第3話「二番目に弱いモンスター」

   第一章3話「二番目に弱いモンスター」




「で、なんでキミついてきてるわけ?」

「言わなかったっけ? 君に惚れたって」

「本音は?」

「怖いので一人にしないでください」

「ん、よろしい」


 軽口を挟みながら鬱蒼と茂る森の中を歩く少年少女。


 その少女——リアエルが言うには、ここはストファー王国の辺境にある〝名前のない森〟と言うらしい。

 怖いので〜はもちろん本音だが、惚れたというのももちろん本音だ。


 湖で出会い、助けてくれてありがとう、どういたしまして、はいさよなら、ではいくらなんでも味気ないだろう。記念すべき第一村人(?)なわけだし。


 つい先ほどパラシュートなしのスカイダイビングから救ってくれた白いフード付きのローブを纏うリアエルの背中を追いかけるように歩き、コウはキョロキョロと周りを警戒する。


 一人になった途端に感じた視線と悪寒。自分が何かに襲われてズタボロに殺されるという最悪の事態を想像して、慌てて彼女を追いかけた。

 襲われたらリアエルに助けてもらおうという実に情けない理由だが、確実に身を守れる手段がそれしか思い当たらないのだから仕方がない。


 ホラー映画では孤立したバカから葬られていくのが鉄板なのだ。


 時折聞こえてくるやかましい鳥の声や、犬なのか狼なのか、それらしい遠吠えすら鼓膜を揺さぶり平常心を崩しにかかってくる。


 自然の世界に人間は無力だ。用心せねば。


「ち、ちなみにこの森ってモンスターとか出んの?」

「当たり前でしょ。そんなことも知らないの?」


 やっぱりかと思いつつ、これまた常識的な質問が飛び出てきて呆れるリアエルに「しょうがないだろ」と反論するコウ。


「あいにくこの世界には来たばかりでね。いろいろとわからないことだらけだからご教授願えると助かるんだけど」


 異世界に落ちてきてまだ小一時間も経っていない。情報化社会に生きてきた少年は情報の価値とそれを集める大切さをよく理解しているつもりだ。


 RPGでも村人に話しかけまくって次へのフラグを立てるのだから。


 ましてやここは文字通り、生きてきた世界からして異なっている場所。早々に順応できなければ手厚い洗礼を受けてさっくりとお陀仏だ。


(やっぱりダメか……)


 いちおう試してみたが携帯が繋がるわけもなく、早々に機内モードに切り替えて、おまけに低電力モードにもした。


 ソーラーパネル付きの大容量モバイルバッテリーを常に持ち歩いている(おかげで愛用のショルダーバッグはいつも重い)ので、充電切れに困るようなことはしばらくないはずだが、念のために無駄遣いは避けておきたいところ。


 使うとしたら、メモと撮影。あとはせいぜいアラームを使うか使わないか、くらいか。容量を確保するために無駄なアプリは全部削除しておいたほうがいいだろう。


 ……無課金のアプリから優先的に。


 電源を落としてしまうことも考えたが、それは本格的にスマホが必要ないとわかってからでいいだろう。


 見たことない形の植物を慣れた様子で踏みつけて歩きやすく道を作りながら、リアエルは首をかしげる。


「どういうこと? まるで記憶喪失みたいね」


 子供でも知っているような当たり前のことをことごとく知らないのだから、そう思うのも当然だろう。


 正確には記憶を失ったわけではなく、もともと持ち得ていないわけだが、そういうことにしておいたほうが都合がいい。


「そう思ってくれて構わないよ。大差ないだろうし」


 前を歩くリアエルがチラリと後ろを見てコウの姿を確認し、表情を窺う。


 エメラルドグリーンの瞳に射抜かれてドギマギしつつ、嘘や冗談を言っているわけではないと判断してくれたのか、甘い声音で許可をくれた。


「質問に答えるくらいはしてあげる」

「サンキュー! やっぱリッちゃんは天——」


 ピクリと眉が持ち上がる。


 慌てて口を紡ぎ、続きそうになった言葉を飲み干す。これはしばらく難儀しそうだ。


「……てん?」

「天性の優しさを持ってるよな! なにも知らないバカな俺にいろいろ教えてくれるってんだからさ!」


 苦し紛れの言い訳をするコウに、そうとわかっていながら聞かなかったことにするリアエル。

『天使』がNGワードなのは確かだが、実はそこまで気にしてはいないのだろうか?


 本当に気にしているのであれば、徹底的に『言うな』と釘を刺すはずである。しかしそうしないのは、単にコウのことを信じてくれているからか。


 悪気があって言っているわけではないと。


「それで? 聞きたいことってなに?」


 背の高い草を両手でかき分け、根元を踏んで慣らす。おかげで後をついていくコウは歩きやすい。


「そうだなぁ……魔法ってある?」


 魔法そのものは無くとも、それに類似したものはあると確信しての問い。じゃないとスカイダイビングからどうやって助けてくれたのかの説明がつかないからだ。


「あると言えばある。ないと言えばない。みたいな感じかな」

「なにそれ意味深! 詳細キボンヌ!」

「きぼんぬってなによ?」

「細かいことはいいから、早く教えておくれよ!」

「はいはい。……なんか弟が増えたみたい」


 個人的にすごく気になる呟きをこぼしたが、いちいち拾っていては話が進まない。ここは『弟がいるらしい』とだけ心にメモをしていったん置いておく。


 んー、と頭の中で言葉を整理してから、リアエルは簡単に教えてくれた。


「大昔は普及してたらしいし、今もいちおう現存はしてるみたい。でも使える人は誰もいないの。例外はあるけど」

「なーる、そういう設定ね」


 指をパチンと鳴らし、納得の頷き。


 どうやら魔法は存在しているが、『大昔』や『いちおう』という単語から、現在は廃れてしまった古の技術であることが推察できる。『普及してた』という言い回しから、魔法は誰でも使えたものである可能性もある。


「じゃあ俺を助けてくれた風は? あれは魔法でないん?」


 湖面を全く揺らさず人一人を浮かせるほどの風だ。当然自然現象でないことは明らかだから、勝手に魔法か何かだと思い込んでいたのだが、リアエルの話によれば魔法を使えるものは誰もいないという。


「あれは加護よ。【風りの加護】って言うの」

「カゴ? サンドイッチ詰めてピクニック?」

「それはかごでしょ! 私が言ってるのは神様の祝福のことよ」


 コウのつまらないボケにも律儀に突っ込んでくれるあたり、リアエルの優しさが垣間見える。


「それは魔法とはどう違うん? 俺にも使える?」

「はぁ……本当になにも知らないのね……」


 頭を抱えて重いため息がこぼれるリアエルに、コウは申し訳ないと両手を合わせつつも「それで?」と続きを促す。


「加護は神様からたまわった才能みたいなものだから、魔法と違って誰にでも使えるわけじゃないわ」

「ふむふむ……じゃあ俺も神様から加護をのたまわれば使える、と」

「賜る、ね。まあ、そういうことになるかしら」


 つまりこの世界の『魔法』はスクロール的なアイテム扱いで、加護は個人が持つ固有スキルのようなものか、とゲーム脳で自分なりに解釈して咀嚼する。


 魔法がアイテム扱いなら使える人がいないのはおかしくね? と自分の理解に異論を唱えるが、今ないものについて考察しても仕方がない。いったん置いておくとして。


「となると、俺に加護は使えないかな……」


 そもそもこの世界の生まれではないし、こちらにくる際、女神様との遭遇イベントはすっ飛ばしている。


 加護が後天的なものであるならばワンチャンあるかもしれないが、『才能』という言い方からして先天的なもの。


 生まれ持った才能、というやつだ。


「神はリッちゃんに二物も三物も与えたわけだ」

「なにそれ? どういうこと?」

「加護が使える、かわいい、優しい! ほら三物!」

「ばか」


 指を三本立ててなぜか誇らしげに言うコウに、頬を染めながらリアエルは歩調を早める。


 今のは刺さったな、と冷静に分析する自分が恐ろしい。


『天使』という褒め言葉は機能しないが、普通の褒め言葉であれば通用するということだ。これがわかったのは大きな一歩である。


「とっとっと……」


 などといる間にも、歩調が早まったせいで少し離れてしまい小さな背中がより小さくなっている。


 これ以上距離が離れないように急ぎ足で追いかけ、自らの境遇を省みる。


 とりあえず、残念なことに俺TUEEEE系ではない可能性が濃厚だ。身体にみなぎってくる謎のパワーも感じないし、加護とやらも持っていない。


 ご都合主義100%の、ピンチになったら覚醒するパターンでも発動しない限りは、戦いにおいてお荷物でしかないことは確定。リアエルから離れれば何かに襲われるかもしれないし、近すぎたら戦いになったときに邪魔になる。


「ハリネズミのジレンマみたいなことになってんなー……」


 近すぎてもダメ、遠すぎてもダメ。どうしろと。


「しっ!」

「うお」


 突然立ち止まったリアエルは、手をこちらに向けてストップの合図。エメラルドグリーンの視線を前方に向けたまま、物音を立てないように慎重な動きになる。


 立ち止まったことにより足音がしなくなり、周囲の音が鮮明に聞こえてくる。


 森の木々が風に揺れ、葉擦れのハーモニーを奏でている。熟れた木の実が地に落ち、それを聞きつけたリスのような小動物が集まってくる。


 そんな自然の環境に、自然ではない雑音が混じる。


[「よし、焼けたぞ。さあ食え!」]

[「わーい!」]

[「やったー!」]


 聞こえてきたのは声だった。まるで家族連れのような、父と子供二人の声。


「痛ッ?!」


 その声が耳に入ってきた途端、覚えのある強烈な頭痛に襲われて、コウは思わず頭を抑えて膝をつく。


(また……けどこれは……ッ?!)


 今度の頭痛はタイプが同じでも規模が明らかに違う。目眩や吐き気に襲われ、立ち上がることもままならないなんて。


 ピントは合わずに視界はボヤけ、耳に入ってくる音はひどいノイズに蝕まれている。


 いつだったか、インフルエンザをインフルエンザと気づかずに外出しようとしてぶっ倒れたときに感覚は似ているが、それ以上だ。


「キミ、————、————ぶ?」


 リアエルが肩を軽く揺さぶり、心配の声をかけてくれているのはわかるのだが、どうにも判然としない。


 まるで後頭部をハンマーでぶん殴られたような衝撃に、嘔吐感と一緒に目玉まで飛び出しそうだ。


「ぁぁ……」


 なんとか捻り出した声にならない声と手で、問題ないことを伝える。はたから見たら全然問題なくはないので、信憑性はゼロだ。


 焦りで曇ったリアエルの表情が、コウの容体の深刻さを物語っている。


 とにかく深呼吸。こういうときは深呼吸だ。


 大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出し、気持ちを落ち着ける。


 それを続けて1分ほどで、頭痛も、それによる嘔吐感もすっかり鳴りを潜め、いつもの調子へ復調する。


おさまった……? なんなんだこの頭痛は……?」

「ねえちょっとキミ……本当に大丈夫なの? もしかしてなにか思い出しそうとか?」

「え? ……ああいや、全然。ゴメン、いろいろと」


 そういえば記憶喪失ということにしたままだったことに対する謝罪と、心配をかけさせてしまった謝罪と、足手まといになっていることへの謝罪。


 とにかく申し訳なくて、自分が情けない。


「そう……。顔色も良くなってきたし、大丈夫そうね。立てる?」

「サンキュー」


 差し出してくれた手を掴み、力を入れて立ち上がる。

 手をグーパーさせてみたり、軽くジャンプしてみたりしてなんともないことを確かめる。多少指先に痺れが残っているが、荒い呼吸による酸素不足が原因なだけなので問題はないだろう。


 手を取った際、彼女の白くて細い華奢な指や柔らかな体温を余さず堪能しておくことは忘れない。ちゃっかりした坊主であった。


「あ、そういえばさっきのはなんなん?」


 軽い柔軟体操で体をほぐしながら聞くと、リアエルは首をかしげる。


「さっきの?」

「なんで止まったのかなって。なにかあった?」


 突然の頭痛のせいで何があったのか全く把握できていない。今は静かにしなくてもいいようなので、とっくにその『何か』は去ってしまったようだが。


「ゴブリンよ」

「……マジ?」


 ——ゴブリン。


 ファンタジー世界においてスライムと同格の有名な存在といえる。RPG的にはスライムの次に出会う敵で、つまりは下から二番目に弱いモンスター。


 だからといって油断していると痛い目に遭うことはなんとなく想像がつく。ゲームでは弱くても、それはゲームだから。生身の人間からしたら充分脅威だ。


 相手が人間の子供でも、包丁を持たせたら危険になるのと一緒で、ゴブリンは簡素でも武装していることが多い。それはつまり、武器を使う知恵、作る知識などそれなりな文明をゴブリンなりに築いているということ。


 ファンタジーな世界観ならば居て当然のような存在だが、当たり前のように口にされても現実味はない。実際目の当たりにすることはできなかったわけだし。


「本当よ。私たちの気配に気づいてせっせと逃げちゃったけど」

「そっか……ゴメン。なんか謝ってばっかだな、俺」


 ゲームでも行商人など、特定の対象を護衛するイベントがあったりして、トロトロ移動してんなよ、とか、柔らかすぎるだろ、とか散々文句を垂れていたが、守られる立場になってわかったこともある。


 何もできない、役に立たないというのは、心苦しいということ。


 レベルが低いから。戦いの心得がないから。何も装備してないから。だから何もできない。

 ゲームならばシステム的な縛りがあるからそれも仕方ないだろう。


 だが、いま目の前に広がっている世界は本物だ。信じられないけどリアルなのだ。


 システム的な縛りがないのなら、手の打ちようもあるはずなのに、肝心なときに動けないとは実に情けない。


 だというのにこの少女は、


「どうして謝るの? キミはなにも悪いことしてないじゃない」


 文句も愚痴も吐き出すことはなく、純粋に心配してくれている。翠玉すいぎょくの瞳に宿る光は真っ直ぐにこちらを見つめて疑問をぶつけてくる。


 この少女はどこまでも優しさで出来ているらしい。


「でも、ゴブリンがいたんだろ?」

「いたわね。それが?」

「え? えっと……倒したりとか」

「しないわよそんなこと」


 心外とばかりに首を振る。


 もしかしてファンタジー世界といっても、リアエルと同じで思っていたよりも優しい世界観なのかもしれないと思ったのも束の間、


「住処の場所を知るためにわざと逃がしたの。倒しちゃったらわからないじゃない」


 やっばり殺伐とした世界観だった。


 ここでもやはりゲーム脳なコウは、モンスターと遭遇したら倒すものと思い込んでいたが、さすが現実。さすがリアル。


 モンスター側が逃げることもあるのをすっかりと失念していた。


 ゴブリンにも知恵はある。家族連れのようだったし、子供を巻き込まないためにも戦闘は避けたかったと思われる。


 しかしあえて聞かないでいたが、先の発言でリアエルが受けている『依頼』とやらの片鱗が見えてしまった。


「ゴブリンの住処を見つけ出して……どうするんだ?」

「そんなの決まってるでしょ」


 まさか。まさかな。


 ——あんなに楽しそうにしていたのに? まるでキャンプのワンシーンのような声が聞こえてきたのに?


 コウの内心を裏切る形で、当たり前のことを当たり前のように、少女は言う。


「一匹残らずやっつけるのよ」

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