第171話 発達障害と自称・霊能力者の関係
いつだっただろう?
ちょっと前の話だ。
仕事をしていてうつむいていると前が明るくなった。
電灯の明るさではない。
顔を上げると、宙に直径十五センチぐらいの白い玉に無数の光ファイバー(なのか?)を虹色に変化させながらミラーボールのように光りまわるなにかがいた。
なお、なぜか某千葉のパレード曲が流れた。
「は?」
直後目が回り、私は机に倒れた。
後輩がすぐに上司に報告して、私は救護室で体を横たえた。
起きると直ぐに昼食になり、救護してくれた後輩に礼を言った。
と、この後輩が民俗学などに詳しいことを思い出した。
「なあ、後輩君……」
「はい、何です?」
「少し変なことを言うから何の妖怪か当てられる?」
「は?」
私は某千葉のエレクトリカルパレードをBGMにする未知の物体のことを話した。
後輩君は頭を抱えた。
「一言で『先輩、疲れているんです』と言えばいいけど……うーん……強いて当てるなら『ケセランパサラン』ですね……ほぼ白い綿毛みたいな妖怪というか妖精というか……まあ、人に幸運を与えます。超小型座敷童みたいなものです」
家に帰り、スマートフォンなどで調べるとほぼ後輩君の言ったことと同じだ。
でも、私が見たのはその倍以上の大きさがあった。
私は子供のころからこう言った幻覚や幻聴に悩まされてきた。
原因は色々ある。
だが、本人としてはどっかの歌のように妖怪の悪戯などとは思わないし、考えない。
お国柄などでは今でも『
友達の中にも自称「霊の見える子」というのはいた。
私的には「だから、何?」という感じだった。
私も変なものは見る。
変な音も聞く。
疲れなのか、妖怪なのか、それとも、我々の知らないものなのかさえ分からない。
ただ、昔はこれらはまとめて「先祖の霊」とか言われていた。
それがおかしい方向になったのはテレビのよる「霊脳番組」のせいかも知れない。
当時はバブル絶頂期で拝金主義や学歴社会に辟易した日本人は老若男女問わず多く、超能力や霊能に人々の関心はあった。
今観ればちゃちな仕掛けに芸能人やらが騒ぐだけの今のバライティと変わらない。
しかし、視聴率はよかったらしい。
だから、学校で「私、霊が見えるの」という子が「きゃあ、あそこに悪霊が!」と言えばみんな騒いだ。
私からすれば「だから?」
今から考えれば、強いて考えるのなら彼女たちも発達障害などがあったのかも知れない。
だが、今や霊能番組などはない。
先に挙げた『オウム真理教事件』によって非科学的なものを肯定する番組は逆にことごとく科学者などに論破される。
ただ、それで自分や周囲が納得し、まして、生活が豊かになったりすれば妖精や妖怪などは『あり』だと思うし、本当にいても「ああ、そうですか。私の日常を邪魔しなければご自由にどうぞ」と思う。
そう言いながら、毎年好きな作家の墓参りをする。
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