第196話 愛が憎しみに代わる時

 現実でもフェクションでも愛が憎しみに代わることは、よくある話だ。


 ストーカー事件なんて最たるものだろう。(本人の自覚あるなしに関わらず)


 多くの犠牲者とたくさんの資料を、この世界から消した男の裁判が始まった。


 京アニ事件である。


 自分が送った小説に似たシーンを「俺の作品からパクった(盗んだ)」と激昂し制作現場にガソリンを撒き火災を起こした。


 青木容疑者もまた、かなりの火傷を負ったが医師たちの懸命の治療でだいぶ回復しているようだ。


「こんなに殺すつもりはなかった」


 この言葉に怒りを覚えたファンも多いだろう。


――じゃあ、少なかったら殺していいのか?


 

 アニメや芸能の世界は、理不尽極まりない世界から逃れる最良の手段である。


 その思いから小説を志す人もいるだろう。


 私の場合、自分が読みたい小説や漫画が無かったから自給自足的な制作活動になった。


 うーん、地味だ。



 そして、今は、ネットを介して世界中の人の作品を読むことができる。(言語の壁はあるが)


 そこでヒットすれば現実世界で文庫として売られ、アニメ化などになる。


 下手をすれば大作家の仲間入りもできる。


 しかし、それは握った砂の一粒みたいなもので、大抵は名を残すこともなく消えていく。


 そして、応募が増えれば増えるほど、当然倍率は上がる。


 だが、その中で真の意味で『オリジナル』と呼べるものは実は少ない。



 実際、多くの書き手が「まずは、真似ることから始めなさい」という。


 研究をして、自分を見つめ、考え、作品に反映させる。


 簡単なようで実に難しい。


 

 青木容疑者の過去は酷いものだが、それを今歯を食いしばって頑張っている者たちに対して、彼の行なった犯行は同じか、それ以上の屈辱である。



 作品を書くことは自分が生きた証を残すことだ。


 でも、その作品の伝えたいメッセージが幼稚な思考で犯行に及ぶようなものなら捨てちまえ。


 何度も何度も鍛錬をしてようやく、ものに成れる。



 一部の天才だけを見て都合よく解釈するのは薦めない。

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