第154話 最後まで残ったものが勝者という世界で

 YouTubeでは時々『炎上』という愚にもつかないが、社会の(悪い意味で)度肝を抜く悪戯を全世界へ見せつけ投稿者に非難が集中することがある。

 それは今現在からYouTube創世期まで文字通り変わらない。

 ただ、そのサイクルが早くなっているのは事実だろう。

 本当に若い時の一時のいたずら心で人生を、家族を、学歴を、友達を、失う。


 では、彼らを非難するテレビも面白いかと言えば、正直、面白くない。

 自称(笑い)ベテランなど曰く法令順守、コンプライアンス精神が、正確にはそれらを持つ視聴者やスポンサーからの苦情など恐れて昔ほど暴れる(笑い)が出来ないという。


 私はテレビ関係者ではないし、それほど懐古主義でもない。

 面白く為になる動画や番組は探せばある。

 または、わが師みたいにテレビを捨てるという人もいる。


 かつて、テレビが普及しだしたころにある作家が『テレビはバカ製造機だ』と非難した。

 最も、テレビが出る前は同じようなことを映画が言われて、その前は小説であった。

 伝統芸能である能や歌舞伎だって出来た当時は批難や嘲笑の的だったみたいだ。

 そして、今はYouTubeである。


 ただ、思うことがある。

 これは、日本だけではないが、正直『品がない』

『品がない』というのは作法や着るものではない。

 にじみ出る品性や知性のことだ。

 

 千年以上前の文学作品が今の私たちを言い当てるような言葉を見る。

 具体的には『徒然草』『方丈記』などだ。

 

 最近、好きな作家の墓前で手を合わすとき、こんなことを思うことがある。

――あの時、亡くなってよかったかも知れませんよ

 本人が聞いたら怒られるかもしれないが、私も人生の半ばを過ぎ、そろそろ彼らの世界へ行く準備を始める頃らしい。


 誰かが言っていた。

――神様はその人が一番死んでいい時を選んで(天国へ)呼ぶ

 

 その時、私は、世界は、どうなっているんだろう?

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