第8話「信じる心」

   第一章8話「信じる心」




 ゴブリンとの話もある程度まとまり、現在は焚き火を囲んで各々の時間。


 ゴブリン親子は静かに過ごしていた。息子二人は眠くなったようで、父親ゴブリンの両膝にそれぞれの頭を預けてスヤスヤと寝息を立てている。


 そして少年と少女は焚き火を見つめ、物思いにふけっていた。


 たまたま父親ゴブリンがこの森のゴブリンのボスだったおかげで話を通す手間は省けた。

 何やらご都合主義な展開だが、都合がいいのならそれに乗っからない手はないだろう。


「楽できるうちに楽しとかんとな」


 地面に腰を下ろし、焚き火の暖かさを身体に感じながら、ポツリとこぼす。


 これから勝手のわからない異世界でしばらく生活することになる。ただでさえ現在はモンスターが蔓延はびこる森にいるのだから、余計な手間は省いて体力の温存に努めたいと思っていたところだった。


「ゴブリンのボスに話はついたから、今度は人間側のボス、つまりは村長とやらに話を通さないとか」

「なにぶつぶつ言ってるの?」


 焚き火の明かりしか光源のない真っ暗闇の森の中、天上のハープのような清らかな音色を含んだ声が隣から聞こえた。


 プラチナブロンドの長髪に整った目鼻立ち、そして真っ白な肌とローブはまさに天使を思わせるような少女——リアエルだ。


「今後の予定をちょっとね。声に出したほうがまとまるんだよ」


 肩をすくめて「やかましくて悪いね」と言うと「別にいいけど」とお許しを頂いた。天使のような心の広さには感謝である。


 焚き火の炎を眺めて、時折木の棒で薪を突きながらの考え事はとても捗る。炎を見つめていると不思議と気持ちが落ち着くからこそ、キャンプの趣味に目覚めたと言っても過言ではない。


 お陰で独り言の癖がついてしまって、周囲には変な目で見られることが多くなったが、とっくに慣れてしまった。慣れすぎて人目をはばからなくなり、他人に自分のスケジュールなどがダダ漏れになって「なぜ知っている?!」と何度驚かされたことか。


 完全に自業自得だが。


 狙ったわけではないが会話の流れが生まれたので、ついでに聞いておく。


「リッちゃん。ここから例の村まではどれくらいの距離があるかってわかる?」

「んと……直線距離なら半日程度だと思うけど、大きな川に阻まれてて迂回しないといけないから、その倍はかかるわね」

「移動に一日……しかも徒歩。まさに『トホホ』ってか」

「は?」

「ゴメンナサイ」


 つまらない事を言った自覚はあるが、想像以上の高圧的な「は?」に思わず謝罪の言葉が飛び出した。


 愛らしい見た目とは裏腹に、結構キツイ性格をしていらっしゃる。


「ま、そこがリッちゃんの良いところなんだけど!」

「そういえば一つ気になっていることがあるの」

「スルースキルここに極まれり! ——気になってることって?」


 キメ顔と一緒にウインクまで飛ばしたのに見事に無視されたコウだが、リアエルの真面目な表情に気づいて、つついていた棒を薪として炎に放り込んでから姿勢を正し、話を聞く体勢になる。


「私たち、なにか見落としているような気がするの。それが気になってさっきからずっとモヤモヤしてる」


 だから高圧的でキツイ言いかたになってしまったのかもしれない。……だと思いたい。


「それは良くない。ストレスは体に毒だかんな。……とは言えそれだけじゃな」


 腕を組んで首をかしげるコウ。


 ありとあらゆることに関してリアエルの力になりたいと思っているが、さすがに情報不足もいいところだ。無茶振りにもほどがある。


 母親に言われた「なにを言おうとしたか忘れたから代わりに思い出して!」くらいの無茶だ。あるいはトイレに立って「お母さんの分もしてきて」と言われたときでもいい。


 そのときは「できるかっ!」と一言で一蹴したものだが、リアエルのはそのような戯れの類ではないのが窺える。


 いずれにせよ、スッキリするためのピースが欠けたままではどうしようもない。なんとかして引き出さなくては。


「見落としてるってのは……具体的にどんな? もうちょっとなにかない?」

「見落としてるっていうか、見逃してるっていうか……忘れてる、みたいな……?」


 指をわきわきと動かして催促すると、首を左右に何度も傾げながら絞り出すリアエル。


 その度に揺れ動くプラチナブロンドの長髪が焚き火にキラキラと煌めく。


「あぁ〜……少し心配性になってるんじゃないの?」


 翠緑色エメラルドグリーンの瞳は憂いを帯びていて、なぜだか不安になってしまう気持ちはわからなくもない。


 家を出てから、鍵閉めたっけ? 財布持ったっけ? エアコン切ったっけ? と考え始めてしまうと泥沼だ。

 気になりすぎて確認しに戻っても、結局大丈夫であることがほとんど。


 リアエルがしている心配は、その類なのではないかと思う少年だが、それでは納得がいかないのか頑なに首を横に振る。


「ううん、絶対になにか足りないの。これは確実。でもそれがなにかわからないのよ」


 例えば何かをド忘れしてしまったとき、自分一人で考えても出てこないのに、誰かに聞いた途端に思い出すことはよくある。同じように悩みごとも、相談を持ちかけた瞬間に自分で解決策を思いつくこともしばしば。


 何かが足りないとわかっているのなら、きっかけさえあればあっけなく思い出すかもしれない。

 どうして忘れていたんだろう、となるような、そんな感じで。


「身の回りを改めてみるってのはどう? 所持品の確認とかさ」


 こういう場合はいくら考えても出てこないものは出てこない。なんでもいいから何か行動を起こしたほうが進展する可能性はある。


「……そうね。ジッとしててもモヤモヤするだけだし、そうしましょう」

「俺も持ち物をしっかり把握しとかないとな。いつなにが役に立つかわからんし」


 相棒のショルダーバッグを膝の上に置いて口を開き、焚き火の明かりに照らしながら内容物を改めて確認する。リアエルもその隣で同じように所持品の確認をするが、出てくるのは投げナイフばかりで、本数を数えている。


 まさか森に入るのにその装備だけだとは思いたくないが、見た目だけならそのまさかなので、あまり信じたくはない。


 コウの所持品は『スマホ、モバイルバッテリー、充電コード、モーラ・ナイフ、メタルマッチ、財布、ポケットティッシュ、飴数個、絆創膏』そして——


「おニューのハーモニカ、と……」


 新宿に買いに行っていた物とは、まさかの楽器。それもハーモニカであった。


 アウトドアにオタク趣味に楽器と、とにかく多岐に渡って多趣味な少年である。


「水に落ちたからやべぇかと思ったけど、すぐに上がったしまだ未開封だから大丈夫そうだな。バッテリーとかも大丈夫そう。さすが信頼のメイドインジャパン! ただしティッシュ、テメーはダメだ」


 水を吸ってひと塊りになってしまったポケットティッシュはもう使い物にならない。なんだったらバッグの中に白い残骸を吐き散らしていて害悪ですらある。


「いくら貧乏性が根付いた俺でもコレを有効活用する手段は思い付かない。せめて炎の糧となってくれ……」


 しみじみと呟きながらひと塊りになったポケットティッシュを焚き火へと放り込んだ。

 白い残骸の処理は明るい時間に暇があったらやるとして、本題はそこではない。


「で、どうリッちゃん? なんか思い出した?」

「さんじゅうに、さんじゅうさん——、え? なにか言った?」

「リッちゃんや……弾数は多いに越したことはないけど、やりたいことそれじゃないから」

「そんなこと言われなくてもわかってるわよ!」


 まだ数えている最中のようだったが、ありとあらゆる懐に手際良く次々としまい込んでから、小さく咳払い。


「やっぱり思い出せないわ。あー気になる!」

「んー、あとゴブリンのナイフと弓矢もまだ預かってるだろ……」

「………………」

「? リッちゃん?」


 そばに置いたままのそれらを指差してコウが確認した途端、リアエルの表情がほんの僅かに硬くなる。思い出すには至らないが、何か引っかかるものがあったのかもしれない。


「ゴブリン……ナイフ……弓矢……焚き火……食事……魚……〝名前のない森〟」


 そこまで呟くと、青い顔して大きな双眸がさらに大きく見開かれる。


「そう……そうよ。どうして気づかなかったのかしら!」

「リッちゃん?!」


 焚き火のそばに座って暖まっていた少女は勢いよく立ち上がり、何かを探すように周囲の暗がりに目を凝らす。


 だが、目的の物は見当たらない。


「暗くてよくわからないわ……」

「なにを探してるん?」

「焼き魚よ」


 彼女の言っていることがよく理解できなくて頭の上に『?』が浮かぶ。


 探すも何も、先ほど食べたじゃないか。それを散々突っ込んでもいたから、ある訳がないとわかっているはずなのに。


「リッちゃん……記憶喪失ということになってる俺が言うのもなんだけど、頭大丈夫?」

「記憶喪失じゃなくてもキミに言われたくないわ!」

「普通にひどい?!」


 予想以上の激しい突っ込みに若干ヘコむが、もちろん冗談だ。彼女がここまで言うのだから、何かあるのだ。


 ——焼き魚に。


「もっと明かりが欲しい。火のついた薪を貸して!」

「うわっ?! ダメダメ危ないってば!」


 リアエルがバチバチと燃え盛る薪の一つを手に取ろう腕を伸ばし、慌てて細い手首を掴んで引き止める。


 炎を明かりとして使うために作られた松明などであればいいが、これはただの薪だ。炎から遠ざければすぐに消えてしまうし、消えないように持ち方を変えていてはあっという間に手元にまで火が回る。


「明かりがあればいいんだろ? ならこれで充分だよな」


 スマホを取り出し、ライトモードオン。


 カメラレンズの横に付けられたフラッシュ用のライトが眩しく光り、闇を切り裂くように先を照らし出す。

 現代の技術が早速役に立つ時が来たようだ。


「スゴイ……なにこれ? 遺物イービル……よね? どうしてキミがこんなもの持ってるの?」

「『いーびる』ってのがなんなのかよくわからんけど、俺の故郷なら一人一台持ってて当たり前の物だよ」


 さすがにこの世界にスマホのような機械はないようで、リアエルの驚きようはなかなかに痛快だった。

 文明レベルはどうやら地球に軍配が上がるらしく、こちらでは未知の物体は『遺物イービル』なるものとして認知されるようだ。


 リアエル以外の人間に会ったことはないので、もしかしたら近未来のような街が存在する世界という可能性は、まだ捨て切れないが。


「そんなことより。明かりは用意したけど、これでどうするん?」

「ぐるっと一周照らして」

「ほいよ」


 言われた通り焚き火の明るさの範囲外を、スマホのライトを使って照らす。

 だが、照らし出されるのは地面ばかりで、他には何もない。


「やっぱり……」

「え? おかしな様子はないけど?」

「だからおかしいのよ」


 照らせる範囲に気になるような点はないとコウは主張するが、確信を得たように首を振るリアエル。


「キミも見たはずよ。焼き魚を」

「見たもなにも、獲ってきたし、焼いたし、食べたし、美味しか——」


 そこでふと、コウの言葉が途切れる。


 無言のまま今一度周囲を照らし出すが——無い。言われるまで気づかなかったが、言われてみれば、確かに無い。


「気づいた?」

「そう言えばそうだった。確かに無いな、焼き魚」


 コウとリアエルがゴブリンと初めて遭遇したとき、ゴブリンは何をしていた?


 存在に感づかれて逃げられたあのとき、あの場所には、ゴブリンが焼いた魚がそのまま転がっていた。

 それが無くなっているのだ。


 これが意味するところはつまり——


「あのゴブリン、いつの間に拾い喰いなんかして……腹大丈夫かな」

「そうじゃないでしょ?!」


 さすがに時間が経ち過ぎているので腹痛の心配をするコウに、リアエルは腹を立てて声を潜めたまま怒鳴るという器用さを見せる。


「この森にはゴブリン以外にもモンスターがいるのよ」

「マジか?!」


 と大げさなリアクションをするコウだが、少し考えればわかることだ。


 今まではたまたまエンカウントしてこなかっただけで当然、広大な森には様々な生態系が存在している。ゴブリンなどその一種でしかない。


「この森にいる生き物で魚を食すのは二種類だけ。ゴブリンと——ニドルウルフよ」

「オオカミっぽいモンスターなのは名前で想像つくけど、初耳だな。この世界オリジナルか?」


 2ドルとはまた……なんか安そう、から転じて弱そうな名前だが、決してそんなことはないと彼女の真剣な様子が訴えかけてくる。

 そもそも序盤の敵として有名なゴブリンですら手こずったのだから、それ以外のモンスターはさらに手こずること請け合いではないか。


「ニドルウルフは厄介な相手よ。もし襲われたら助からないかも」

「……そんなに?」


 風を操る【風りの加護】という能力をその身に宿しているリアエルに「助からないかも」と言わしめるモンスター。


 ゴブリンを倒す目的でこの森に入ったリアエル。彼女が一人だったのはゴブリン討伐なら一人で事足りるからだろうが、それだけの実力があると見込まれたからでもある。


 それでありながら慎重にならざるを得ない相手と言うならば、これは相当なモンスターということになる。


「その2ドルウルフってやつの特徴とか教えてくれ」


 念には念を重ねておきたい相手と判断し、コウは詳しい話を聞き出そうとしたのだが、表情の曇るリアエル。


「実は、話に聞いただけで見たことはないの。とにかく臆病で、慎重に行動するって」


 近くの農村で聞いた話で、村人ですら姿をまともに見たことはないという。

 人里は危険だと判断して近づかないのか、それとも人間は狩りのターゲットから外れているだけか。


「隙を見せるか、疲れて弱って動けなくなったとき、ようやく襲ってくるような連中よ。つまり襲われたら最期ってわけ」


 だから厄介で、だから襲われたら助からない。


 コウの現代知識から考察すれば、『一匹狼』なんて言葉もあるが、あれは基本誤りで、オオカミは四〜八頭の社会的な群れで行動する。巧みなコンビネーションで獲物を追い詰め確実に仕留めるような、勝ち戦しかしない賢いハンター集団。


 臆病で慎重というリアエルの話とも合致する点は多そうだが……やはりネックなのはここがコウにとって『異世界』であるということ。

 現代知識がどこまで役に立つか、知れたものではない。


「リッちゃん。俺は臨機応変に、使えるものは使ってくって信条がある」


 これと決めて、行動に移すとなったらコウは早い。


「急になんの話よ?」

「再三のお願いになるけど、ゴブリンに武器を返してあげよう。彼らにも命があるし、協力すればなんとかできるかも知れんだろ」


 ゴブリンはもともと〝名前のない森〟を住処としている種族。話が通じる種族であることはわかったし、当然ニドルウルフのことも知っているはず。


 ここは協力を仰ぐのが最善の選択。そのためにも、武器は返してあげなくてはいけない。


「それじゃ敵を増やすことになるかもしれないじゃない」

「あれを見ても同じこと言えるん?」


 指差す先には話し合いに応じてくれた親子ゴブリン。


 両ももに頭を乗せてスヤスヤと眠る息子の頭を優しく愛でるように父親ゴブリンは撫でている。その度に、表情がほころんでいく様は実に平和的じゃないか。


 もう覚えていないが、コウだって小さいときはあんなだった。リアエルだってそのような時間がきっとあったはずだ。


「父親が、息子を守るために必死だったから襲ってきただけなんだ。その息子も、父親を助けたくて俺との交渉に応じてくれた」


 確かに人間とゴブリンは敵同士かもしれないが、利害の一致があれば、味方になってくれる見込みは充分以上にある。


 信じられる相手なんだ。信じるに値する相手なんだ。


「だから、信じていいと思うんだ。リッちゃんが俺を湖で見捨てなかったみたいに」


 天を仰ぐリアエルは、自分の中にあるプライドとの葛藤の末、


「……………………はぁ。わかったわよ、キミがそこまで言うなら。その代わり、しっかり手綱を握ってよね!」

「さっすがリッちゃん! 話がわかる! 愛してるぜー!」

「ふんだ」


 コウの安い愛の告白を明後日の方向に受け流すリアエル。


 その表情は、少なくとも悪い気はしていない様子だった。

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