8.江戸時代人よ! これが21世紀の科学だ!!
「これを飲み続ければ、梅毒で鼻が落ち、頭がやられることもないです。治ります」
ドヤ顔で俺は言った。
しかし、田沼親子の反応はイマイチだった。
え? アピール度が弱いのか?
江戸時代は梅毒が
ちゃんと調べたのだ。
江戸は世界有数の性にオープンな都市だった。
確かに「不倫」は「不義密通」として女の人が死刑だ。
しかし、男の女遊びはかなり自由だった。
それは江戸が圧倒的に男人口多数の偏った都市だったからだ。
寛政の改革で岡場所が潰されるまで、江戸は無数の売春街があった。
そして、性病である「梅毒」が
「それで、
「『そう』ですか? 意次殿」
「そうなのだ。土岐殿」
ギリギリ平成生まれの俺と18世紀の田沼意次が「昭和のギャグ」をやっているわけではない。
言葉の食い違いとかそういったものは、ある程度はしょうがない。
「
と、意知が「そう」は「疱瘡(ほうそう)」であると教えてくれた。
俺の頭の中で「ホウソウ」と「疱瘡」が結びつくのに数秒。
それは分かる。
「疱瘡…… あッ 『天然痘』ですか……」
ちょっと息をついて、俺は言葉を続ける。
「別の薬ですねそれは……」
というか、二一世紀では天然痘は撲滅されていて、どうなるんだ?
もしかしたら「種痘」はないか?
一から作るのか? 出来るか?
「なるほど。違う病には違う薬。道理ではあるな」
ヤバい部分を突っ込まれた俺に田沼意次が話をまとめる。
助かった。
「そういうことですよ」
俺の言葉に「うん、うん」と頷く田沼親子だった。
素直な江戸の人だった。
「で、この梅毒の薬は……」
「それで、治るか?」
「確かに売れるでありましょうが。どうですかな、父上」
「町民は疱(そう)になり、鼻が落ちても『粋の印』と言う者も多いが――」
江戸で中下級武士の子として生活してきた田沼意次だ。
町人の暮らしにも詳しいという幕閣としては珍しい存在だ。
彼は「うーんどうだろうなぁ」という感じで腕を組んで考える。
「笠森稲荷が繁盛するのであるから、効き目が分かれば売れるであろうし、廓街も良くはなろう――」
悪くは無いけど、インパクトはイマイチと言う感じだった。
どうにも経済効果が見えにくというのがあるかしれない。
吉原は幕府公認の遊郭で財源にもなっていた。
私娼街の岡場所は役人に対するそれこそ「ワイロ」の温床になっていた。
ただ、当時の武士はワイロが無いと生きて行けないくらい薄給であったというのもある。
ワイロ禁止はそりゃ道徳的には正しい。21世紀からから見ればだ。
そもそも、寛政の改革で岡場所は全滅する。
ワイロは亡くなったかもしれないが、ドカーンと貧乏と不景気がやってくるのだ。
田沼意次の政敵であり「莫迦」と彼が呼ぶ松平定信はガチガチの堅物だ。
田沼が失脚すれば、次は彼の出番だ。そうなれば、おそらく日本は幕末まで同じ道をたどるだろう。それが100%悪いとはいわないが。
「ま…… 薬は他にも色々あります。死ななくて良い人を助けられる可能性は上がります。将軍家治様もです」
「それは! 真かッ!」
田沼意次がグワッと目を開き俺に迫る。
実際、大元帥明王への祈祷をしていた年の8月に将軍家治は亡くなる。
今からだと七年後になる。
彼の後ろ盾を失ったことも、失脚の原因だ。
それが、今伝えられている「脚気」を原因とする「心不全」ならだ。
家治は五〇歳で死んでいる。
五〇歳であれば、当時の人間としても死ぬのは早い。
江戸の平均寿命が二八歳と言われるのは、子どもが育たず死ぬことが多いからだ。
成人すれば、そこそこ長生きはできる。
「二三〇年後に伝わっている死因が合っているならですけどね――」
「ぐぬぅぅぅ、ワシが毒を盛ったとかぁぁ―― あの莫迦がぁ、絶対に許さんぞぉぉ」
田沼意次が血の匂いがするような呻き声をあげた。
大きな声で言えることじゃないからだ。
もし、言えるなら、天に向かって咆哮していたかもしれない。
こめかみの血管がピクピクしている。
将軍の死は、先ほど見たドキュメンタリーで彼も知ったのだ。
彼にとっては、未来の話だが滂沱の涙を流していたくらいだ。
そして、今のように怒りもあらわにしていた。
将軍が病になると田沼意次は、名医の評判の高い町医者に、将軍を診せる。
しかし、薬を処方したが、症状が悪化して死んだらしい。
そして「田沼が毒をもった」と噂が流れるのだ。
「まずは、将軍には「江戸わずらい(脚気)にならない薬」がありますから」
あ、こっちの方が良かったか――
俺は、リヤカーを漁って「総合ビタミン剤」のサプリを出した。
五〇錠、五〇日分で一〇〇〇円ちょっと。
「そちらの方が、瘡の薬よりも売れるであろう。土岐殿」
「そうですかね――」
梅毒と脚気に対する、病に対する恐ろしさの感覚が微妙に違うみたいだった。
脚気なぞ「玄米食って直せ」とか「ぬかみその汁飲めば治るんじゃね」とか思っていたからかもしれない。
「とにかく、薬の他も色々ありますからね」
俺はそう言って、リヤカーから色々と下ろすのだった。
田沼親子は目を輝かせ、それを見ている。
このふたりがそうなのか。
違うな、と俺は思うのだ。
やはり、日本人はカラクリ的な新しいモノが大好きなんだと思う。
でなければ、江戸期にカラクリが流行るわけもない。
基本的に腕のいい職人は尊敬されていたし「技術」物に対する興味は強い民族だと思う。
それが、己の既得権益を犯すような「技術」でなければだ――
◇◇◇◇◇◇
「このような囲炉裏か、火鉢か…… ずずずずずぅ」
「我らが時代でも、似たような物はありますが、これほどまでに小さく便利ではないですな。父上―― ずずずずぅ」
口をもぐもぐさせ、ズルズルさせながらふたりは言った。
携帯ガスボンベのコンロ見せたときの反応だ。
江戸時代も火鉢で鍋を作ったりしているので、理解の範疇になるだろう。
しかし、火が簡単に付き、簡単に消えるのは、利便性の高さで全然違う。
「うむ…… 確かに――」
そういって、ズズズ―― っと汁を最後まで飲んだ田沼意次。
全部食べたので口に合ったのだろう。
「土岐殿」
「はい?」
「これは格別に旨いぞ―― まだあるのか?」
「ありますよ。お湯を入れればすぐできますから」
それはカップラーメンだった。
色々持ってきたが、醤油味が無難だと思って試しに出したのだ。
「父上―― 二三〇年後は、庶民がこのようなご馳走を……毎日…‥」
息子の意知も、震えるほどに感動していた。
いや、それを毎日食っているようでは「庶民」のレベルに達してないから。
「しかし、この器―― 何でできておるのか…… 軽すぎる」
空になったカップめんの器を持って、つぶやく老中・田沼意次。
それを説明するのは面倒なので「濡れても平気な紙みたいなもんですよ」と流す俺。
田沼意次は「なるほどぉ」納得するのだった。
◇◇◇◇◇◇
他にも持ち込んだ「菓子」も気に入ってくれたようだ。
江戸時代は肉食が禁止というがそれは建前なのだ。
トリニク、イノシシやウサギだけでなく「ウシ」ですら味噌漬けがあったのだ。
一般的には食べないが、本当に禁忌意識が強ければ、明治に入り一気に浸透するはずもない。
「ウシの干し肉か…… 彦根藩より御三家に味噌漬けの肉が送られたという話は聞いていたが…… 旨い。止まらぬ―― もしゃもしゃ」
「父上! 旨くとも食べ過ぎは! お歳をお考えください。早死にしまずぞッ! もしゃもしゃ」
歴史の上では先に死んじゃうはずの意知がもしゃもしゃ頬張りながら注意する。
ふたりが食べているのは「ビーフジャーキー」だ。
他にも「柿の種」とか食べだすと、制止困難な菓子類があるのだ。
「しかし、この茶、味は普通だが―― こんな軽いギヤマンがあるのか?」
ペットボトルから紙コップに注いだ茶を飲んで、ペットボトルをみやる田沼意次だった。
「これは、器だけでも、売れば巨万の富を生みかねぬませぬぞ。父上」
「このような、軽いギヤマン。二三〇年後とはいえ、おいそれとは手に入らぬだろう」
ゴミ箱の中にいっぱいあります。二三〇年後の日本には。
リサイクルゴミとして捨てられています。
リサイクルに費用がかかり、処分に困る位に余っています――
「しかし、そろそろ暗くなってきたか――」
「行灯の用意を――」
確かにちょっと暗くなってきた。
俺は時計をみた。
まあ、確かに夕方の時間だ。
もう、時計は出して、一応時間を合わせて行動しましょうとは話してある。
時計自体の概念は江戸時代でもあるし、それほど説明は難しくなかった。
「明かりは、こっちにありますよ」
「おお、そうか」
田沼意次、意知親子は「次は何なの? 何の未来道具?」という期待に満ちた目で俺を見つめる。
なんか、ネコ型ロボットになった気分。
(しょうがないなぁ~、意次くんはぁ、ほら一〇〇円ショップの『キャンプ用のランタン』)
効果音を脳内に響かせ、俺はそいつを取り出した。
一〇〇円ショップで買ったキャンプ用のランタン。
一〇〇円ではなく三〇〇円したけど。
単三電池四本で結構明るい。
それを四つばかり出して光らせた。
「おおお!! 源内の造った、ギヤマンの行灯か―― 遥かに明るく小さいが」
源内さん、そんなモン作っていたのか……
当時の明かりと言えば、ロウソクや菜種油を使ったものだ。
単三電池四個の豆電球にも勝てないのだ。
「夜が昼のように…‥ すごい…… これは、売れる――」
田沼意知の方が反応は大きかった。
息子の方が、商売っ気が強いのか?
ただ、親子そろって頑迷さからは、ほど遠いのは分かる。
「発電機を動かせればいいんですが、結構音がありますからね――」
音の静かなタイプを買っているが、ためしに家の中で動かしてみると、そこそこ音が響いた。
江戸時代の日本家屋ではもっと響くだろう。
家の中の女中とか下男とか、そういう家の中の人間に事前の説明が必要だろう。
「発電機とは?」
「えっと、エレキテルですよ。その発展したものが発電機ですよ」
「ほう…… またしても、源内か―― エレキテルとは二三〇年後の世界を動かしてるのか」
「まあ、そうですね。エレキテル無しでは人は生活できません」
「ほう、源内に聞かせてやりたいものだ」
結構、話題の中で、平賀源内というこの時代きっての科学者の名が上がる。
田沼意次のブレーンとして主に鉱山開発や長崎貿易事業などに協力していたはずだ。
温度計を献上した話は知っている。関係はすでに出来ているのだ。
ふたりの関係の切っ掛け――
田沼意次が、身分違いの女性を側室に向かえるのに、御典医・千賀道有に話をつけ、縁を取り持ったという話を仕入れている。
しかしこれは「通説」であって小説が元ネタなような気もする。
結局、分からないし、こういう話が本当なのかと訊くのも訊きづらい。
とにかくふたりが関係あるという事実は確かだ。
俺は思った。会ってみたいと―― 平賀源内に。
「平賀源内様にお会いすることはできますかね」
「源内にか――」
乾電池のランタンが放つ光の中、鋭い視線をこっち向ける田沼意次。
すっと息を吸う。
「確かに、二三〇年後の世界―― その技術を見せ、どうにかなりそうなのは、源内くらいなものか……」
田沼意次の言葉は「俺の願いに対する了解」と同じ意味だった。
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