私は元来、おしゃべりな方ではありません。それでもこの話をするのは、聞いたあなたがどんな解答をするか、それを知りたいからです。私は事の真相が分かりません。ですからあなたはどう考えるのか、それをおっしゃっていただきたいのです。

 もったいぶるのは止めましょう。私は三年ほど前まで、タクシーの運転手をやっていました。都内を中心に、だいたい深夜の時間帯で営業をしておりました。おそらく深夜のタクシーと聞くだけで、大変な仕事だと考えると思います。確かに多くの客は電車を逃した酔っ払い。何回かは明らかに筋者の方を乗せたこともあります。しかしこれから話すような客を乗せたことは、人生で一回しかありません。

 確か年の暮れ頃でした。終電後、私は山手線の駅の近くで女を一人乗せました。歳は二十歳半ば、長い髪で、黒い地味なコートを着ていました。どちらへと訊きますと、赤羽の方までというので、私は進路を北へ向けました。その時妙なことに気がついたのです。

 女は鞄の中からスマートフォンを取り出しており、私はそれをミラー越しに見ていました。妙だと感じたのは、スマートフォンを両手で挟むようにして持っていたからです。そして、どうしてそのような持ち方をするのかはすぐに分かりました。女は左手にある一本を残し、全ての指が無かったのです。

 気がついて、少し嫌な気分になりました。実は指の無いお客は何度か乗せたことがあります。そういう方はだいたい印刷所に勤めている人でした。今はどうか知りませんが、昔は裁断機に巻き込まれてしまう方が多かったそうで。しかしこんなに若い、しかも女性がほとんどの指が無いというのはずいぶんかわいそうだなと思ったのです。

 その時、女がふと顔を上げました。見られていたのに気がついたのか片頬で笑むと、私の指、見たでしょ? と言いました。まあ、と曖昧に答えると、女は見せびらかすように左手をヒラヒラさせました。

「運転手さんは、遊郭の女が惚れた男に小指を送った風習を知ってますか」

 私は元来、おしゃべりな方ではありません。最近は話しかけられることを嫌う客もいますから、節度を持って話しかけるようにしています。しかし時にお客の方がしゃべりたがることがあります。自身の話に酔っているのでしょうか。女はまさにそういった人種でした。こうなったらもう黙って相づちを打つよりほかにありません。

「遊女は恋慕う男に、自分の想いの証として小指を送ったそうなんです。小指は指切りの、約束をする指でしょう。それを心中箱というのに入れて、想い人に送るんです。そうやることで、来世の証を立てるのだそうです」

 話を聞いている内に、私はハンドルを握る指先から力が抜けていくような気がしました。後ろの女は、そんな理由で九本もの指を落としたのか。そう思うと、自分の指がくっついていることの不確かさと、狂った女の恐ろしさに叫びそうになりました。

「でも、私の恋人は左手の小指を送っても全然返事をしてくれなかったんです。きっと私の想いを見きわめているんだって。だから今度は右手の小指。左手中指、人差し指、どんどん送って。途中から包丁が持てなくなったから、ある程度切れた所を歯で噛み切るんです。そうやって九本は送ったから、最後の一本は私自身が届けに行こうと思って」

 そうです。薄々気がついていましたが、女の最後に残った一本は、左手の薬指でした。私のタクシーに乗り込んだのも、きっと赤羽にいる恋人の家へ行くためでしょう。

 そこまで察して私は思わず、お客さんと呼びかけました。申し訳ないですが、私はその手の話が苦手なんです。できれば止めていただけますか。そう頼むと、女は残念そうに溜息を吐きました。そして残った左手の薬指を、愛おしそうに眺めたのです。


 その後、女は赤羽駅へ着く手前で降りていきました。小銭が取れないと言うので、私が財布から利用料金分を取り出しました。女の去っていく後姿を見送りながら私は、女と恋人がこの後どうなってしまうのかを案じました。

 なぜ何年も前の話を今更するのか不思議に思われたかもしれません。私もついこの間まであの一夜のことは忘れかけていました。しかし先週、女を街で見かけたのです。さらに私を驚かせたのが、女が男を連れ立って歩いていたことです。

 きっと買い物帰りなのでしょう。隣の男は買い物袋を腕に提げていました。二人とも親しげに話していて、駅へ向かう私とすれ違うように歩いてくるのです。思わず私は女の左手に目をこらしました。女の左手は前と同じ薬指一本、唯一違ったのはそこに銀の指輪が嵌められていたことです。

 指輪を嵌めているということは、あの男は夫なのか。男は指を送り続けた女を受け入れたのだろうか。いやいや、別の男と一緒になったのかもしれない。しかし、あんなに執着していた女が別の男と結婚するだろうか。そもそも、普通の男は一本指の女を妻にするだろうか。ぐるぐると考えている内に、私は二人とすれ違いました。その時ふと、あることに気がついたのです。それを見て私は、急に合点がいったような、逆に全く分からなくなってしまったような気分になりました。

 すれ違いざま、私は男の左手を見ました。男の手は女と同様、指輪を嵌めた薬指一本を残して全て無くなっていたのです。

 あなたはこの話をどう思われますか。

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