救出作戦難航

「過去には行けたみたいだね。どうだった?」


 老婆は怪しげな無表情をほとんど変えずに、俺に尋ねた。


「最悪でした。ついでに現在進行形で最悪です」


 地べたに倒れていた俺は、体を起こしながら答えた。初恋の相手を想像して目を開けたら、こんな怪しげな老婆がいたのだ。気分がいいはずがない。


「なるほど。上手く過去を変えられなかったみたいだねぇ」


 老婆は俺の反応を見て、過去での結果を察したようだ。


「えぇ。でも悪いことばかりじゃありませんでした。忘れてた大事なことを思い出せました」


「そうかい。それは良かった。それでお代についてなんだが」


 老婆は俺が過去でやった事を詳しく聞こうとはせず、そのまま自然に背後にあった鞄を持ち、薬の代金を貰う素振りを見せた。

 しかし、過去の出来事に納得いっていない俺は、代金を支払って、はいさよならというわけにはいかなかった。俺は老婆の言葉を遮って、自分の意思を伝えた。


「分かってます。でももう一回行くことはできませんか?もちろんお金は払います」


 すると老婆は一瞬動きを止めた後、元から細い目をさらに鋭くさせて、俺に言ったのだ。


「推奨はしないよ。分かってるとは思うが、この薬は連続して使うものじゃないんだ」


「はい。それでも使いたいんです」


 俺は老婆の目を見返して、はっきりと答えた。


 体に負担があるのは何となく分かっていた。これほど即効性があり、倒れて気を失うほどの頭痛が伴う薬だ。おそらく安全が保証されている薬ではないのだろう。

 しかし、高校時代のこの彼女への強い気持ち。また忘れてしまったら、もう彼女を助けようなんて思うことは二度とない気がした。これは彼女のためでもあり自分のためでもある。十年間、頭の片隅に残り続けたこの後悔を断ち切るには、きっと今の時点で行動を起こすしかない。


「まぁ、私は金をもらった相手に薬を渡すだけだからね。使うことを止める権利は無いよ」


 俺の返事を聞いた老婆は、諦めたようにそう言って、代金を貰う準備を再開した。



「はいよ。確かに」


 俺は薬の代金として、決して安くはない老婆の言い値を支払い、その代わりに風呂敷の上に置かれていたプラスチックケースから、一粒のカプセルを手渡された。


「良かったら、そこまでしてあんたがしようとしてること、私に教えてくれないか?」


 俺が渡されたカプセルをまじまじと眺めていると、老婆が聞いてきた。隠す必要のないほど昔の話なので、俺は素直に答えた。


「初恋の人を助けたいんです。昔は何もできなかったけれど、今の俺なら彼女の力になれるかもしれない」


「愛の力ってやつかい?ヒヒヒ、嫌いじゃないよ、そういうの。若者の特権だねぇ」


 俺のことを面白がっているのか、老婆はニヤニヤしながら答えた。そして、鞄から一つのペットボトルを取り出すと、それを俺に差し出した。


「頑張りな。これはサービスだよ」


「変なもの入ってませんよね?」


 ペットボトルの中身は水のように見えた。外側にも市販のもののラベルが貼ってあり、一見するとただの水のように思える。しかし、さっきのこともあって飲み物には警戒していたため、すぐに質問した。


「薬代はしっかりもらってるんだ。これ以上あんたに何もしやしないよ」


「ありがとうございます」


 それもそうかと納得した俺は、普通にそれを受け取って、老婆の前に座った。そして、カプセルの包装を解いて口に入れ、老婆にもらった水でそれを腹の中へと流した。

 数秒後、少し前に老婆のお茶を飲んだ時のような頭痛が俺を襲い、俺はまた横になって目を閉じた。



 目を開けるとそこに老婆の姿はなく、彼女がいた。

 着いた日付は前回と同じく、彼女の家に行った日の午後、状況も全て同じであった。原因はもちろん、俺がその日に行きたいと思いながら薬を飲んだからだ。

 別の時間に行く気はなかった。彼女の気持ちを変えさせるには、俺が一番彼女に必要とされていたこの日しかないと思っていたのだ。



 一度目の失敗は、児童相談所に通報すればすべてが上手くいくと思い込んでいたことだろう。それだけでは彼女を助けるためには足りなかったのだ。


 十年前の俺は、まだ子供だったために何もできなかった。だから今度は最大限に大人の力を利用しようと考えたのだ。

 相談所だけじゃない。学校の教師や自分の母親、彼女の家の近所の住人など、彼女を助けてくれそうな人、彼女や俺が頼れそうな人を全て利用して、彼女の環境を変えさせようと計画を立てた。



 結論から言うと、その作戦は失敗に終わった。


 現在の俺よりも年上に相談すれば、俺が思い付かなかった方法を見つけてもらえるかもしれないと期待していた。しかし、彼らが提案する方法は児童相談所に連絡するか、彼女かその父親と直接話しに行く、という二つだけだったのだ。


 児童相談所については、俺が一度実行した事であった。だが大人がやるとまた違う結果になるかもしれないと思い、母親と先生から連絡してもらったのだ。しかし、その結末は同じであった。


 その後俺は一旦、未来に戻って薬を飲み直し、学校の先生から提案されたもう一つの案を試してもらった。先生に直接、彼女の家庭環境について彼女の父親と話しに行ってもらったのだ。だが結末は同じだった。


 さらにその後も、何度も何度も現在に戻り、薬を飲んで十年前に行くという行為を繰り返した。

 頼る人を変えたり、方法を変えたり、彼女本人にかける言葉を変えてみたり、あらゆる方法を試してみたが、結末は同じ。

 何をやっても、夏休みに入るまでに、彼女の父親は逃げるように、彼女を連れてどこかへ引っ越してしまう。


 その度重なる失敗から、俺が理解したことは主に二つ。

 彼女の父親は、虐待を疑われた時点で彼女とともにどこかへ行ってしまう、ということ。それから、俺はどこかに頭を強く打ちつけて目を瞑ると、未来に戻れる、ということだった。


 俺はまた、学校の生徒指導室にいた。担任の先生が向かいの席に座っている状況で、先生からある報告を受けている。もう何度も聞いた、彼女がいなくなったという報告だ。

 それを聞いた俺は、当然のように机に頭をぶつけ目を閉じた。

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