第179話 どういう未来を生きるか
約十年前ほどから『発達障害』およびそのほかの精神病が大々的にテレビなどのマスコミで見ることになった。
そして、私は『発達障害』の該当者であった。
確かに小学校からの通信簿を観れば様々な表現で「こいつ、集団行動が無理」と書かれている。
正直、笑える。
だが、それは過去になったから笑えるのであり、これは親も私も悩んだ。
そのうち、考えるのも面倒になり「もう、一人でいいや」と思うようになった。
淋しい。
辛い。
悲しい。
そんな時はこう考えるようにした。
『この世の全ては私のものだ。今は、皆に貸しているだけ』
親も実際、こんなことを言っている。
「お前が子供の頃に『発達障害』だと分かっても自分たちは精神科を受けさせたか自信がない。だって、認めるのが怖かったから……」
時代が進み、私は八年間ほど通院とリハビリをしていた。
今や一人歩きの感でさえある『発達障害』だが、実は私、発達障害は持っているがその割合は低い。
逆に二次障害として『PTSD』のほうが大きい。
子供だった当時は俗に言う「体育会系」が正義であった。
簡単に書くと「弱い方が悪い」という考え方だ。
ここで少し歴史の勉強をしよう。
まだ、医学、とくに精神医学が乏しかった江戸時代、明治初期はよほどの重病者ではない限り、私のような者たちにも働く口は沢山あった。
今でいう専門職などがそれだ。
または、巫女などとして神格化された。
大正期になると西洋などから未発達ながらも精神医学が本格的に医療に導入されるが、戦争による全体主義が正義だった時代に置いて「とりあえず、危ない奴は病院に封じ込め」という認識が広がる。
終戦になりバブル景気ぐらいになると機械化が進んだ。
それは、職人の様な人物よりも大体平均的にできる人間などが重宝される時代の到来である。
また、情報化社会になり個人特定が迅速になった。
精神患者を狙った事件や誹謗中傷も一つ二つではない。
「病院に危ない奴は封じ込めておけ」も人件費などのあおりで『地域医療』という「全部家庭が責任を持て」になりつつある。
子供の未来は親がどんなものを見せてきたか、どういう風に感じさせたかでだいぶ変わる。
子供自身も何を選び、何を目指すかで生きる道が決まる。
まあ、少なくとも見も知らぬ、どこの馬の骨かもわからねぇ奴に「君はどう生きるか?」と言われても「余計なお世話だ、ボケ」というのが私。
(だから、一時期本屋が苦痛だった)
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