第125話 賢者の歩み、愚者の踊り
中国にこんな話があるそうな。
昔、踊りの上手な子供がいた。
その子供が、もっと踊りの上手い国に修行をしに行った。
ところが、その国は子供よりはるかに上手に踊りを踊っていて真似をするが無理だった。
それどころか、普通に歩くことさえ忘れてしまい、這って故郷に戻ったという。
かの剣豪、宮本武蔵は『五輪の書』のなかでこんなことを語っている。
『本当の名人や達人の動きには無駄がないのは、日々、たゆまぬ鍛錬を続けいるからで特別な人間でも、特殊な技能があるわけでもない』
菜根譚は言う。
「馬鹿の真似をすれば馬鹿になる。人殺しの真似をすれば人殺しになる。優しい人の真似をすれば優しい人になる。例え、本当は馬鹿であって賢者の真似をすれば賢者になれる」
ひるがえって現代の日本である。
ユーチューバーという職業(ってのもどうだ?)がある。
『好きなことをやって金を稼ぐ』
言い換えれば
『楽して稼ぎたい』の究極進化系の職業ともいえる。
書いておくが、彼ら全てを否定するわけではない。
私の知らない情報や考え方を教えてくれる非常に有効なコンテンツであり、SNSであることは間違えない。
ただ、そう思うのは三割以下で少なくともサロンとかいうのはほとんど見ていない。
テレビに出てくるユーチューバーなどは唾棄するものがほとんどだ。
なぜ、彼らをありがたがるか、私には理解できない。
確かに、テレビの信頼性はインターネット、特にSNSが発達してからは地に落ちた。
同時に俳優やアイドルの
そんな中でユーチューバーの人気にあやかりたい、または自分自身がユーチューバーになり人気者になりたい、金を儲けたい、という気持ちも分からなくはない。
今の私が危惧しているのは、そういうことを善悪の区別がつかない子供でも金や時間を徴収し馬鹿なことを吹き込んで、それが「賢い事」「正しい事」と錯覚させることだ。
私は回顧主義ではないが、かつては、いや、今だって素晴らしい大人はたくさんいる。
YouTubeにだってたくさんいる。
厳しいことを言う人もいるだろう。
憧れる。
でも、彼らに近づくことは容易ではない。
対等になるまでには、彼らが歩いた道を、足跡を自分が歩かないといけない。
そのためには、長い時間と努力がいる。
ただ、勝手にゲームをしたり飲み食いして批判して、マスコミ連中やネットの人間が「素直」とか「子供みたいに純真な意見」と褒め称えるを見ると反吐が出る。
そんな大人になれない大人は幼稚園にでもいけ!
追伸・よゐこの動画は好きです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます