老婆との反省会
「ただいま帰りました」
目を開けて体を起こしながら、老婆に言った。
「お帰り。今度はどうだったんだい?」
老婆は慣れた様子でそう聞いてきた。こんなやり取りも、もう何度目かすら覚えてないくらい繰り返している。
「ダメでした。もう一回行きます」
俺はそう言いながら、財布から取り出した金を風呂敷の上に置いた。もはや打開策など思いついていないが、やれなければ何も変わらない。そう思って俺は、薬を一つ取ってまた過去に行こうとしていた。
「ちょっと待ちな」
しかし、その声と同時に老婆の細い手が俺の手首を掴んで、その動きを止めたのだ。老婆はそのまま俺に言った。
「詳しく聞かせてくれないかね。あんたよりも長く生きてる私なら、力になれるかもしれないよ」
「そうですね。少し整理するついでに話しましょう」
老婆に言われたことにも一理あった。これだけ何度も挑戦しているにも関わらず、何の希望も見出せないのだ。少し落ち着いて考えたほうが良いかもしれないと思い、いっそ老婆に全て話すことにした。
「そうそう。年寄りのアドバイスは素直に聞くもんだよ。亀の甲より年の功って言うだろ?」
その後の俺が話している間、老婆は聞き役に徹してくれていた。
老婆の助言を期待すると言うよりも、自分の頭の中を整理するために話し始めた。ちゃんと聞いてくれる人がいるというだけでも、すごく考えがまとめやすく、心も落ち着いた気がした。
この薄暗い路地裏の雰囲気もあって、俺は老婆のことをずっと怪しい人だと思っていた。しかし、俺の昔話を最後まで真剣に聞いてくれた老婆を見て、そうではないのかもしれないと考え始めていた。もしかしたら、意外と親切な老婆なのかもしれないと思い、心を許しかけていたのだ。
「へぇー。あんたも苦労したんだね」
結局老婆は、最後までそんな風に相槌を打ちながら、俺の話を聞いてくれた。
「でも彼女はもっと苦労してたはずです。俺は何もできなかったんですけど」
「それじゃあ約束通り、話してもらったお礼にアドバイスでもしてやろうかね」
老婆はそう言うと、少し考える素振りを見せた後で、俺にその内容を告げたのだ。
「これまで私の前でこの薬を飲んだ人間は大勢いる。死に目に会えなかった親に死ぬ前に一言言いたかっただとか、喧嘩別れした友達に謝りたかっただとか、後悔していた内容は人それぞれだったが、私の経験上、この薬でそれを消し去れた人間ってのは、みんな想いが強いやつだったね」
その老婆の意見には納得いかないところがあったため、俺はすぐさま反論した。
「想い?それに関しては、僕は誰にも負けてないつもりですよ。俺はこんなにも彼女のことが好きなんですから」
「よくそんな恥ずかしいことを堂々と言えるね。何歳なんだい、あんた」
からかうように半笑いで言った老婆の言葉に、俺は開き直ってさらに自信満々に答えた。
「二十五歳がこんなこと言ったら駄目ですか?でも俺はついさっきまで、初恋をしている高校生だったんですよ」
「別に駄目とは言ってないよ。何歳でも一生懸命になれるのは良いことさ。でも、私が言った想いの強さってのはそんなことじゃない」
「じゃあどんなことですか?」
「過去を変えることに対して、自信を持ってる感じだねぇ。プラス思考な人間の方が過去を変えて悩みを解決できてたよ。あんたにはそれが無い気がする」
「なるほど」
少し悔しいが、老婆の言ったことは自分でもそうかもしれないと思った。十年前の彼女の言動を再び見ていると、本当に過去の選択をやり直すだけで、彼女の人生を変えられるのか、という不安な気持ちが湧いて出てきていたのだ。
試行錯誤をしてみたが、彼女の自信のない発言を何度も聞いているうちに、いつのまにか俺の自信も徐々に奪われていたような気さえしていた。
老婆はそんな俺を責めることはなく、新たな方法を提案してきた。
「何か無いのかい?他にその彼女との思い出は。キッスを求められたこと以外にロマンチックなこととか、あんたに自信がつくような良いことは無かったのかい?これだけやって失敗してるなら、その日はもう無理だと思うよ」
「やっぱりそうですか。でも思い当たらないですね。それまでは俺たちはたいした話はしてなかったし、それにあの日の後は……」
「何だい?」
「何でもないです」
あの日の後、高校生の俺は彼女の家でのことを思い出して、恥ずかしくて彼女とうまく話せなくなっていた。
しかし、それを老婆に言ってしまうと、またガキみたいだと小馬鹿にされそうなので、ギリギリで踏みとどまった。
「とにかくあの後も、俺たちは深い話をしたわけではなかったんです。虐待のことに俺は最後まで気づいてなかったわけだから。何にも気づかないまま夏休みに突入して、開けた時にはもう彼女はいなかった。彼女は部活をしてなかったから、その間、俺は会ってないはず……」
十年前を思い出しながら老婆にそれを語った。だが自分で言っておきながら、何か忘れているような気がして、俺はところどころ詰まりながら話した。彼女との思い出が他にも何かあったような……。
「あー!」
頭の中で自分の記憶を順々に振り返っていると、ついに彼女とのその思い出に行き着いた。
「何だい、いきなり。心臓止まるかと思ったよ」
唐突に発した俺の声に、老婆は驚きながら尋ねた。俺は思い出した内容について語った。
「夏休みに一度、俺は彼女に会ってたんです。一分も無いくらいの短い時間だったからすっかり忘れてた。けど思い返せば、あれが本当の彼女と話す最後のチャンスだったのかもしれません」
「ほー、そうかい。せっかくだから、それも私に聞かせてくれないか?個人的にあんたの過去に興味がわいてきたよ」
老婆は面白そうにニヤリと笑って言った。俺は真っ直ぐに老婆の目を見返して答えた。
「構いません。むしろこちらからもお願いします。俺は話しながらの方が考えがまとまりやすいのかもしれません。ここまで来たからには、最後まで付き合ってもらいますよ」
「望むところさ。夜明けまでには時間はまだまだあるんだ。いくらでも付き合ってやるよ」
俺が合計何時間気を失っていたのか、確認する気にもならなかったが、おそらく終電はもう出てしまっているだろう。つまり、老婆が言うように、夜明けまで待つしかないらしい。だから、俺はゆっくりと彼女との最後の記憶を振り返ったのだ。
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