第99話 『救い』とは何か?(前編)

『自分は、自分と同じような体験や立場の人を救うために作品を書いている』

 こんな文言を時々見かける。

 私はこれに対して全く文句も言うつもりはない。

 むしろ、そのような高尚なものを持っていない私からすれば立派な理由だと思うし、たぶん、私は一生かかってもそうは思わない。


 私は物事に関して素直ではない。

 それは周囲の人間が頷くだろう。

――では、なぜ、お前は小説や散文を書いている?

 理由は単純シンプルだ。

 この世界に私の妄想を体現した商業小説などがないから自分で書いている。

 未熟な部分もあるが楽しい。

 だから、基本的には「いいね」とか星も多分、他の作者より『絶対欲しい』という願望は少ないはずだ。(欲しいですよ、「いいね」とか星とか感想とか。何かありましたら、ぜひ感想ください)

 むろん、ゆくゆくは小説家として大成して大人気に気になって連続CDドラマ化が最終目標でその途中で好きな俳優(声優)に会いたいというよこしまな願望もある。

 あと、王様のブランチにも出たい。

 わー、湧き出るわ、妄想。


 本題に戻ろう。

 その『救い』主に是非聞いてみたいことがある。

「『救い』って何ですか?」


 私は子供のころから子供大人問わず、年齢、性別も問わず、二十歳近くなるまで虐められて育った。

 ようやく終わったと思えば、今度は就職難やリストラのあらしが待っていた。

 三十代で『発達障害』と認定されるまで私は地獄にいた。

 その中で私は「PTSD《心理的外傷》」を負っていることを知る。

 過去と今が区別できない病気と言うか脳の仕組みが私の中に出来上がっている。

 漫画などでは『トラウマ』などといわれるものを私は持っている。

 今でこそ(心理学を専攻していた師匠は察していたらしいが)周りは支援機関などがあり親も理解があるが、子供の頃は孤立無援だった。

 誰も私のことを分ってくれない。

 理解しようとしない。

 馬鹿にする。

 あざける。

 そのうち、諦念が生まれた。

――ああ、私は醜く愚かな人間なのだ

――誰からも救ってもらえない失敗作なんだ

――みんな、敵だ

 ただ、妄想だけが救いだった。

 これが、小説のネタになっているのだから皮肉と言えば皮肉だ。


 宗教の門も叩いた。

 だが、御仏だか神様の忠実なるしもべたちは私の話を聞こうともしなかった。

 みんな門を閉じた。

 それでも、布団の中で神様や仏様に必死に祈った。

――どうか、明日一日だけでも誰にもいじめられず誰にも騒がれず、平穏にすごせますように

 その願いが聞き届けられなかった。


 文字通り神も仏もない世界で私は誓った。

――誰もに負けない強い人間になっている

――強い人間は完璧な人間だ

――その為ならあらゆる犠牲を払う!

――世界をすべて変えてみんなの価値観を変えて今度は私が世界を虐めるんだ!!


 ある時、気が付いた。

――私は誰かが支配し傷つくのが楽しいから生きているのか?

 答えは『YES』

 私は自分のおぞましさに背筋が凍った。

 そして、分かった。

 私の中には怒りと憎しみしかない。

 喜びや嬉しいという感情が分からない。

 いや、社会人だから表向きは分かる。

 でも、自分自身にその感情を与えたことは無い。

 そんな私が『救われたら』どうなるだろう?

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