第172話 小説家とは魔法使いである、という話
当たり前の話だが、ものの見方、考え方、感じ方は人それぞれである。
他人が美味しいと思ったものでも自分にとっては不味かったりアレルギーが出るものもある。
一つの出来事に対して正面から見る人もいれば裏側を見る人もいる。
雨を憂鬱だと思う人もいれば、快適と思う人もいるだろう。
それは長く連れ添う夫婦でも起こる。
私自身は独身だが、刺身を食べると母は鮪の切り身だけしか食べないが、父はしめ鯖や鰯を食べる。
母曰く「何で、あんな生臭いものを食べるか分からない」
それを人生の得と思う人もいれば人生の損と思う人もいるだろう。
小説を書いていて思うことは、相手にどれだけ自分の想像というものが伝わったかということだ。
よくよく考えたらエラく大変な作業だと思う。
自分の脳みそが作り出した架空の世界を文字だけで見も知らぬ多くの読者に共感を得るのだから、漫画やゲームが流行るのも頷ける。
視覚に訴えれば表したいものは直接読者に伝えられる。
えーい、もう、世の小説は抹消して全部漫画にしちゃえ!
嘘です。
まあ、私が小説家を目指したのは簡単に書けば俳優には不向きな顔だし絵が描けない。
でも、文字なら多少(イヤ、今でもへたっぴですけど)下手でも自分の思いを伝えられるのではないか? というのが出発点にある。
古今東西神話などを含め、何故、文字文学が連綿と続いたか?
それは漫画とは真逆の発想。
想像の幅である。
時代劇小説なんて私にとっては広大だった。
(まあ、時代劇に必要な知識がなく駕籠=タクシーなイメージ)
そこには揺るがない根底があった。
すげぇな、作家……
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