第60話 上平神父(見習い)の説法(舞台裏話)

 前回に続き拙作『WONDERFUL WONDER WORLD』のゲストキャラ紹介。

『十二章 despair and hope(絶望と希望)』に登場した、上平幸之助。

 この前を見て「うん?」と違和感を持った方。

 たぶん、その方は私と同世代が上だろう。

 苗字の『上平』を『下平』のすると『下平幸之助』。

『こんな恋の話』というドラマで玉置浩二が出ていたドラマだ。


 内容は(ものすごく単純に書くと)物凄いお金持ち(真田広之)が余命三か月と宣告され、その病院で物凄く貧乏人(玉置浩二)が出合い、運命が動き出すという話。


『十二章 despair and hope(絶望と希望)』は絶望に沈む主役の一人、石動肇が希望、生きる気力を見出す話である。

 実はこの章を書くとき少し困ったことになった。

 私の中で石動肇は肉体的にも精神的にもタフな人物である。

 今回は、その根幹の部分を壊し、絶望を味わってもらった。

 破壊の部分は何とかなった(やや無理くりだったけど)。

 問題は、再生の部分。

 再生を担うべきあのキャラはいない。

 生き残ったキャラもほぼ腑抜け状態。

(ネタバレになるので曖昧にしております。興味がありましたら是非、『WONDERFUL WONDER WORLD』をご一読ください)

 そんな時、YouTubeで玉置浩二がオーケストラで『田園』を歌っている映像を目にする。

 それが私にはゴスペルに見えて、「じゃあ、私の中の玉置浩二を出してみよう」と思い出来たのが『上平幸之助』である。


 このキャラクターも一度ではもったいないぐらい、味のあるキャラクターである。


 実は、その後、なぜゴスペルに見えたのか考えてみた。

 その時、私は本置き(本棚ではない)から、一冊の本を出した。

『ヨブ記』である。


『ヨブ記』は神の存在に疑問に思った老人の前に神が現れ逆ギレをするという話だ。

(あくまで私見です。ちゃんとしたストーリーはお近くの教会で聞いてみましょう。ものすごく勧誘されるかもしれないので注意。なお、私は無宗教です)

 聖書内でも最も問題作として扱われる『ヨブ記』だが、あくまでも無宗教の一個人として考えたことは「ヨブ記の神様は『田園』の歌詞のようなことを思っていたのではないか?」ということだ。

 実際、神は逆ギレをしたのにもかかわらず、ヨブを褒めている。

 そこを起点に私が出会った様々漫画や師匠の話などを組み合わせて出来たのが上平神父(見習い)の説法だ。

(前略)

「ならば、胸を張りなさい。『未来』は予知や予想をするものじゃないです。『自分で可能にする』ことです。そして、今を生きるという事は、目の前のことを着実にやりこなすことです」

(後略)

 故に、本物の神父(牧師)の説法はほとんど参考にしていない。

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