新たな始まりの路地裏

 あれから俺は、記憶蘇生薬を使用して集めた情報を元に彼女を探し始めた。

 ありとあらゆる手段を用いて全力で探した結果、数ヶ月後に彼女の居場所がようやく分かった。老婆に出会い、薬を使ったのは真夏だったが、季節はもうすっかり冬になってしまっていた。

 協力してくれた探偵の情報によると、今の彼女は北国の歓楽街で働いているらしい。それが分かると俺はすぐに飛行機に乗り、彼女が働く場所へ向かったのだ。


 空港を出てタクシーの運転手に行き先を告げた俺は、目的地に着くまでの間、それまでの彼女の行動を記した探偵の資料に目を通した。

 高校を辞めてからの彼女は、この地で父親と二人で暮らしていたらしい。だがしばらくして父親が暴行と虐待で捕まった。その後は、近くに住んでいた実の母親とその再婚相手と三人での生活をしていたみたいだ。しかしそれも長くは続かず、それから彼女は一人で職を転々としていた。

 その結果、俺が向かっている歓楽街で働くことになったのだろう。彼女はその人生をどう思いながら過ごしてきたのだろうか。


 そうこうしているうちに彼女が働く店の前に着いた。彼女は朝方、店の裏から出てくる。探偵からのその情報を頼りに、俺は店の裏の路地で深夜から彼女を待った。

 北国の冬の夜はとても冷える。俺は慣れない寒さに震えながら、まだ朝日が昇っていない薄暗い路地裏で彼女を待ち続けた。


 そして彼女が店の裏口から出て来た。

 化粧もしていて、とても大人っぽく綺麗になっていたが、彼女だとすぐに分かった。ろくな準備もせずに来た俺とは違い、この寒さに合わせたような、とても暖かそうなコートを羽織っていた。そして、凍った雪道を滑らずに歩き始めた様子から、長い期間、この地で住み慣れていることを感じさせられた。


 俺は滑らないように気をつけながら、彼女が行く道の真ん中に立ち、話しかけた。


「久しぶりだな。俺のこと、覚えてるか?」


「え!はい。あの、高校の時の」


 彼女はビクッと少し体を揺らした後、目を見張ってつっかえながら答えた。


「良かった。元気でやってるか?」


「はい、なんとか。あなたは?」


「あぁ、こっちも元気だ」


 簡単な挨拶を済ませると、俺は早速本題に入った。


「俺はお前にずっと謝らきゃいけないことがあったんだ。今日はそれを言うために来た」


「私に謝らないといけないことですか?」


 体の動きを固めたまま不思議そうに首だけ傾げて尋ね返した彼女に、俺は思いを告げた。


「お前は覚えてないかもしれない。でも俺は十年前の夏のことをずっと考えてた。お前と接してたあの時、俺に何かできることがあったんじゃないかって。少し前にあの時のことを正確に思い出すことがあって、俺は余計にそう思った」


 そして、深くお辞儀をして続けた。


「あの時は申し訳なかった。俺はお前の言動に違和感を感じていながら何もしなかった。俺が何か行動していれば、お前が虐待に耐える時間も減らせたのかもしれない」


 彼女が返事をするまで、頭を下げ続けていると、昔と変わらない優しくて小さな声が聞こえた。


「顔を上げてください。悪いのは全部私です。私に行動を起こす勇気があれば、あなたがそんなに悩む必要も無かった。私が悪いんです。ごめんなさい」


 すぐに自分が悪いと謝るところも、昔と変わらないようだ。その点は、むしろ変わっていて欲しかったところだが、残念ながら同じだった。むしろ謝る回数は増えている気さえした。

 俺は顔を上げて彼女の言葉を強く否定した。


「違う!お前は何も悪くない。気づかなかった俺が悪いんだ。もしかしたら気づいていないふりをしていたのかもしれない」


 すると、彼女は俺の意見をさらに否定し、お互いに自分が悪いと言い合う形になった。


「違います。あなたこそ、何も悪くありません。私が何も言わなかったから、あなたが気づかなかったのも当たり前です。ごめんなさい」


「いいや、お前に何も言ってもらえなかった俺が悪かった。あの頃の俺は、お前とちゃんと向き合ってなかった」


「そんな事ないです。あなたは誰よりも私の話を聞いてくれた」


「そんな事ある。実はもう一つだけ、今のお前に言わなきゃいけないことがあるんだ。本当は十年前のお前に言うべきだったことだ。もう遅いかもしれないけど、聞いてくれるか?」


 延々と続くやり取りを打ち切り、俺は現在で最も伝えるべきことを告げるため、話を切り出した。


「何ですか?」


 俺が彼女と同じ時間を過ごした十年前、彼女のためにやれる事はたくさんあった。

 それこそ、俺が記憶の中の過去に戻った回数以上にあった。彼女のことを慰めたり、励ましたり、一緒に逃げたり、もっと話したり、いっそキスを受け入れてしてしまうという選択もできたかもしれない。

 しかし、あの時何よりも一番やるべきことは、その中のどれでもなかったのだ。俺が出した答えはこれである。


「俺と友達になってくれ。困ったことや楽しいこと、悲しいことも、何でも話せるような友達になろう」


 十年前の俺は、彼女と友達にすらなれていなかった。だから彼女は父親に虐待されていても、俺に助けを求められなかったのだ。俺があの時にするべきだったのは、彼女の父親以上に、彼女が信頼できる存在になることだったと思う。今からでも間に合うならば、俺はそんな存在になりたいと思ったのだ。


「え?」


 彼女は俺の言葉に戸惑っているようだった。当然である。俺も口に出してこんな事を言ったのは生まれて初めてだ。でも口に出して言わないと、きっと彼女には届かない。

 俺は十年前に言えなかった思いを込めて、数え切れないほど繰り返して積み重なった望みを込めて、彼女に口に出して全力で伝えた。


「俺はお前のことがもっと知りたい。お前がこの十年間、どんな風に過ごしてきたか。どんな子供時代を歩んできたか。俺からも、お前に言いたいことがたくさんある。だから、これからたくさん話したい」


 俺が話し終えると、彼女は俯きながら答えた。


「そう言ってもらえるとすごく嬉しいです。私もあなたとまた会って、話せたら良いと思っていましたから」


 口では嬉しいと言いながら、彼女を俺の目を見ずに下を向いて、悲しそうに続けた。


「でもきっと、私の話はそれほど楽しいものではありませんよ。あれから私には楽しいことがほとんどありませんでした。それに、あなたに言いにくい仕事もたくさんしてきました。高校も卒業してません。そんな私でも、友達になってくれますか?これからも話し相手になってくれますか?」


 もちろん俺は迷う事なく、即座に答えた。


「当たり前だ。昔、次に会った時は、前みたいに普通に話そうって約束したよな。俺が間接的に奪ったお前の高校生活の代わり、って訳にはいかないけど、友達としてあの時の続きができたら良いと思う。俺はありのままのお前の話が聞きたい」


 彼女は顔を上げると、俺に笑顔を見せて答えてくれた。その眼には少し涙が浮かんでいるようにも見えた。


「はい。ありがとうございます。こんな私でよければ、私からもよろしくお願いします」


 この十年間、俺の心に棲みついていた心の靄が一気に晴れた気がした。

 いろいろな苦労を経てここまで来たが、そのご褒美としては、俺には十分すぎるほどの笑顔をくれた。


「良かった。ここまで来て断られたらどうしようかと思ってたんだ」


 ようやく一安心できた俺は、今の気分を正直に伝えた。全身の力が一気に抜けた俺を見て彼女は再び微笑んで答えた。


「フフ。そうですね。ところで、どうやってここまで来たんですか?私のいる場所とか、誰に聞いたんですか?」


「あぁ。話すと長くなるぞ」


 彼女が質問してくれたので、俺は嬉々として話し始めた。

 彼女に話したい事は山ほどある。いっそ彼女と離れた高校時代から話そうかとも考えたが、それだといつまでかかるか分からない。彼女の話もたくさん聞いてみたいのだ。

 だからとりあえず、彼女への思いを呼び起こせたあの日から語ることにした。


「まず前にいた会社の飲み会帰りに、路地裏で露天商の婆さんに声をかけられたんだ」


「え?は、はい」


 俺の語り始めの言葉を聞いた彼女は、困惑した表情を見せて相槌を打っていた。俺はさらに続けた。


「その婆さんが『自分はタイムマシンを売ってる。あんたにはそれが必要だろう?』って俺に言ってきたんだ」


「え?ちょっと待ってください。その話、私に繋がりますか?」


 世にも奇妙な話を語り続ける俺を見て、困ったように彼女はそう質問した。気持ちは分かる。俺もあの老婆との出会いが、まさかこの状況に繋がるなんて思ってなかった。


「長くなるって言っただろ。最後にはちゃんと繋がるよ」


 だが話していていて気付いた。それからの話をしても、かなり長くなりそうだ。この寒い中、ずっと道端で立って話せるボリュームではない。特にこの北国の外は相当寒い。このままだと、風邪をひいてしまいそうだ。彼女よりも先に、雪国で過ごす準備をしていないこの俺が。


「でもそうだな。立ち話もなんだから、どっかの店に入ってゆっくり話そうか。その方がお互いに話しやすいな」


「はい。そうしましょう」


 彼女は俺の提案を快く受け入れてくれた。


 そして俺たちは暗い路地裏から共に移動を始めた。そして大きな通りに出てみると、西の空が明るくなり始めていることに気づいた。ついに夜が明けようとしているみたいだ。


 俺たちは昔のように話しながら、朝日が昇る方角へ二人で歩き始めた。

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