第9話「ズメルン川」

   第一章9話「ズメルン川」




 天使のような少女——リアエルからお許しを頂き、ゴブリンから奪った武器を手にコウはゴブリンの元へ。


[それ以上近づくと引き千切るぞ]

[いきなり恐ろしいこと言わないで貰えますかね?! ……武器こいつを返そうと思っただけだ。あとちょっとお願いを]

[『だけ』ではないではないか]

[あ、ホントだ]

[……ふざけた奴だ]


 掴み所のないコウの態度に毒気の抜かれる父親ゴブリン。


 息子二人が無防備に寝ている状態なのだから、ニンゲンの接近は父親としても、ゴブリンとしても警戒して当然だろう。

 その警戒心の高さが、今は欲しいのだ。


[ここに置いとく]


 ゴブリンの目の前、すぐ手の届くところに奪った弓とナイフを置き、コウはかたわらに堂々と座り込む。


 父親ゴブリンは、目の前にいるニンゲンを排除することよりも、安らかに眠る息子の睡眠を妨げないことを優先すると信じているからここまでの大胆な行動が取れる。


[敵である我らにせっかく奪った武器を返すとは。キサマはいよいよわからん奴だ]

[褒め言葉として受け取っとくよ。それに今は敵じゃないだろ?]


 呆れたようにこぼす父親ゴブリンに、コウは肩をすくめながら返す。


 すやすやと寝息を立てる兄弟ゴブリンは、父親の膝でいい夢でも見ているのか、うっすらと笑みが浮かんでいる。


 普通の子供のようだとしばらく眺めていたら、痺れを切らした父親ゴブリンが静かに口を開く。


[……で、お願いとやらはなんなのだ?]

[おっとそうだった。2ドルウルフって知ってるか?]

[知っているもなにも、日夜縄張り争いをしている我らがゴブリンの宿敵だ]


 やはり〝名前のない森〟に住処を持つだけあって、人間と違いその存在をしっかりと認知している。

 これは実に頼もしい。


[厄介な相手らしいな]

[我らからすればただの卑怯者の集団だ。恐るるに足らん]

[そいつは頼もしい限りだ]


 苛立たしげに言うゴブリンからは、日々手こずらされている苦心が滲んで見えた。ニンゲンの手前だからか、強がっているのかもしれない。


 それでも、何も知らないこちらと比べれば幾分もマシだ。


[お願いってのは、俺らに力を貸して欲しい。そのために武器そいつを返した]

[……どういうことだ?]


 要領の得ないコウの言葉に首をかしげる父親ゴブリン。


 眠っている兄弟ゴブリンを起こさないように、静かに説明を続ける。


[俺らは2ドルウルフがどんなやつなのか、よくわかってない。アンタが言うようにただの卑怯者ならまだいいが、襲ってくるんだろ? だったら追っ払うために武器は必要だし、お互いに協力しようって、そういう話だ]

[なぜ我らがキサマなんぞに——]

[人間のこと、食料のこと、なんとかしてやるって言ってんだ、ちょっとくらい手を貸してくれても良いだろ?]


 一度了承してくれた話を持ち出してゴブリンの痛いところを突くコウ。


 あからさまに舌打ちをかましながらも、


[承知した]


 ゴブリンの信用を得たとはまだ言えないが、協力を取り付けることはできた。


 信用問題は積み重ねが大切。簡単には築けないし、しかし壊すのは簡単だ。ここはゴブリンのほんの僅かな信用を裏切らないよう、慎重に、かつ大胆に行動しなくては。


[詳しくは明日、二人が起きてるときにでも話すわ。今日はもう寝よう]


 兄弟ゴブリンの寝顔を見ていたらこちらまで眠くなってくる。何度あくびが出るかと思ったか。


[ニドルウフルは寝込みを襲う。常に周りに気を配れ]

[……おう。サンキュ]


 ゴブリンが[卑怯者]と評価した理由のわかりやすい一言に苦笑いを浮かべながら、コウは心配そうにこちらを見つめるリアエルの元へ戻っていった。




   ***




 戻ってきたコウに、リアエルの開口一番は、


「ダメだった?」

「なんで失敗前提なんですかね……」


 ゴブリンよりもこちらの信頼を勝ち取ることのほうが骨が折れそうだった。


 協力してくれることになったこと、ニドルウフルは寝込みを襲うから気をつけるよう言われたことなど、ゴブリンから聞いたことを掻い摘んで話す。

 ゴブリンのことを信用し切れていないリアエルの目の前であのゴブリンは大丈夫だということを見せつけることもできたし、収穫としては悪くない。


「俺らも寝よう。見張りと火の番は一時間半で交代、でいいかな?」


 本当ならリアエルにはしっかりと休息を取ってもらって、もしものときに備えて体力を温存して欲しいのだが、色々ありすぎて流石に疲れ切ってしまった。

 キャンプをするから森の中を歩くことはある程度慣れているが、歩き続けるとなると話は別だった。


「いいけど、ゴブリンたちは?」

「あっちはあっちで気を張ってる。子供が寝てて身動き取れないからせめて火の番はこっちでやってやろう」


 人間の敵であるゴブリンが目の前にいる中で眠ることの危険性をリアエルは問い質そうとしたのだが、見当違いの返事が返ってくる。

 彼の中で、親子ゴブリンはとっくに仲間の一員として数えられているようだ。


 正直納得がいかないと思いつつも、頷くリアエル。


「……わかった。どっちが先に寝る?」

「それなんだけど、俺が先でいいかな。キッチリ一時間半後に起きるから」

「別に構わないけど、キッチリなんて無理でしょう。そもそもなんで一時間半なの? 一時間とか二時間じゃなくて」


 人間誰しも中途半端は気になるだろう。

 もちろん、彼なりにきちんとした理由はある。


「レム睡眠とノンレム睡眠の周期が一時間半って言われてるからだよ」


 いわゆる『深い眠り』と『浅い眠り』の違いだ。人間の睡眠はこれを交互に繰り返し、疲労の回復と記憶の整理を行い、快眠する。


 ちなみに、俗にいう『夢』はこの記憶の整理が影響していると言われている。


「なに言ってるのか全然わからないわ」


 眉根を寄せて唸るリアエル。


 現代社会においても夢は解明されていない部分が多い。研究が進んでいない、むしろ研究しているのかすら怪しい異世界ならば、尚更なおさらちんぷんかんぷんだろう。


「睡眠時間は一時間半刻みがちょうどいいってことだよ。三時間とか、四時間半とか、六時間とか」

「ふーん」


 わかりやすく噛み砕いて説明するが、リアエルからは興味のなさそうな返事が返ってくる。

 

 自分の意思で寝る時間を調節することはできないから、聞くだけ無駄だと思っているのだろう。

 しかしコウの手元にはこの世界にはない秘密兵器が握られている。


 ——そう、スマホだ。


 アラーム機能を一時間半後に設定し、ショルダーバッグを枕にして横になる。アラームの音が出ないように消音設定にしておくことも忘れない。


 これを握ったまま眠れば、きっちり一時間半後にバイブレーションが手の中で起動して起きられる、という寸法だ。


「おやすみリッちゃん」

「……おやすみ」


 コウからのバトンタッチで焚き火の面倒を見ることになったリアエルは、適当に細長い薪を手に取って火を突きながらもしっかりと返してくれた。


 ゆっくりと目を閉じ、パチパチと爆ぜる薪の心地よい音を聞きながら、コウの意識はゆっくりとゆっくりと、深い闇の底へ沈んでいったのだった。




   ***




 翌朝。


 寝込みを襲われるから気をつけろと言われたニドルウルフは父親ゴブリンがしっかりと目を光らせていたからか、姿を表すことはなかった。


 もちろんコウとリアエルも交代して体を休めつつ警戒していたが、父親ゴブリンの集中力の長さには到底及ばず……恐れ入る結果となった。

 一睡もしていないのではないかとコウは心配するが、本人が言うには[問題ない]らしい。


[んじゃ、頼んだぞ]

[貴様こそ! 我が息子になにかあったら死んでも呪うからな!]

[ゴブリンの呪いとかなんか怖いから勘弁して!]


 というやりとりなんかを繰り広げてから、父親ゴブリンとだけ別れた一行。


 コウの考えた作戦はシンプルだ。


 ゴブリンのボスである父親ゴブリンは他の仲間に話を通すため住処に戻ってもらい、兄弟ゴブリンはコウとリアエルと一緒に例の農村まで同行してもらう。


 と、言うよりも、案内してもらう。


〝名前のない森〟はゴブリンの住処であり、庭でもある。昨日今日来たばかりの人間二人なんかよりもよっぽど頼りになる案内人だ。


 もちろんいきなり人前に姿を表すのは危険なので、村の近くに着いたら合図があるまで隠れてもらうことになっている。


[村に行くには大きな川を迂回しないと行けないって聞いたけど]


 リアエルが言うにはそのようだったのだが、前を先導してくれている兄弟ゴブリンに念のため聞いてみると、


[その必要はない]

[簡単に渡れるところがある]

[ほお。やっぱ原住民はちげーな]


 さすが長年この森で暮らしているだけあって、近道などにすこぶる詳しい。子供だから行動範囲はさほど広くないかと思っていたら完全に度肝を抜かれてしまった。


「川を渡れる近道があるって」

「……つくずくキミの加護って便利ね」


 しんがりと後方の警戒に当たってもらっているリアエルに歩きながら伝えると、本当にそう思っているのか怪しい褒め言葉が聞こえてきた。


「俺的にはリッちゃんみたいな戦いに使える加護だったら盛り上がったんだけどな」


 異世界モノには定番の戦う力を授かり、バッタバッタと現れる敵をなぎ倒して行くのが爽快で楽しいのだが、こうなってしまったからには仕方がない。無い物ねだりはしない主義だ。


 それに、最初に出会ったモンスターが子連れのゴブリンだったのも数奇な運命かも知れない。

 もし戦う力を持って異世界へ来て、ゴブリンを殺すとなったら、今のコウにはできそうにない。言葉がわかってしまう弊害と言えるかもしれないが、相手側の事情に深く入り込み過ぎてしまった。


 同情するなというほうが無理な話である。


 そもそも戦う加護を授かって異世界へ来ていたら、リアエルとも会話が成立しなかったかもしれないから、これでいい。


 二つも三つもねだったらバチが当たるというものだ。


 足を止めて振り返り、指差すゴブリン兄のアーニン。弟のオットーもピッタリ同じ動きをした。


[見えてきた]

[ズメルン川だ]

[これはまた……ファンタジーって感じだな]


 広大な森をバッサリと両断するような巨大な川が姿を現した。

 何万トン、何十万トン、いや何億トンと流れる水が巨大な岩にその質量をぶつけ続けて轟々と音を立てている。


 どう見ても急流どころか激流の大河で、とてもじゃないが渡れるとは思えない。

 足を入れた途端に流れに足を攫われて、揉みクシャにされて岩肌に何度もぶつけられ、一度も水面に顔を出すことなく事切れるだろう。


 死因は溺死か……最悪岩肌にぶつけられた衝撃で死ぬ、なんてことも充分あり得る。


「本当に渡れるんでしょうね」

「アッハハ……この森のスペシャリストが二人もいるんだぜ? い、行けるに決まってるだろ!」


 背後から訝しむように言うリアエルに、コウは苦笑いを浮かべながらも力強く宣言した。


 内心では滝のような汗が止まらない。


 子供の頃に川で遊んだときは、大した流れでもないのに流されて父親に助けられた記憶がある。ちなみに母親はカメラを回してその様子を収めながら、愉快そうに笑っていた。

 ある意味狂気的だが、今思えばあれも信頼の表れだったのかもしれない。


 大事にはならない、父親であれば間違いなく助けてくれる、と。


「信じようぜ」

「……私は、まだ信じられない」


 一夜を共にし、案内してくれている兄弟ゴブリンを睨みながら言うリアエル。


 新参者のコウにはわからないほど、人間とゴブリンの間には根深くてドス黒い、確かな確執があるようだ。あまり知りたくはないが、いずれは知らなくてはならないことだろう。


 コウはビシッと自分の胸に親指を突き立てた。


「んじゃ、俺を信じろ! ゴブリンを信じる俺を信じろ! ——って、カミナの兄貴が言ってた」

「誰よカミナの兄貴」

「ん……あれ? もしかしてこれ死亡フラグか? やっぱ今のなしで!」

「信じなくていいの?!」


 コウの言っている内容の1〜8くらいまではよくわからないリアエル。掴み所のなさにはいつも翻弄させられる。


「うへぇ」

「……ここまで近づいたのは初めてだけど、やっぱり凄いわね」


 無駄に慎重な足取りで川岸まで近づいて、その異様さにコウとリアエルの二人は息を飲む。


 岩にぶつかり巻き上がる水しぶきはもはや雨と言ってもいいレベルで、ジッとしていたらあっという間に全身がぐっしょりと濡れてしまいそうだ。


 湖に落ちてすでに一度ぐっしょりになっているだけに、遠慮したいところ。


「やっぱこんだけの流れになっちゃうと綺麗な水とは言えんな。というか泡立っちゃっててよくわからん」


 台風でも通過したのかと疑いたくなるほどの水量だが、周囲の様子を窺うにこれが普段のズメルン川の姿のようだ。打ち上げられたゴミや流木、上流から流されて来た岩など、台風特有の荒れた要素が見当たらない。


[コウ、こっちだ]

[コウ、しっかりついてこい]

[おっけー、頼むわ]


 下流に向かって進んでいく兄弟ゴブリンの背中をコウが追いかけ、さらにその背中をリアエルが追いかける。


[ここだ]

[行くぞ]

「おいおいマジかよ……」

「大丈夫なの……?!」


 これといった特徴のない、なんの変哲も無いポイントで立ち止まり90度向きを変えると、兄弟ゴブリンはそのまま歩き始めた。


 そう、唸り声を上げる激流に向かって突っ込むように。


 どう見ても自殺行為にしか見えない行動。しかし、


「どうなってるの……?」

「どうやらここだけ流れが弱くて浅くなってるっぽいな。見た目じゃよくわからんけど」


 まるで水面の上を歩くように進んでいく兄弟ゴブリン。


 手品か、ファンタジー的には魔法を見せられているような気分だが、彼らはただ歩いているだけだ。


「俺らも行こう。念のため、なるべく正確に、なぞるようにな」

「わかってるわ」


 こんなところで無様に死にたくはないリアエルはしっかりと頷く。


 ここだけ流れが弱くて浅くとも、見た目にはよくわからない。ほんの少しルートから逸れただけで足を踏み外し、激流に足を掴まれて連れ去られてしまう可能性は捨て切れない。

 そうなってしまえば、一巻の終わり。


 まずは慎重に、指先から足を踏み入れる。


「うひゃあ、結構冷てーな」

「流れがあるからかしらね」


 コウが落っこちたのはただの湖で、体に染みるほどの冷たさは感じなかった。それどころか心地よさすらあったほどだ。おまけにリアエルの暖かな風もあった。


 それと比較すると明らかにズメルン川の水は彼らに優しくない。冷たさで攻撃して、凍えろ、転べ、そして流されろと言わんばかりだ。


 可能な限り兄弟ゴブリンが通ったルートを正確になぞり、慎重な足取りで川を渡る二人。先行する兄弟ゴブリンはその小ささ故に一歩は小さいがどんどん先へ行ってしまう。


「きゃっ」

「リッちゃん?!」


 中程まで来ると、背後からリアエルの小さな悲鳴。慌てて振り返れば、彼女は身を小さくしていた。


 てっきりバランスを崩したのかと思って慌てたが、そうではないらしい。


「よかった……どうしたん?」

「いま、後頭部あたりをなにかが掠めていったような気がしたの」


 ホッと胸を撫で下ろしたコウが何があったのか聞くと、キョロキョロと周囲を確認しながらリアエルは答える。

 いちおうコウも周りを見てみるが、怪しいものは見当たらない。


「気のせい……かな」

「気のせいかもだけど、用心して進もうぜ。バイオだったら水辺を進むってだけで超チキンプレイになるから俺」

「なに言ってるかわからないけど、キミが小心者なのはなんとなくわかった」

「慎重派と言って?!」


 ゾンビ化した水棲生物ほど厄介な存在はいないというのがコウの持論だ。


 人間は水辺から文明を開花させていったが、人間自身は水に適した進化をしてこなかった。

 そんな中で誰彼構わず、見境なく襲われたら一網打尽だろう。


「ってわけでチキンハートが稼働しだしたから急ごう!」


 ともかく、ゾンビであろうとなかろうと、相手のテリトリーでやり合うのが不利なのは火を見るよりも明らか。


 湧き上がってきた不安から、コウが先を急ごうとした刹那、水面から飛び出してきた小さな影。


「いった?!」


 小さな影はコウの肩へと猛烈な勢いでぶつかり、突き刺さるような鋭い痛みを与えた。

 さらに勢いに押され、体勢を崩すコウ。


(魚?! こんなやつ見たことねぇ!)


 スローモーションに傾いていく世界の中、視線を肩に移す。


 大きな口を開けて肩にかぶりついているのは紛れもなく魚の形をしていたが、現実世界では見たこともないような色味をしていた。


 虹色とでも言おうか、光の反射具合で色を変えるのではなく、文字通りの七色で色分けされている。

 これだけ目立つ色をしていながら、それでも気づけなかったのは、ズメルン川の流れが急過ぎて泡立ち、水中までは視認できなかったから。

 さらに、激流の中で生息しているのだから、筋力の異常な発達は目に見えている。


 兄弟ゴブリンは何事もなく、平然と進んでいるのに、なぜコウとリアエルの二人にだけ。


(このままじゃ——落ちる!!)


 考える間も無く、命が流されていくのを、覚悟した。


「させないっ!」


 リアエルが手を振りかざし、薄緑の投げナイフをどこからともなく取り出すと七色の魚に向かって一投。しつつ、【風りの加護】を発動させてコウの体勢を支える。


 投げナイフは狙い違わずパクパクと開閉する大きなエラへと命中し、絶命した七色の魚はコウの肩から口を離した。


 柔らかなエアークッションに助けられてバランスを取り戻したコウは、ドクドクと脈打つ胸を押さえながら、生ある実感を味わっていた。


「た、助かった……! サンキューリッちゃん、惚れ直した! 付き合ってくれ!」

「余計なこと言ってないでさっさと行くわよ!」


 軽くあしらわれてしまったが、リアエルの言うことはもっともだ。


 なにしろ——


「——いっぱい飛んできてるから!」


 大量の七色の魚が、二人に向かって雨霰あめあられと突進してきたからだ。


「正確には『飛び跳ねてきてる』だな!」

「揚げ足とってる暇があるなら走って!?」


 後続をあまり気にしない兄弟ゴブリンからいつの間にか結構な距離が開いていた。

 正確なルートを辿るのはすでに難しいが、そうも言っていられない状況だ。


 ほぼ直進していたという記憶を頼りに、真っ直ぐ兄弟ゴブリンの背中に向かって二人は駆け出す。


 リアエルが【風繰りの加護】で飛んでくる七色の魚を吹き飛ばしつつ、ゴブリンの言葉でコウが叫ぶ。


[二人とも! なんかヤバいことになった! 走れぇ!]

[ヌ?]

[なんだそれはぁ?!]


 コウの声にようやく振り返った兄弟ゴブリンは、見たことない光景に驚きの声を上げ、急いで川を渡るために走り出す。


「うおおおおぉぉぉぉぉ?!?!?!」


 雄叫びを上げ、一心不乱に走るコウ。


 弓矢が豪雨のように飛んでくる中、剣一本で防ぎ切るシーンをアクション映画で見た覚えがあるが、壁が迫ってくるような圧倒的物量は腹の底から叫ばないと足が止まってしまいそうだった。


 映画だからこそ可能なシーンに実際に身を置いてみてわかる。


 マジ無理、と。


「——ッシャオラァ!!」


 アウトドア派なコウの体力が功を奏して、大河ズメルン川を駆け抜けることに成功する。


「ゼェ……ハァ……し、死ぬかと思ったわボケ……!」


 対岸になんとか辿り着いたコウはその場にへたり込み、息を荒げながらも文句を言う元気は残っていた。


 だが、問題はすぐにやってくる。


「——ってリッちゃんちょっと待った!」


 休む暇もなく慌てて立ち上がり、両手を広げてリアエルと兄弟ゴブリンの間に割って入る。


「止めないで! やっぱりゴブリンは信用できない!」


 ゴブリンに騙されたとリアエルは思い、その手に持てるだけの投げナイフを持って構えていた。


 対する兄弟ゴブリンも、敵意を感じ取り弓に矢をつがえ、狙いはコウを挟んだ向こう側、リアエルへ向いている。


[お前らもちょっと落ち着け!]

[降りかかる火の粉は払う!]

[コウでも容赦はしないぞ!]


 ギラギラと輝く大きな瞳には躊躇いの『た』の字も見受けられない。嘘でも冗談でも誇張でもなく、文字通り容赦なく番えた矢を放ってくるだろう。


 そうなってしまう前に、この場を収めなければ。


[お前らは、さっきの魚を知ってたか?]

[知らない]

[あんな魚初めて見た]


 兄弟ゴブリンも驚いていたことから、この言葉は事実であるとコウは受け止める。


「さっきの魚のことは知らなかったって言ってる!」

「信じられるわけないでしょ!」

「でも本当に川を渡れた! そこは嘘じゃなかっただろ?!」


 ズル賢いと有名なゴブリンならば、自らを危険にさらすことなく二人に先行させて川を渡らせることだってできたはずだ。


 だがそうしなかったのは、魚のことを知らなかったことへの裏付けにもなる。


「…………」


 歯噛みしながらも、手品のように投げナイフを懐へしまうリアエル。

 感じていた敵意が鳴りを潜めたことを感じ、番えていた矢を収める兄弟ゴブリン。


 ひとまずは、なんとかなったか。


「この先やってけるのかなんか不安になってきた……」


 せっかく考えた、人間もゴブリンも幸せになれるWin-Winプランがご破算になる可能性が上昇し、頭を痛めるコウであった。

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