究極の手段
「ダメだったのかい?」
目を開けた後、無言で体を起こした俺を見て老婆が尋ねた。
「はい。見事に振られました」
「振られたのかい?昔の彼女に」
老婆は意外そうな声を出して、そう聞いてきた。
「はい」
「ちなみに何て言われたんだい?」
「『あなたとは一緒にいられない。私はお父さんと一緒にいないといけない』。そう言われました」
「はいはい。なるほどねぇ」
老婆は頷きながら、想像通りといった様子で話を聞いていた。何がなるほどなのかは知らないが、俺は過去で起こったことの詳細を最後まで話し続けた。
「その後、もう一回父親から逃げるように説得して、俺の手を取ってくれそうだったところで、あの男に殴られた」
俺が話し終えると、老婆はまるで言う事を決めていたかのように、すぐさま俺に次のことを言ったのだ。
「うん。悪い事は言わない。もう諦めな。あんたに過去を変えるのは不可能だ。自分の体のためにも、ここで諦めて今を生きるんだよ」
「いいえ。まだ考えはあります。ずっと考えてはいたけど、実行できなかったことです」
ここで諦めるわけにいかない俺は、老婆の提案を拒否した。俺にはまだ一つ実行していない手段があったのだ。成功すれば確実に彼女を父親から離せる方法である。
「そりゃ何だい?」
「言えません。言えばきっと反対されます」
「そりゃそうさ。これ以上はあんたの体に相当な負担をかける。それにそもそも、あんたに過去は変えられないんだよ」
「でも変えた人間はいるんでしょう。だったら俺にできないとも限りません」
俺は一歩も引かなかったが、最後の手段、その内容は告げられなかった。それは成功しても失敗しても、俺の人生を狂わすものになるからだ。俺のことを心配してくれているこの人が、賛成はしないだろうと思った。
そして老婆は俺の体のことまでも心配してくれていたようだ。その気持ちは素直に有難い。だが今の俺にとって彼女の存在は、自分の体よりも大事かもしれないのだ。
十年間、頭に残って悩み続けていた存在だ。その上、こうして何度も救うのに失敗している人物でもある。俺の人生でここまで、思い尽くしている人は他にいない。
老婆は大きくため息をついて言った。
「ハァ、どうせ止めても無駄なんだろう?ならさっさと行ってきな。行けば分かるだろうさ」
そう言って、俺の方に薬を持った手を向けた。俺はそれを取ろうとしたが、その寸前で老婆が手を引っ込めて、次の注意事項を続けて話した。
「ただし、これで駄目だったら今度こそ諦めること。いいね?あんたの生きてる時代は今なんだ」
「分かってます。どのみち、これが最後の手段です」
そう答えて、薬を受け取った。
「行ってきます」
老婆にそう言って薬を飲むと、前と同じように頭痛が起こった。そして目を開けると、十年前の夏休み、彼女と最後に会ったあの日にいた。
十年前は、部活が終わるとそのまま職員室に直行して彼女に出くわしたが、それをやってしまうと、前と同じ結果になってしまう。
今度の俺は過去の二回とは全く違う行動をするつもりだ。まず急いで調理室に向かい、実習用の包丁を盗んだ。
そしてそれを持って、彼女に会わないルートを通って職員室へと向かったのだ。彼女の父親がそこから出てくるのは知っていた。だから急げば狙えるはずだ。
俺は移動しながら、荒くなる息と心を整えていた。これを実行してしまえば、もう後戻りはできない。成功しても失敗しても、俺は犯罪者になり、彼女には会えなくなる。だがその代わり、成功すれば彼女は父親からの虐待から逃れられるのだ。
心配してくれた老婆には悪いが、現状これしか無さそうだ。俺は自分を犠牲にしてあの男を殺す。それしか彼女を救う手立てはない。
俺は腹をくくって、彼女の父親が通る廊下に立った。あの男が前から来れば、通りすがりに心臓に包丁を突き刺す。そのイメージを何度も繰り返して、男を待った。
そしてその時がやって来た。俺は男に近づき、刺せる距離に来た瞬間を狙って、手に隠し持ったそれを、男の胸に突き立てた。
絶対に成功すると思ったタイミングだったのだが、俺の予想以上に男の反応は早かった。男はうめき声を発しながら包丁を持った俺の利き手を、両手で掴んで止めたのだ。
完全に勢いを失ったが、まだいける。俺は、両手を使って包丁を押し込もうとした。しかし男が掴んだその包丁はそれ以上、少しも男側に動く事はなかったのだ。本当に、驚くほどビクともしなかった。運動部に所属していたため力は高校生の平均程度はあったはずだが、その男の力はまさにゴリラを相手にしているかと思うくらいに、桁外れに思えた。
「何すんだ!急に!」
怒った男がそう叫ぶと、隣の職員室からあっという間に教師が大勢出て来て、俺は取り押さえられてしまった。彼女がその騒ぎの内容に気づいたかどうかは分からない。その後俺はすぐに生徒指導室に送られることになったからだ。
俺はそこの机に頭を打ち付けて、未来に戻った。
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