第197話 拝啓 (自称)健常者の皆様へ

 普段、私は自分が発達障害などを患っていることを隠している。


 それは、差別もそうだが本人はその気がなくても逆差別を受けるのも嫌なのだ。


 例えば、「普通の人(健常者)より絵画とか得意でしょ?」


「下手ですよ」


 発達障害を公表して絵画や書道などで活躍する人もいるが、正直、そんなのは極めて稀なケースである。


 私の場合、四半世紀以上小説などを書いている。


 障害判定をした女医さん(余談・美人)曰く「隅田さんは数学系は苦手ですが、文系はかなり、正直、私が見てきた患者さんの中でもトップレベルの才能が有ります」


 これを聞いたとき、私は複雑な思いがした。


『そりゃ、四半世紀以上もやれば否応なく文系になりますよ』


 心の中で反発した。



 ただ、高校生時代に科学系のテレビを好んでみていたので、その影響で哲学的な考えや文章に詰まって悩んだとき、最近は「これを科学的(法的)に考えてみよう」「第三者的に考えてみよう」という志向が強くなった。(それでも、パンクして人に相談するけど)


 もしも、本当に私に文才があるのなら、とうの昔に作家デビューをしてそれなりの作家になっていたかも知れない。


 でも、今の実際の私は冴えない四十代も後半になってきている。


 健康診断ではバリウムを飲み、前日にウナギのかば焼きを食べたことで奇跡の二杯目に突入し下剤も二倍になった。


 そんな歳であるが、未だに書籍化どころかメディアに乗ったこともない。(まあ、カクヨムもメディアと言えばそうだけど)


 それでも、心のどっかで「いつかは大作家になってやる」という意味不明な気持ちがあり、今は資料集めに邁進している。


「未来の大作家になる」という思いはあるが、近年これも大分変化してきた。


 それまでは核として『私を虐めていた奴らの復讐』というものがあった。


 今はそれはない。


 その分、「丁寧に作ろう」なんて考える余裕が出来た。



 お子さんが『発達障害』などと言われてショックを受けている親御さんも多いだろう。


 当事者として言わせてもらうと、『二次障害にならないように注意してほしい』だ。


 最初は「あれもできない」「これもできない」と悲観するだろうが、時間はかなりかかるけど出来るようになる。


 むしろ、親や周囲が悲観し過ぎて過度に甘やかしや体罰は、後々PTSD(心理的外傷)などの二次障害になる。


 実は、私は二次障害(PTSD)のほうが重く、対人関係を築くのがとても大変なのだ。


 八年間、精神病院のリハビリ施設で訓練(?)をして幸運で今の職場についた。


 PTSDを人目にさらすことは、素っ裸で公道を歩くより恥ずかしい事だった。


 周囲、主に職場のスタッフさんやお医者さんは無理やりかさぶたを剝がそうとしなかった。


 ゆっくり丁寧に、時に消毒をしながら、かさぶたを剥がし包帯を巻いた。


 少し、心が軽くなった。


 

 変にメディアで取り上げる障碍者を持ち上げる記事などを見て『障害=天才』ではない。


 むしろ、普通の子として金銭感覚や努力の仕方を教えてほしい。


 いくら習字や美術が出来るからって金にならなきゃ意味はないのだから。

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