第151話 奇跡とババ抜き
あなたは『ババ抜き』というトランプを使った遊びをご存じだろうか?
トランプを順番に相手から一枚引いていき、数字が合えば二枚捨て、最後までババ=ジョーカーを持っていたものが負けと言うシンプルなルールだ。
本題。
阪神・淡路大震災から二十年以上の時が過ぎた。
私は当時高校生になりたてで絶望の底にいた。
一番ムカついたのは被災時にシャーペンを持ったまま死んだ少女を褒め称えた校長に本気で吐き気がした。
敬愛する作家(本業・医師)の浜辺祐一医師は地震が起こって数日後、救援物資などを持って現場に行った。
浜辺医師の故郷は兵庫県であり、被災地は若き彼の遊び場でもあった。
その浜辺医師が昨年、救命救急を定年退職した。
(現在は特別養護老人ホームにお勤め)
私は四十代半ばになり少しずつだけど「死ぬこと」を考え始めた。
障害がある事も分かった。
なお、浜辺医師と同じように尊敬(でいいの?)する池波正太郎は今年生誕百周年を迎える。
あの、東日本大震災でさえ忘却の彼方と化している現代日本のもっぱらの話題は、あふれんばかりにネットや新聞、ニュースで流される。
私の好きな、例によって今は鬼籍の俳優(声優)の話を読んだ。
「自分は養子で、本当の両親を知らない」
その言葉に大きな驚きと、その後に不思議な気持ちがあった。
もしも、というのは架空の話である。
もしも、かの俳優が本当の両親の下で健やかに育ち、成人したら、私は彼を知り得ずにいた。
もしも、阪神淡路大震災がなければ浜辺医師はトリアージと言う言葉を使わずにいたかもしれない。
もしも……
そう考えると自分の足元が実に不安定な幸福の中にいるかがよく分かる。
この文字通り奇跡と呼ぶにふさわしい日々は自分も他人も幸不幸を混ぜこぜにして出来ている。
別に海を割るわけでもない。
死者を復活させるでもない。
奇跡とは、何もない毎日が平穏に過ぎ、でも、その裏側で多くの人の涙や犠牲で出来ている実に脆く儚く、美しい日々だと思う。
追記・件の俳優(声優)さんへ。
だいぶ遠くに行ったと思いますけど、本当のご両親に会えましたか?
かなり、遅くなりましたけど、お疲れさまでした。
私がそちらに行くのは当分先ですが、その時は直で謝らせてください。
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