第175話 平等は果たして楽園への入り口か?
私の発達障害は約十年前に分かった。
今月、私は四十余年目の誕生日を迎えるが、その半分ぐらいは「健常者」として生まれ育って社会人をしていた。
とにかく、自分自身をコントロールできないし、相手の言っていることや行動が分からない。
それでも何とかしがみつかないと親や周りが怒るので必死だった。
「隅田さんは発達障害です」
この言葉で世界は一気に……とは言わないが世間や親が私を見る目はかなり変わった。
『出来て当たり前』という言葉が消え、「無理をしなくていい」「休んでいいんだよ」という言葉が多くなった。
時代の変化というのもある。
感謝している。
それは本心だ。
同時にその理解や優しさに胡坐をかいて何か自分に足りないものがあると「差別だ」「無理解だ」と騒ぐ障碍者には腹が立つ。
こいつらに関しては私は一切の同情もないし仲間意識もない。
なんなら、生命維持装置を外して移動ベットから投げ出したい思いすらある。
優しさと差別は表裏一体である。
優遇ではない。
極論を言えば「差別がない社会こそ一番差別のある社会」だ。
そこは能力主義だ。
明確に数値化され、ふるいにかけられる。
そこに女性や障碍者などの配慮はない。
その中でも生き抜く覚悟が本当にあるものこそが「差別なき社会を」というのが筋だと思う。
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