第106話 「うつ」について
気分がよくない。
非常によくない。
理由は明白。
私は『躁鬱』を患っているからだ。
天気や周囲の何気ない言葉だけでも私には重荷になり、最悪心の抜けない棘になる。
しかし、進んでいるとはいえ、まだ『鬱』に対して理解している人は少ない。
いや、実際問題として周囲の人間からしても『鬱』に対して様々な、それこそ文字通り玉石混交な情報に戸惑っているだろう。
中には『鬱=自殺する』ということで腫れ物に触るように放置したり、逆に「なぁに、深く考えすぎ。何か明るいことをすれば気は楽なる」と人の心をいじくりまくり心を化のうさせる人もいる。
最悪な部類になると「鬱は甘えだ」と人格攻撃をする輩だ。
最後は少しだけ詳しく書く。
私は『国公認』の『躁鬱』病患者である。
鬱、私の場合、PTSD(心理的外傷)からくる鬱だが、これは一生治らない病だ。
確かに楽しいことをすれば、一時的に楽しいことはあるだろう。
でも、楽しい事だけを数珠繋ぎにはできない。
私は基本的に一人が好きだ。
一人で遊び、一人で食べ、一人で考える。
しかし、それでは社会生活は営むことはできない。
だから、人と付き合う。
師匠のように気が合う人もいれば、『地獄でも顔を合わせるな』級の人もいる。
よく、『鬱は心の風邪だ』と言う人もいる。
なるほど。
薬を飲んで安静にしていれば回復したように見える。
実際は、嫌な場所や人から非難できて安定しただけなのだが……
私は自身の躁鬱を説明するとき、『心の内部骨折』と表現している。
骨が見えている外部骨折は分かりやすい。
この場合、知的障害や身体障碍がそれにあたる。
だが、精神障害は分かりにくい。
実際、障碍者雇用の会社で働いているが、一見普通に見える人が約四分の一いる。
「あー、俺は某大手ゼネコンにいてパニック障害になったんです」
「ブラック企業にいた自閉症です」
私の場合、面接でこういう言われた。
「何でウチを受けたんです? あなたの仕事能力とコミュニケーション能力なら普通の一般企業にいて当たり前ですよ」
……
内部骨折は自己発信しないと、本人の自覚がないと、周りは気が付かない。
しかし、内部では化膿や骨が変な形に固定化(これが私の患っているPTSD)する。
加えて、せっかく勇気をもって自己発信しても無責任な無理解者は「根性が足りん!」「愛国精神が足りん!」「無責任だ!」と叫ぶ。
彼らはぜひ『鬱病』になっていただきたい。
そして、自分自身が発した根性や愛国精神とやらで病院に行かず、誰にも迷惑をかけず自己治癒をしていただきたい。
私はそれでも許さないけど……
ただ、ちょうど、タイムリーに某有名テニス選手が鬱病を告白したが、私は「うーん……」と唸った。
別に告白自体は悪くないと思う。
例えば、悪い例だが、『心の骨折』が悪化し最悪の結末を迎えた場合。
彼女を責めていた輩はどう責任を取るのだろう?.
(それでも、責めるメディアやネットの馬鹿はいるけど)
ただ、やり方があまりに唐突過ぎて戸惑ったのは間違えない。
また、件の彼女は以前からテニス以外のことで敵を作り過ぎていたのも否めない。
やり方が卑怯と言うのも分かる気がする。
「周囲に頼ればいい」という意見もあるが、鬱は真面目な人間が陥りやすい。
言い方を変えると誰にも頼れない。
頼り方が分からない。
でも、これだけは言える。
誰も彼女の病気に対して責任を取っていない。
あー、辛い……
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