第160話 だって、鎌倉時代からの伝統ですから

 みなさんは歴史の授業を覚えているだろうか?

 その中で『恩義と謝恩』という言葉を覚えているだろうか?

 日本における君主制のようなもので家臣たちはどんな君主でも守り、命令を実行する。

 その代わり、君主は家臣たちに領地を与えたりする。

 昨年の『鎌倉殿の13人』をはじめ、上司がどんなに冷酷でも、馬鹿でも、残酷でも家臣たちは頑張った。


 ただし、まさか、この伝統が二百年以上も過ぎた現代・令和でも続いていると誰が思うのだろうか?


 

 本題である。

 今回のテーマは体罰である。


 今現在、令和という良くも悪くも法令順守コンプライアンスの時代でも「体罰をしなければ強くならない」とか「愛があれば許される」とかいう馬鹿(年上が多い)がいまだに絶えない。


 それは、社会的に世論的に歪になった「恩義と謝恩」にある。


 かつて、そう、1990年代初頭あたりは金がモノを言う時代であったし、努力をすれば、それは素直に結果になりよい就職先や良き伴侶を得られた。

 全く問題がなかったわけではないが、スマートフォン、メール、ネットもなかったから隠匿されたものもあるにせよ、上の者は下の者がよい未来に行けるようにしなければならなかった。

 そして、下の者は名が売れれば必ず恩師を立て感謝する。


 だが、今は違う。

 幸せの形も社会への考え方も多種多様になった。

 特にネットによる告発などは隠匿されてきた負の部分をあぶり出す。

 情報は指先一つで全世界を巡る。

 それらは強欲、劣等感、不安などを増幅させ、さらに弱いものに押し寄せる。

 または、それを慰める道具を売る。


 えっ?

『体罰賛成の人に言いたいこと』?


 えー、馬鹿に何言っても無駄でしょ?

……

「あー、脳みそと精神が現代にアップデートされてない残念な人なんですね」

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