を焼いてくれたものだ。


 子供の頃はそれで喜んでいただけに、大きくなり、必要なくなっても祖父母は昔のようにお節介を焼いてくる。無下にもできず、苦笑いで乗り越える日々だった。


「あー懐かしい。もうちょっと愛想良くしとくべきだったかな」


 そんなことを言っても異世界に来てしまったので後の祭りだが。


「じゃあ、えっと、引き続きよろしく」

「ええ」


 多少はリアエルの周りに張り詰めた空気を払拭することはできたと判断して少し歩調を早め、今度は前を歩く兄弟ゴブリンに声をかける。


 言語は自然とゴブリンのものになり、『加護』と呼ばれる、この世界の特別な能力にもそれとなく慣れてきていた。


[よお二人とも、調子はどうだ?]

[体は悪くない]

[後ろのニンゲンの敵意が気になる]

[それは俺がケアしとくから、気にせんでくれ]


 実際、リアエルの視線は少しだが柔らかなものになった。コウと話して多少気が紛れただけだろうが、兄弟ゴブリンにはそれがありがたいはずだ。


[んー……。結構歩いたけど、あとどんくらいで着きそうなん?]


 周りを見渡してみても背の高い木々が視界を埋め尽くすばかりで、ずっと同じような景色が続いている。


 この世界に飛ばされる直前まで新宿を歩いていたのだ、実のところ、ちゃんと目的地に近づいているのかコウにはよくわかっていない。


 お得意のゲーム脳が発動し、謎の結界で同じところをグルグルとループしてるのではないかと疑っているほどだ。

 あるいはリアエルが勘ぐっている通り、罠にはめるため、ゴブリンがわざと別のルートへ導いている、というのも可能性としてはゼロではないだろう。


[もうすぐだ]

[あと一時ひとときほど歩けば着く]

[一時ね……「もうすぐ」って個人差あるけど、具体的に言われても結構ゲンナリするもんだな]

[[なら聞くな]]


 コウは肩を落とし、ついでにため息も落としていくと兄弟らしく息ぴったりなサラウンドで理不尽にも突っ込まれた。


 よく言われる「一刻の猶予もない」の一刻が30分で、一時はその四倍の二時間に当たる。あと二時間も森の中を歩き続けるとなれば、現代っ子は嫌な顔の一つもするだろう。


 天野アマノ一家は日常的にキャンプをしているからコウには耐性があるので、愚痴をこぼさないだけだいぶマシなほうだった。


 兄弟ゴブリンは飛び出した大きな木の根っこを飛び越え、コウとリアエルは跨いで通る。


[これは!?]

[なぜこんなところに!]


 その大きな木の裏側に、異常を発見して驚きの声を上げる兄弟ゴブリン。


 コウはゴブリンの視線を追い、木の幹を見て首をひねりながら唸り声を上げる。


[うへぁ、これはまた……なんかのマーキングか?]


 岩のように固そうな木の皮が削がれるように剥がれ落ち、大きく地肌が露出していた。四本の引っ掻き傷が無数に蔓延はびこり、人間程度の柔らかい肉なら簡単に引き裂ける殺傷力があることなど容易に想像できる。


 コウの知識でこの傷痕の心当たりと言えば、真っ先に思いつくのは『熊』だが——ここは異世界。


[ニドルウルフだ]

[爪を研いだ痕だ]

[ま、そうなるよな……]


 リアエルも『この森で魚を食べるのはゴブリンとニドルウルフだけ』と言っていたことから、熊のようなモンスターは生息していないことがわかる。


 これはニドルウルフの生態を知るいい機会と見込んだコウは、兄弟ゴブリンに向かって両手を合わせる。


[二人ともすまん、ちょっと調べてもいいか?]

[……我らは構わないが]

[それだけ到着が遅れると思え]

[わかってるよ。サンキュー]


 兄弟ゴブリンに一言添えてから、巨大な木の幹へと歩み寄り、気になったリアエルもコウに続く。


「これってもしかして……」

「ああ。2ドルウルフらしい。こいつらもそう言ってた」


 リアエルが険しい表情を浮かべながらボロボロになった木の幹を見て呟き、コウが後を引き継ぐように続けた。


「あれ?」


 険しい表情から怪訝な表情へと変わり、首を傾げたのはリアエルだ。


「どったのリッちゃん?」

「なんか……ちょっと焦げ臭い?」

「え? ……全然わからん」


 鼻をすんすん鳴らして匂いを確かめてみるが、コウにはその焦げ臭さがわからなかった。


 しかし、目ざとく気づく。


「あ、もしかしてこれじゃないか? よく見てみれば爪痕に沿ってちょっと焦げてる」

「……ほんとだわ」


 木の幹に無数についた爪痕は黒く煤けていて、指でなぞると指先が真っ黒になった。

 さすがに見た目は子供頭脳は大人な名探偵のようにペロッとしてみる勇気はない。


 リアエルはさらに首を傾げ、エメラルドグリーンの双眸に疑問の色を濃くする。


「どうして焦げ付いてるのかしら? まさかニドルウルフは火を使うってこと?」

「いや、色々言いたいことはあるけど、それならもっと満遍まんべんなく焦げてると思う。これはたぶん摩擦熱だ」

「まさ——なに?」

「摩擦熱。寒いとき暖まるために手をこすり合わせるだろ? それだよ」


 細かい凹凸があってヤスリのようになっている爪、ということならば、引っ掻くだけで木を焦げ付かせるもの不可能ではない。あるいはもっと摩擦係数の高いコウの知らない成分で出来ている何か、など。


「まさかブレードライガーみたいに機械仕掛けってことはないだろ」


 エネルギーをまとって高温になった刃物を装備しているとか、超振動による高周波ブレードとか、想像の飛躍は尽きないが、さすがに世界観と文明レベルに差異がありすぎる。この線は無いと思っていい。


「あったらあったで男の子的には乗ってみたいけどな! ジェノザウラーとか!」

「……さっきからなに言ってるの?」

「おっと失礼」


 男のロマンを語ったところで女子には理解されないどころか誰にも理解してもらえないのが異世界モノの悲しき現実であった。


 思想を理解してくれる人間ならば必ずいてくれると信じて、いずれ口伝で布教しようと心に定めつつ、もう少し周囲を散策してみる。

 マーキングの近くにはフンも落ちていることが多いので、それも何かのヒントになるかと思ったのだが、残念ながらこれは見つからなかった。


 しかしちょっとした問題が発生する。


 探している最中、リアエルが、


「なにを探してるの? もしかして落し物?」


 と聞いてきたので、馬鹿正直に答えるのはデリカシーに欠けると思った紳士なコウは、差し障りのない感じで答えることにした。


「……まぁ落し物と言えば落し物だな」

「大変じゃない! 私も探すわ。なにを探してるの?」


 こんな広大な森の中で落し物。それは砂漠に落とした一粒のBB弾を探すに等しい。リアエルが親身になって探してくれるのは嬉しいしありがたい申し出だが、さて困ったことになった。


 なんと答えればいいものか。記憶の中にある言葉を探し、選ぶ。


「ンコ」


 これならば肝心の言葉は言っていないが、会話の流れと響きで何を言いたいのか伝わるはず。


「んこ? それってなに? どんなの?」


 伝わらなかった!


 まさかここまで踏み込まれるとは思っていなかったコウはしばし言葉を選ぶタイムラグを経て、


「2ドルウルフの排泄物だ」


 一応弁明しておくと、これでもちゃんと彼なりに考えた。考えた結果、丁寧に言うほかなかった。


 悪気はない。悪意はない。


 ——他意はあったかもしれない。


「……はい?」

「せつぶつだ」


 聞き間違いかと思って聞き直すリアエルだったが、ファインプレーで繋げるようにして言い直した。


 みるみるうちにリアエルの真っ白な頬は朱色に染まっていき、恥ずかしさではなく怒りのボルテージが色によって表される。


「……んもう!!!!!!」


 という怒りの爆発音とともに、スッパーン!!!! と頬を張る乾いた音が〝名前のない森〟中に響き渡ったのだった。




   ***




 歩いて歩いて、歩き続けて。


 思い出すとジンジンする引っ叩かられた頬をさすりながら、


「なぁリッちゃん、機嫌直しておくれよ〜」

「しらない」


 ニドルウルフの痕跡を調べ終えたコウとリアエルは、再び兄弟ゴブリンの案内に従って農村への道を行く。


 しかしコウのちょっとした言葉の選択ミスにより彼女の機嫌を損ね、剣呑けんのんとした雰囲気が漂っていた。


[おい、コウ。いい加減あのニンゲンをなんとかしろ]

[二人のせいで遅れが出ている。早めにしろ]

[子供に余計な心配をさせてしまうとは……。わかっとるわい、そのまま案内頼む]


 全体的に体の小さいゴブリンの年齢は見た目ではよくわからないが、少なくとも兄弟ゴブリン、アーニンとオットーはコウやリアエルよりは下のはず。


 年下に気を使わせてしまうとは、人生の先輩失格と言えよう。


 リアエルには何度も何度も謝ったが、これ以上謝っては謝罪の質が落ちる。

 必要なときに、必要なだけ謝るのが礼儀だと教わった。それで許してもらえなかったのだから、今は日を改めるしかない。


 別の話題を振って、せめて息苦しい空気を払わねば。


「それにしても、リッちゃんて鼻がいいんだな。あと顔も」

「……急になに?」


 突然の褒め言葉に眉根を寄せるリアエル。


 しれっと褒めてご機嫌取りをしつつ、今後役に立ちそうな武器の性能も確かめる。


「ほら、焦げ臭さに気づいただろ? 俺全然わかんなかったのに」

「キミが鈍感なだけじゃないの」


 とリアエルは言うが、本当に彼女の鼻は敏感だった。コウだって鼻は悪くないし、詰まっていたわけでもない。それでも焦げ臭さに気づけなかったのだから、単純にリアエルの嗅覚が優れているのだろう。


「他の女の匂いがする、とか言いそう。ガハラさんみたいに」

「誰よガハラさん。もしかして私のことバカにしてる?」

「してないしてない! とんでもない!」


 怒っているのに無視をされないだけありがたいのに、これ以上機嫌を悪くさせてどうするのか。


「浮気はしないと改めて固く誓おう」

「なんの話よ……」


 頭が痛くなってきたのか、手を額に添えて呟くリアエル。

 流石に歩き続けて疲れが出てきたのか、それともコウの相手をするのに疲れたか、その両方か。


 後者の理由だけは勘弁願いたいコウは、次にどうすればリアエルの曲がったヘソを直せるか考えていると、兄弟ゴブリンの足が不意に止まる。


[着いたぞ]

[見えたぞ]

[マジか!]


 兄弟ゴブリンが寸分違わぬシンクロで指差す先には森の切れ目が。その先を抜ければ〝名前のない森〟の外になり、農村がある。


「リッちゃん! 森から出られるぞ!」

「やっとね……確かにかなり時間短縮になったけど、ドッと疲れたわ……」


 まるで子供のようにはしゃぐコウに、口から魂が抜けかけているかのような、覇気のない呟きが返ってくる。


 早いところ村長に会って、話をさっさと進めたいところだが、ここは休息が最優先か。


[じゃあ俺らはいったん村まで行って話をしてくる。悪いけど——]

[ここで待っていればいいのだろう]

[我らも疲れたからゆっくりで構わない]

[ゆっくりってのは一日とかでも?]

[……構わないが、早くしろ]


 出発前に伝えた通り、まずは村の人間に事情を説明しなければならない。彼ら兄弟ゴブリンの出番はそれまでお預けだ。

 依頼を終えずに戻ってきたリアエルの弁明もしなくてはならない。村の人たちはきっと失敗したと思うだろうから。


 諸々を終わらせてから合流となると、それなりに時間はかかると思って事に取り掛かったほうがいいだろう。


 ひとまず兄弟ゴブリンからの許可も貰えたことにして、握りこぶしを作って気合を込める。


「やることはまだまだたくさんある。俺でもこの世界でできることがあるはずだ。そいつを証明してやる」


 兄弟ゴブリンと別れ、リアエルと二人で農村への道を行く。


 胸に抱いたその決意は、困難へ続く道への、切符だった。

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