第150話 凄い人の凄い話 夜話
現在書いているナレーションエッセー『ナレーションに恋をして』。
その中で私は故・青野武氏を紹介し、『演声人語』を読むことを勧めている。
でも、その舞台裏では「懐かしいなぁ」なんて思っていた。
好きではあるけど、もう、亡くなってずいぶん経つし、少し忘れていたこともある。
そこで世界の万物図鑑ウィキペディアを見ていると本には載っていない、本人も語っていないエピソードがぽつぽつあった。
私が産まれた時(一九七九年生まれ)から年配の役をやっていた青野氏。
どう思っていたのだろう?
私は声ではないが容姿がかなり老けていたのと本の読み過ぎで極度の弱視のせいで「機嫌の悪いオバサン」のように見られていた。
成長期も早く来て小三ぐらいで母親の背を超えた。
日本が誇る俳優・役所広司氏も容姿で自分より年上の役が多く演じ、最近、ようやく歳と経験がつり合うようになったという。
そして、最大の謎。
なぜ、いつも楽しそうなのだろう?
『馬鹿、大変な仕事なんだぞ!』
と青野氏にほっぺをつねられそうだが不思議に思ったものはしょうがない。
時間に余裕があり、外部リンクをクリックした。
そのページには古希(七十歳)を迎え、それまでの生い立ちを語る青野氏のエッセーがあった。
丁寧な話言葉やエッセーみたいなところがあるが、内容が凄かった。
今まで紹介した『演声人語』やウィキペディアでは知り得なかったことを青野氏自らが語っている。
これらが声優に憧れたり、母校の招待で思い出話を語るものだとすると、この電子の海で見つけたエッセーはバーのカウンターの隣で青野氏が語る自分史だと言っていい。
そこに遠慮はない。
――自分は演じるのが好きなんだ
その思いが名優を産んだ。
私はあまり好きではないが『泣いた人ほど笑う』という言葉がある。
直接には書かれていないが青野氏はどれだけ涙を流したのだろう?
それは生い立ちにまで及ぶ。
「人生、何があるか分からないからとりあえず、頑張れ」
「人との縁は大切に」
「自分は生い先はきっと短いけど、もっと極めたい」
そんなことを語っていたが、二年後。
持病の悪化により全ての役を降り、治療に専念することになる。
そんな闘病生活が二年を過ぎる頃。
青野氏は先に逝った仲間や先輩たちの元へ旅立った。
そして、日本を代表する、みんなが大好きなお爺ちゃんの声が消えた。
今頃、桐生競艇にいるのかなぁ?
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