回想 私の人生

 振り返れば、全て私が悪かった。


 小学生の時、両親が離婚した。

 私が悪かったんだ。私がもっと上手く二人の仲を取り持つことができていれば、それは防げていたのかもしれない。あるいは私がいなければ、二人は仲が良いままでいられたのかもしれない。


 そして私は、父親と二人で暮らすことになった。初めのうちは、父親はとても優しかったのを覚えている。毎日仕事を頑張って帰って来ているのに、私のご飯や学校の行事まで全て嫌がらずに面倒を見てくれていた。きっと、母親の分まで頑張ってくれていたのだと思う。

 しかし中学校に上がってから、父親の態度は少し変わった。仕事から遅く帰った父親に『お腹がすいた』と言えば、『うるさい!』と怒鳴って私をぶつようになった。テレビの音がうるさくて眠れないと言えば、『お前が悪いんだ!』と言われて、家の外に追い出された。

 何度も父親に言われた通り、私が悪かったんだ。私が機嫌を損ねなければ、父親は優しい父親であり続けられたかもしれない。私がいなければ、こんなに苦労をさせることもなかったのかもしれない。


 中学校では父親の機嫌をなるべく損ねないために、お金がかかる部活は入らなかった。教室にも家にも居場所がなかった私は、下校時間のギリギリまで図書室で過ごした。もちろん、当時の中学生の流行なんて分かるわけもなく、クラスメイトとは話が合わなかった。

 それも私が悪いのだ。同年代の話題に合わせる努力をしなかった私が悪い。だから学校で一人で過ごすことになったのだ。


 高校に入ると、私は勉強を頑張ることにした。学校の成績が良いと、父親の機嫌も多少は良くなることに中学校時代に気づいたからだ。父親に面倒を見てもらわなければ、当時の私は生きていくことができなかったから。


 部活には入らず、クラスメイトと上手くいかなかったことは、中学時代と変わらなかった。クラスの中には話しかけてくれる優しい人もいたが、私のつまらない話に興味を持ってくれる人はおらず、すぐにまた一人になった。

 高校では、夕方まで教室に残っても良かったので、私は家に帰って家事をする時間まで、教室で勉強をすることにしたのだ。


 そんな高校生活を送っていると、中間試験の後で、クラスメイトのある男子が私に話しかけてきた。突然のことだったので、本当に私に言っているのかを疑ったぐらいだった。私のことはみんな避けていると思っていたのに。

 彼は私に勉強を教えて欲しいと言った。私なんかよりも上手く教えられる人がいると伝えたが、彼は私に教えて欲しいのだと言ってくれた。ただただ嬉しかった。誰かに必要とされるのがこんなにも嬉しいことなのかと思った。


 彼は少し変わった人だった。

 何か話すたびに私の意見を求めてきて、私の中学校時代に図書室で得た大したことない知識を、とても面白そうに聞いてくれた。そんな人は初めてだった。

 勉強についても全くできないわけではなく、やり方を知らないだけだった。教えればすぐにできるようになった。

 父親に怒られないため、それだけのために続けていた勉強の時間が、彼とやっていると初めて楽しいと思えた。


 気がつくと、彼のことが頭から離れなくなっていた。朝起きた時から、彼と一緒に勉強する放課後が待ち遠しく思い、夜寝る時は、放課後まではまだ長いなと寂しく感じるようになった。


 だがその時間も長くは続かなかった。彼は再試験に合格するとまた部活動を再開し、放課後の教室に残らなくなったのだ。彼はそれでも授業の合間などに話しかけてはしてくれたが、前のように二人で話すことはほとんど無くなった。


 彼はもう一人で試験勉強もできるようになっただろう。私は再び、誰にも必要とされない人間になったのではないかと不安に思った。と言うより、彼にもっと必要とされたかった。


 一学期の期末テストの時、思い切って私は彼に聞いてみることにした。

『あなたにとって、私は必要ですか?』と。

 彼は言った。『勉強できるようになったから、もう必要ではないかもしれない』と。

 それは嫌だった。彼から必要とされないことが、当時の私にとっては何よりも嫌なことだった。


 彼に好かれるために、私は何ができるだろうかと考えた。彼が何を必要としていて、何をして欲しいのか。

 その結果、私が唯一持っているこの体を彼に捧げようと考えた。若い男の人は、みんなそういう事がしたいらしい。

 友達もいなければ、身内からも愛されていない、何の役にも立たない私が彼の役に立つためには、それくらいしか思いつかなかった。


 思い立ったが吉日とも言う。私はすぐに適当な理由を付けて彼を家に誘った。彼はすんなりと受け入れた。やはり彼もそういうことに興味があったのだろう。

 私の家でしばらく彼と勉強した後、私は覚悟を決めて彼に近づいた。ようやく彼の役に立てると思って、彼の唇にキスをしようとした。だがその直前に彼は顔を逸らして私を拒否したのだ。


 ショックだった。こんな形でも、私は必要とされていないのかと思った。

 だが彼は続けて、私と話したいと言ってくれた。それは嬉しかった。持って生まれた私の体よりも、私の中身を知ってくれているように思えた。


 もっと彼に私のことを知って欲しい、彼のことが知りたいと思った。でもそれからしばらく、彼との会話はギクシャクしてしまった。これも私が悪かったのだ。突然あんな変なことをしてしまったら戸惑うに決まってる。今度、一緒に勉強する時が来たら謝ろう。夏休み明けのテストの時は、きっとまた教室の放課後で話せるはずだ。あの時の私は、楽観的にそう思っていた。


 しかし、私の高校の夏休みは明けることなく終わった。父親がいきなり引っ越すことを決めたのだ。私は学校を辞めて、引っ越し先で働くように言われた。

 嫌だった。もっと学校に通って彼と話したいと思っていたから。でも私は受け入れるしかなかった。私が悪いのだ。一人で生きる力が無かった私が悪い。


 夏休み中、私は父親と共に学校に行き、高校を辞めることを担任の先生に伝えた。

 彼にその事を伝えられなかったのが残念だと思っていたところ、偶然にも部活に来ていた彼と遭遇できた。

 だけど、学校を辞める事は言えなかった。友達でも恋人でもない私のそんな事を聞いたところで、彼はきっと困ってしまうだろうから。その代わりに、もしまた会えたら前みたいに話そう、という約束をした。当時の私が望める事はそれが限界で、それで十分だった。


 その後、父親と私は北国の街に引っ越した。少しの間、私はそこでアルバイトで働いていたのだ。しかしすぐに父親が逮捕され、その生活も突然終わった。私への暴行で通報されていたらしい。


 次に私は、母のもとで暮らすことになった。母はだいぶ前に再婚してから長い間会っていなかったが、父親が逮捕された次の日に迎えに来てくれた。

 父親に虐待されていた事実について母は、私と再会した途端に泣きながら謝った。『ごめんなさい、ごめんなさい』と、何度も申し訳なさそうに私に言った。

 だけど私も申し訳なかった。再婚して二人で幸せに暮らしているところへ、無関係な私なんかが入り込んで行ったらきっと迷惑だろう。旦那さんも困らせてしまう。それに私がいなければ、母にこんな悲しい顔をさせる事は無かったのだ。

 全部私が悪い。父親からの暴力を隠しきれなかった私が悪いのだ。



 母親とその再婚相手は優しい人だったと思う。突然一緒に住むことになった私にも親切にしてくれた。

 しかし、私は彼らのことも信用することができなかった。父親と同じように彼らもまた、機嫌を損ねてしまうと私に暴力を振るうのではないか。彼らの生活の邪魔をすると私を否定する言葉をかけてくるのではないか。そう思うと、彼らの前で本音を言うことはできなかった。だからわがままを言うことも、甘えることもせず、父親と暮らしていた時のように、ただ彼らの役に立つことをやり続けたのだ。

 可愛くない子供だったと思う。私は自分が傷つきたくないという理由から、彼らの親切を拒み続けて、彼らを傷つけてしまった。父親の言った通り、私は人間としても娘としても出来損ないかもしれない。そう思った。


 母の家でも居場所を見つけられなかった私は、家を出て小さなアパートで一人暮らしを始めた。

 働きながら一人暮らしをするのは大変だったが、常に同居している人の気を使いながら生活していた今までよりは、ずっと楽だった。


 だが仕事の方は楽ではなかった。私は周りの人よりも全然仕事ができなかったのだ。

 目上の人と接するのが怖かった。自然と父親のことを思い浮かべてしまって、気にさわることをすれば、また殴られるのではないかと思ってしまう。失敗して損害でも出そうものなら、殺されるのではと思ってしまう。

 だから人と話すと常に足が震えた。見られていると手が震えた。

 そんな状態では、まともに仕事なんてとてもできない。本当に私はダメな人間だなと思った。

 私は仕事を始めては、それが原因ですぐに辞めるということをしばらく繰り返した。


 幸運にも、世間に自慢できるような会社に入ったこともあった。でも、それもすぐに辞めてしまった。

 上司に振られた仕事を一人でこなすことができない私が悪かった。周りの人を信じることができず、一人で抱え込んでしまった私が悪かったのだ。


 そうしているうちに、私は今の仕事をすることになった。私にはこれくらいしかできることがなかった。これくらいしか必要とされることがなかったから。


 話したくもない男の人の相手をする仕事。嫌で嫌で、死にたいと思わない日は無かった。

 生きているだけで誰かに迷惑をかけてしまうなら、死んでしまおうと何度も考えた。しかし、死んだら親切にしてくれた母たちに迷惑をかけてしまう、ということを考えると、実行することができなかった。

 稼いだお金は必要最低限のもの以外には使わずに貯めている。もし私が死んだら、その時に残ったはお金はたくさん迷惑をかけた母たちに渡ればいいと思っている。きっと私が使うよりずっと楽しく有効に使ってくれるだろう。


 何をしても辛いこの世界で、私が今まで生きられた理由は、きっと彼との約束があったからだ。

 他の人にとっては笑ってしまうほど些細なことなのかもしれない。だけど私にとってはたった一つの希望だった。中学生の時から今まで、私が私でいられたのは、十年前の彼といた時だけなのだから。


「早く助けに来てよ」


 どうしても死にたくなった時、私は飛び降りられそうな窓際でそう呟いて、心を落ち着かせる。

 本当に彼が来てくれるとは思っていなかった。生きるための理由を無理に作っているだけだった。恋人でも友達でもなかったのに、十年も会っていない私に会いに来てくれるはずがない。


 彼のことは誰にも言わなかった。父親はもちろん、母や同じ仕事をしている子にも言っていない。

 もしそれを言って否定されてしまったら、私は生きる理由を失ってしまうから。


 しかし彼が私に会いに来ないことも、元を辿れば私のせいだ。私が彼に父親のことを何か伝えていれば、彼は何かしてくれたかもしれない。結局のところ、他人を信用することができなかった私が悪いんだ。



 こんな考え方は良くないと言ってくれた人も何人かいた。全部自分のせいにするのは本当の責任を追求することから逃げてるだけ、考えるのを放棄している、と言われた。

 だからそんな自分を変えようと思ったことは、これまで何度もある。『私のせいじゃない』、『私は必要とされてる』、『みんなに愛されてる』、『やればできる子だ』、そんなことを自分に思い込ませようと努力した。だけど無理だった。私があの頃、実の父親から受けたそれらとは真逆の言葉が、予想以上に私の心に深く刺さっていたから。


 私が自分を変えようと挑戦して失敗するたびに、私は私のことが嫌いになった。ちっぽけな希望を頼りに生きている自分を情けなく思った。


 こんなダメな自分が、今以上の何かを望んで良いわけがない。私は子供の頃からずっとそう思っていた。

 だけど、万が一、誰かに何かを望んで良いと言われたら、私は楽しい高校生活を望むだろう。文化祭とか修学旅行とか、みんなが楽しそうに語るような高校生活がしてみたかった。


 振り返れば、状況を変えるためにやれたことはたくさんあった。

 もし過去に戻れる方法があるなら、私は十年前に戻って、彼に助けを求めたい。そして、父親から離れて普通の高校生活を送りたい。


 そんなあり得ないことを望む自分にも嫌気がさした。

 楽しく生きることも、楽に死ぬこともできない。この世界は私にとって監獄だった。刑期は死ぬまで。きっと私は、自分が生まれてしまった罪を償いながら、これからもずっとここにいなければならないのだろう。

 でも仕方がない。こんな私が人並みの幸せを望んでいいはずがない。すべては出来損ないの私が悪いのだ。

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