彼女との短い逃避行
目を開けると、そこは学校の中庭だった。真夏の日差しを浴びてとても暑く、俺は炎天下の中で棒立ちの状態だった。自分の手の中には体育館の鍵が入っており、部活が終わった時間だということが予測できた。
どうやら記憶違いは無いらしい。
このまま職員室に向かうと、入り口に彼女がいるはず。記憶通りに校舎へ向かうと、やはりそこには記憶通りにベンチに座る彼女の姿があった。
今度の俺は躊躇わずに彼女のもとに行って話しかけた。
「久しぶりだな。どうかしたのか?」
「私は、少し用があって。あなたは部活ですか?」
昔と同じような質問をすると、無論のこと昔と同じような答えが、昔と同じぎこちない笑顔で返ってきた。
しかし、ここからは違う。今の俺は部活をしに来たわけでもなければ、彼女とたどたどしい会話をしにきたわけでもない。
「俺はお前に用があって来たんだ」
「私にですか?」
彼女は不思議そうな顔をして、聞き直してきた。俺はすぐさま答えた。
「お前を連れて行きたいところがあるんだ。今から付いて来い」
「ごめんなさい。今お父さんを待ってるんです。後でもいいですか?」
「なおさらだめだ。今すぐ行くぞ」
俺は強引に彼女の手を取り、彼女を連れて校門に向かい歩き始めた。彼女の父親に見つからずに行動するには、今しかないのだ。
「え?え?」
突然すぎる俺の行動に驚いたのか、戸惑いの声を上げながら、彼女はしばらく俺について来た。
「ちょっと、待ってください!」
しかし、手を引いたまま学校の敷地を出ようとしたところで、彼女はそう言って俺の手から自身の手を振り払った。そして少し困ったような顔で質問してきたのだ。
「どこに行くんですか?わたしは学校にいなきゃいけないんです」
「父親を待ってたんだろ?」
「分かってるなら、連れて行かないでください。私はあそこで待ってなきゃいけないんです」
困り顔で頼み込む彼女に、俺は高校時代の自分では考えられないほどの強引な手段を使って、本音を聞き出すことにしたのだ。
「お前は俺といるのが嫌か?」
「嫌ではないですけど」
「俺はお前と一緒にいたい。お前のことが好きだから。お前はしたい事は無いのか?やらなきゃいけない事じゃなくて、やりたい事はないのか?」
十年前の俺が彼女に伝えられなかった事を加えた、今の俺の言葉である。全力で発した言葉だった。しかし、彼女は頭を下げ小さな声で答えたのだ。
「ごめんなさい。あなたの言葉はとても嬉しいです。けど私はあなたとはいられない。本当にごめんなさい」
そして頭をあげた彼女は、寂しげな表情で続けた。
「でも、今日は付き合えなかったですけど、もしまた会えたら、前みたいに普通に私と話してくれますか?」
目の前の彼女は、十年前の最後に会った日に昔の彼女から聞いた言葉と全く同じことを言ったのだ。
「今から話そう!お前のことを苦しめる父親から、俺と一緒に今すぐに逃げよう!そうすればいくらでも話せるぞ」
このままでは昔と何も変わらない。そう思った俺は、焦ってさらに彼女に詰め寄った。だが、彼女の反応は変わらなかった。
「ごめんなさい」
彼女はまたもや俺に謝り、門の前で立ち尽くす俺たちの間には静寂が流れた。
ここから嫌がる彼女を強引に引っ張って、施設まで行くことはさすがに不可能だ。どうすれば彼女を説得できるのだろうか。そんなことを考えているうちに、時間はどんどんと過ぎていく。ゆっくりしている暇はない俺はさらに焦った。だが何も状況を打破できないうちに、俺たちの間の静寂は破られた。
「何だボウズ。ウチの娘になんか用か?」
大柄な男が彼女の背後にやって来て、俺に声をかけたのだ。
一番避けたいと思っていた状況であった。彼女が父親から虐待を受けているというのが本当なら、その本人を目の前にした状態で、彼女の本音を引き出すのは、おそらく無理だろうと思っていたからだ。彼女が父親を怖がっているならば、逃げることもできないだろう。
万事休すであった。とりあえず玉砕覚悟で、本当のことを告げることにした。
「彼女があなたに虐待されてるという噂を聞きました。心配になって助けに来たんです」
「あぁ。ウチの隣の家に住んでるおばさんが、児童相談所に通報したらしいな。心配してくれてありがとう。大丈夫だ」
「あぁ、そうですか」
キレられる覚悟で言ったが、虐待の疑いをかけられている人とは思えない、一般的とも言える反応をされて、俺は拍子抜けしてしまった。
いや!危ないところであった。あまりに普通な対応だったため、あの男の話に納得するところだった。虐待をする親には、世間体を気にして周りの他人には良い顔をする人もいるらしい。目の前の男がそうとは限らないが、そうでないとも限らない。
「それは、疑われてるあなたが言うことではないですよね」
俺は断固として、その男への対立姿勢を緩めなかった。俺はその男の言い訳を聞きにわざわざ来たんじゃない。彼女の望みを聞きに来たのだ。
俺はまた彼女への質問を再開した。
「お前から聞けば俺は納得できる。どうなんだ?お前は父親から本当に虐待を受けてないのか?」
「私は……」
彼女は何か答えようとしたが、それを遮るように彼女の父親が俺に話しかけた。
「もういいだろう。俺たちはもう行かないといけないんだ」
俺はその男の言葉を無視して、彼女への思いを伝え続けた。
「まだお前の答えを聞いてない!父親に気なんて使わなくていい。お前の意見を聞きたい。もし虐待されてるなら、俺と一緒に逃げよう」
「私は……」
彼女は必死に答えようとしていた。だが、隣の大男が再び声を上げてそれを止めて、俺に怒鳴った。
「いい加減にしろ!お前らは親子の仲を引き裂こうとして楽しいか?あまり他人の家の事情に首を突っ込むのは良くないぞ!」
「あなたこそ、子供の未来をぶち壊すのは楽しいですか?」
男が怒鳴ってきたので、俺も本音をぶつけた。
「このガキ!」
男は見るからにカチンと来ていたようだが、俺はさらに彼女へ話し続けた。
「親なんていなくても、俺がお前の味方になってやる!だから行こう!父親から離れて、俺と一緒に好きに生きよう!」
俺は彼女の方へ片手を差し伸べた。
そして彼女も、手を伸ばして俺の手を取ろうとしてくれたのだ。
そして俺と彼女の手が重なるその瞬間、俺は頭に鈍痛を感じて、地面に倒れてしまった。
一瞬何が起こったか分からなかったが、首を動かして状況を見ると、彼女の父親が俺の頭があった空間に自身の握り拳を置いていた。どうやらあの男に頭を殴られたらしかった。
彼女はその直後に俺に駆け寄って来て、心配する言葉をかけてくれた。
だが、視界がグラグラして意識が朦朧とする中、彼女は俺に次の言葉を放ったのだ。
「本当にごめんなさい。私が悪いんです」
彼女はその後、父親に腕を引っ張られて強引に駐車場の方に連れて行かれた。
こんな時まで、彼女は父親をかばい自分のことを責め続けるのか。それに気づいた俺は、ある事を決意し、目を閉じた。
彼女は虐待を受けていたあの男がいる限り、自分のやりたい事を求められないかもしれない。
それなら、話は簡単だ。
これから俺がやるべき事は、最後に残しておいたたった一つの方法だけだ。
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