第13話 聞いて驚け
「怒らないのか?」
話し終わった牧本がそう言う。しかし、能登の心に怒りは訪れなかった。それは大昔の物語を聞かされているようで、煙草の煙に似ていると思った。口に咥えた煙草は存在しているのに、その先端は煙でしかない。煙は頭上を彷徨って消えていく。目を凝らしても、その行方は分からない。
「それは私と望月の仲が壊れた後の話。だから、気にすることなんてないよ」
今更という思いもあった。牧本がどう行動しようが、能登と望月の関係は修復されなかっただろうし、牧本が原因で2人の仲が壊れたわけではない。
能登は考えるのを辞め、この話を終わらせることにした。
「で、告白の結果はどうなった?」
能登は本筋から話しを逸らした。
にやける能登を見て、牧本はようやく安心したようだ。
「聞いて驚け、――俺の心は、木端微塵に粉砕した」
能登は大げさに笑ってやった。それに応じて牧本が怒ってみせる。
「俺は何年も悪かったと思っていた。今日だって勇気を振り絞って告白したんだ。その勇気ぐらいは称えてくれ」
「そうだね。牧本は頑張った」
能登の言葉を牧本は仏頂面で迎えたが、能登は本気でそう思っていた。
なぜなら、能登は望月に告白すらできなかったのだから。少し有利だと思っただけの牧本に対して、どうして自分が怒れるだろう。牧本は告白して振られた。経緯はどうであれ、能登はそれだけで牧本のことを素晴らしいと感じ、また、その行動力を羨ましく思う。
「牧本が謝るぐらいだから、もっと大犯罪かと思ったよ。財布を盗んだとか、食い逃げをしたとか」
「それだと、俺が悪い人間みたいじゃねぇか」
「違うか?」
能登と牧本は2人して笑う。
牧本の顔がほぐれ、先日の銀行前で見せた笑顔に戻っていた。
能登はふと思いついたことを聞いてみる。質問に時効があるのであれば、この質問はその対称だろう。
「牧本なら、ほっといても彼女ができるでしょ。どうして望月を選んだの?」
それは純粋に好奇心から出た質問だった。望月は確かに美人だったが、我の強い者同士の望月と牧本では相性が悪い気がする。
「望月は能登のことが好きだった。だから惚れた」
「はぁ?」
望月が能登のことを好きだった、という言葉は〝友達として〟という1文を挟めば理解できる。しかし、そのために牧本が望月に惚れた、という言葉は理解できない。
「どういうこと?」
能登は牧本に説明を促した。牧本は満足げに頷くと、話を続けた。
「人を好きになるってことは、素晴らしいことだと思わないか? 文明がいくら進歩しようとも、人は結局、人を愛することで子孫を残すんだ。人を愛するってことは、生存本能の一部なんだよ」
「ちょい待ち」
急に話が壮大すぎるだろ。
それに「クローン技術が発達すれば、人は愛さなくても子孫を残すことができる」
「そんな技術はゴミだ」
言い捨てる牧本が素直で面白かった。
「さすがは愛の伝道師。深い言葉ですね」
「茶化すな。いいか? 俺は自分から愛するんじゃなくて、相手から愛して欲しいんだ。愛されるより愛したいなんて嘘だよ。愛って奴は、愛している側が圧倒的に不利なんだ」
「愛は有利とか不利じゃない」
「驚いたな。能登が愛を語るとは」
「牧本が間違ってるだけ」
「ま、有利不利の話は置いといてだ」
牧本は能登の指摘を、嬉しそうに受け流す。
「話を望月に戻すぞ。俺が言いたいのは、能登のことを考えていた望月が、最高に素敵だったってことだ。悩んでいる望月は、俺が今まで見てきた、どんな女性よりも美しかった」
「なるほど」
全てを話した牧本は、喉のつかえが取れたようだ。
牧本との会話は弾み、グラスのマティーニは空になった。マティーニは甘い舌触りで飲みやすい。牧本は別のカクテルを勧めたが、能登はもう一度マティーニを頼む。カクテル自体を初めて飲んだ能登は、マティーニが美味いのか、バーテンダーが良いのか判断ができない。
店内で流れている曲は奇跡のカンパニラに移っている。先ほどから流れている曲はクラシックの括りではなく、フジコ・ヘミング演奏の括りだった。
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