タイムマシンの正しい使い方

「……」


 俺は未来に戻った後も、しばらく黙っていた。これで彼女を救えないというなら、他に何ができるのか?老婆とはこれで最後という約束をしたが、俺は次のことを考えて、何も浮かばない状況に焦っていた。


「何も変わらなかったんだろう?」


「なんで分かるんですか?」


 老婆が当たり前のようにそう聞いてきたので、俺はその理由を尋ねた。しかし答えてはくれなかった。


「分かるさ。何が起こったか当ててやろうか?あんたはこれまで以上に思い切った手段に出たが、それ以上にあり得ないような事が起こって、結果的に何も変わらなかった。そうだろう?」


 老婆が告げた予想はほぼ正解だったため、俺は過去に起きた事を簡単に伝えた。


「そうです。俺は彼女の父親を殺そうとしました。でも、あの男にものすごい反射神経と筋力を発揮されて失敗したんです」


 すると老婆は、まるで俺の事を全て予測していたように、次の予想も口にした。


「やっぱりそんなところかい。ブルドーザーみたいに、常識はずれな力だったんだろ?」


「いいえ、僕はゴリラかと思いました」


 細かい違いはあれど、老婆の予想はほぼ全て正解だった。


「例えるものはどうだっていい。要は、あんたの頭が、そんな事象を起こしてまで過去の改変を拒否してるって事だ」


 その言葉については、俺は少しも理解できずに首を傾げた。


「本当に自分で気づいてないのかい?」


「何をですか?」


 信じられないといった感じで尋ねてきたので、全然ピンとこない俺は聞き返した。


「呆れた。自分を騙し続けて無理くりやる気を出してたんだね」


 その言葉通り本当にあきれた様子で、老婆はその小さな肩をすくめていた。そして、鋭くさせた目を俺に向けて、続けて言ったのだ。


「あんたは心の底ではもう分かってるんだ。向き合う勇気がないから、気づいていないふりをしてるだけ。このままそのふざけたことを続ける気なら、私から言ってやろうか」


 老婆は怒り口調でそう言った。

 俺は分からないと答えていたが、次に老婆が発する言葉については、何となく聞く前に分かった気がした。それはきっとこれである。


『この薬で過去を変えることはできない』

「この薬で過去を変えることはできない」


 俺の思考と同時に、老婆は同じ言葉を発した。そして俺の返事を待たずに、その薬の説明を始めたのだ。


「これは使用者の記憶をただ蘇らせるだけだよ。実際にあったことを変えたりなんてできない」


 俺は老婆の説明で反論できそうな点を探し出し、それを指摘した。


「でも、俺は過去で昔とは違う行動がとれて、それに対する彼女の反応も見られた。それは過去が変わったって証拠になりませんか?」


 俺の反論に対して、老婆はすんなりと答えた。


「自身の記憶を捻じ曲げるかどうかは、使用者次第だ。記憶の中の人間の反応は、その記憶を基にした使用者の妄想に過ぎない。でもそうやって、過去のトラウマを克服した人間もいるんだよ」


「それはおかしいだろ。そんなの何も変わってない。過去を変えたと勝手に思い込んでるだけじゃないか」


 俺は老婆の説明を感情的に否定した。それでも老婆は冷静に説明を続けていた。


「そうだよ。だけど私はそれが駄目だとは思わないねぇ。記憶を捻じ曲げて、過去を変えたと思い込むことで前向きに生きれるのなら、それで良いじゃないか。誰に迷惑をかけてるっていうんだい?」


「それじゃあ、彼女の運命は変わらない。良くも悪くもならないまま、結局その後虐待から逃れられたのか、分からないままじゃないか」


 自分がやって来たことの無意味さを、ようやく理解してきていた。だが素直に認められない俺は、無益とは分かっていながら、そのやり切れない感情を老婆にぶつけていた。それでも老婆は冷静に俺の言葉に答えてくれていた。


「そうだね。だが薬の効果は分かっただろう?無駄なことはやめるんだ。あんたが無意味に無茶する様子を、私はこれ以上見たくないんだよ」


「そっか。そうだよな。そんなうまい話あるわけないよな」


 そこまで言わせて、俺はようやく落ち着きを取り戻す事ができた。

 老婆が言った通り、心の底では分かっていたのかもしれない。認めたくないから、気づかないふりをしていただけかもしれない。


 だけど、過去が変えられないと分かって、少しホッとしている部分もあった。光明が見えないまま、過去の後悔と向き合い続けるのにプレッシャーを感じて疲れていたのだ。もしかしたら、誰かに無駄だと言ってもらうのをずっと待っていたのかもしれない。



「すいません。少し取り乱してしまいました」


 少し経って完全に落ち着いた俺は、先ほどの非礼を老婆に詫びた。


「いいさ。あんたは何度も後悔の記憶と向き合ったんだ。多少混乱しても仕方ないよ」


「でもあなたも悪い人ですね。そんな薬を騙して飲ませるなんて」


 俺は冗談のつもりでそう言った。目の前にいる老婆が見た目によらず良い人なのは重々承知している。だが、老婆はそれを本気にしたようで、申し訳なさそうに謝った。


「それについては返す言葉もないね。私が悪かった。あんたのことを甘く見てたみたいだ」


 すると老婆は、目の前のプラスチックケースから薬のカプセルを一つ取り出し、俺に見せながら話し始めた。


「過去の後悔ばかりを気にしてて、現実を見てない奴にはこの薬は効果的なんだ。そういう奴は、勝手にこの薬で過去を変えれると信じ込んで、勝手に変わったと思い込んで救われる。人間は自分に都合のいいものを見ようとする生き物だからね。だがあんたは違った。私が薬を飲ませた誰よりも現実を見てたよ」


「良いことなのか、悪いことなのか。そのおかげで俺は、薬の効果を信じられずに、彼女への後悔の念をさらに強めたわけですからね」


 俺は記憶の中の彼女を何度も見てきたお陰で、元々あった彼女への後悔を何重にも重ねたような気がしている。それだけ彼女のことが好きになったと思えば悪くはないのかもしれないが、彼女の居場所が分からない今となっては、行き場のない思いなのだ。

 俺がもう少し楽観的な人間なら、現在の彼女がどうだとか気にせずに、綺麗さっぱり後悔の気持ちを忘れられたのだろう。そう思うと複雑だった。


 そして老婆は、そんな俺に対して畳み掛けるように、さらなる悪い知らせを聞かせてきた。


「追い討ちをするようで悪いけど。あんたの場合、理由はそれだけじゃないように見えたよ」


「あなたがさっき言ってた、『過去を変えれると信じる気持ち』ってのが足りないからじゃないんですか?要はポジティブじゃないって事ですよね?」


 俺はそう言って自分の理解している現状を確認した。すると老婆は少し言いづらそうに、口ごもりながらゆっくりと答えた。


「それもある。だが、あんたは彼女と離れてから、児童虐待について勉強してたんだろう?それのイメージが、記憶改変を難しくしていた可能性もある。その惨状を知っていたから、あんたの頭の中の彼女も心を開いてくれなかったのかもしれないよ。普通、自分の記憶の中なら、もっと簡単に事が進むものだからねぇ。まぁ、虐待について勉強してなかったら、もっと上手くいってたかもしれないって事だよ。残念だね」


「なるほど、皮肉なものですね。彼女への罪滅ぼしのつもりで勉強した事だったのに。そのせいで、妄想の中の彼女すら助けられなくなったかもしれない。そういう事ですか」


 俺は自分の口で発する事で、老婆が言った情報を整理した。


「まぁ、簡単に言うとそうだね」


 考えれば考えるほど、俺は自滅の道を進んでいたのだ。彼女に関わる行動をすればするほど、俺は何もできないということを実感する。後悔を深めてしまう。


 俺が救われる道はどこにあるのか。いつ開かれるのか。彼女に何もしなかった時点で、もう後悔と付き合っていくしか道はないのか。誰かに教えて欲しかった。



「ハハハ」


 もはや笑うしかないくらいのどん底な気持ちであった。


「気休めにもならない事かもしれないが、良いことも一つあるよ」


 俺が見るからに気を落としているのを見て、老婆がまた声をかけてくれた。


「何ですか?」


 俺は本当に気休めにもならない情報なのだろうと思って、それを聞いた。

 これまでのマイナスを吹き飛ばしてくれるほどの情報があるならば、この老婆は先にそれを言うだろう。だから失礼ながら、適当な相槌を打ちながらその話を聞き始めたのだ。


「この薬の名前が『タイムマシン』ってのは嘘だ。本当の名前は『記憶蘇生薬』って言うらしい。なかなか注目されてる薬みたいでね。あんたはそれの試験者になったってわけだ。名誉なことだよ」


「へー。でもその試験、僕の場合だと失敗したことになりませんか?僕はどうせ、ネガティブなマイナス思考人間ですからね。自分の記憶すらまともにコントロールできないんですよ。すいませんね」


 俺は老婆に気遣うことなく、自分の絶望感をそのまま相槌に乗せて投げやりに言った。


「そんな卑屈になっても良いことないよ」


 老婆は軽く俺を慰めてから、薬の説明を続行させた。きっと、他にかける言葉が見当たらないのだろう。


「それに試験失敗にもならないんだ。なぜなら記憶を捻じ曲げられることは、この薬の本来の用途じゃないからね。副作用みたいなものだよ。でも人間の精神に影響を与える可能性があるから、私がここで非公式に試験を委託されてるんだよ」


「へー。ということは、本来の目的は昔の記憶を思い出すだけなんですか?」


 老婆は資料のような紙を、鞄から引っ張り出してそれを読み始めた。


「そう聞いてるよ。『ここまで出かかってるのに思い出せない』とか、『あの資料の細かいところがもう一度見たい』とか思うのは、誰しもあることだろう?そんな時に使用すると、使用者の記憶を無理やり引っ張り出して、その時に見た正確な記憶をもう一度見られるらしい」


「へー。それは便利ですね。俺もそんな薬があったら良いのにって思うこと、よくありますよ」


「だろう?誰しもあることさ。あんたはそんな立派な薬を実験段階で使えたんだよ。羨ましいねぇ」


 老婆は棒読みでそう言うと資料を収め、薬についての話を終えた。

 どうやら気休めにもならないほどの良いこと、というのはそれのようだ。嘘偽りの無い情報で、本当に気休めにもならなかった。


「でも俺はそんなこと望んでなかった。俺はただ彼女があの後幸せになっていればそれで……」


 それで良かった。彼女が今幸せに暮らしていることを確認できて、昔みたいに楽しく話せればそれで良かった。

 俺は老婆にそう言おうとしたのだが、言い切る前に何か引っかかるものがあった。


「まぁ、そんな事もあるさ。私も生まれるのがあと五十年早かったら、この薬を有効活用できてたかもしれない。そう考えると悔しい気持ちはあるよ。この歳になると、自分が何を忘れてるのか、何を思い出そうとしているのかさえ覚えられないものだからねぇ。ヒッヒッヒ」


 場を和まずためなのか、老婆は老人のあるあるを交えた世間話をしていた。その好意は嬉しいが、その時の俺にその内容はほとんど入っていなかった。


 何か大事なことに気づいていないのだ。俺は順に整理し始めた。

 俺はなぜ過去の彼女を救おうとしていたのか?それは今の彼女の行方が分からないから。

 なぜ彼女の行方が分からなかったのか?それは昔の彼女に関する記憶が曖昧すぎて役に立たなかったから。

 俺が使った薬、『タイムマシン』の正式名称は?記憶蘇生薬。


「あー!」


 今まで全て点だったものが、線で繋がった気がした。それが彼女に繋がる線かもしれないと思うと、思わず声が出ていた。


「またかい?また彼女との会話でも思い出したのかい?」


 老婆は少しの間呆然として、俺に聞いてきた。流石に二度目なので、前ほどは驚いていなかった。


「違います!この薬って、飲めば望む時の正確な記憶を思い出せるんですよね?」


「あぁ、そうみたいだよ」


 胸を熱くして何度も質問する俺に対して、老婆は再び資料を見ながら冷静に答えていった。


「俺が昔一度だけ視界に入ったもので、今は何一つ覚えていない物でも、これを飲めばもう一度それを見れたりしますか?」


「見られるんじゃないかい?あんたが昔に見たものであれば。昔と違う行動をすればあんたの妄想が入り込んでしまうが、動かしたりしなければ、基本的に記憶通りだと思うよ」


「それなら決まりです。これで買えるだけのタイムマシンをください。俺はまた十年前の彼女に会いに行きます」


 俺は財布をそのまま老婆に渡して言った。老婆は子供を叱りつけるような口調で、俺に忠告をした。


「今の話を聞いてなかったのかい?そもそもこれはタイムマシンじゃない。いくらこれを使っても、そこで出会う彼女はあんたの妄想だ。実際に起こったことは何も変わらないんだよ」


 老婆から鋭い目の威圧感を感じた。しかしそんなこと百も承知な俺は、その目をしっかりと見返して、堂々と言ったのだ。


「何も変わらないからこそ行くんです!あなたが俺に言ったように、俺が見ていたのは今だった。知りたかったのは、昔の彼女ではなく今の彼女だったんです」


「何か考えがあるみたいだね」


 老婆はまたもや怪しげな微笑みを浮かべていた。


「はい」


「安全じゃないこと、実際に過去に行くわけじゃないこと、その二つを分かってて行くのであれば、私にあんたを止める術は無い。行ってくればいいさ。もちろん金はもらうがね」


 老婆はそう言うと、俺の財布の中身を全て抜き取り、代わりにいくつかの記憶蘇生薬をくれた。


「はい。行ってきます」


「土産話を楽しみにしてるよ」


 老婆が笑顔で見送ってくれたのを確認して、俺はまたまた記憶の旅を再開させたのだ。

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