第6話 白いスーツの男
能登は自転車を走らせ銀行へと向かう。
大した趣味もない能登は、生活費に消える給料を細々と引き出す生活を続けていた。そんな生活も経済的であるとうそぶいていた能登だったが、最近になってようやく給料の使い方に思い当たった。それは自室の家具を買い揃えることだ。能登の細々とした生活は、1か月に1度ほどのペースで新しい家具を購入し、学生時代から愛用していた私物を捨てる生活へと変化した。来週末にはソファを購入しようと計画している。
能登は自転車を銀行の駐車場に止めると、隣に停めてある赤いポルシェを見て鼻で笑った。なんて燃費の悪い車だ。我が愛車なら、何十キロも燃料なしで走れる。
能登は自転車に鍵をかけ、ATMへ向かう。
「お前、ちょっと待てよ」
自動ドアを抜けようとした矢先で声をかけられた。
周りに自分以外の姿がないことを確認し、能登は小さく溜息をついた。もしかすると、ポルシェの持ち主が能登のことを見ていて、文句の1つでも付けに来たのかも知れない。
「お前、能登だろ?」
男が能登の名前を呼ぶのと、能登が振り返るのは同時だった。
能登の前には白いスーツの男が立っている。男はほっそりとした体形で脚が長く、顔つきも凛々しい。この外見ならば異性からもてるだろうが、問題は白いスーツだ。銀座のホストならば見栄えもするだろう。しかし、昼間の銀行に白いスーツ姿で現れた男は、お笑い芸人のようにしか見えない。勧誘か詐欺かも知れない。どうせ絡まれるならば美女が良かった。
「おお、久しぶり」
私と男は知り合いのようなので、とりあえず無難な言葉を返してみた。勧誘か詐欺であったのなら、名前まで覚えている可能性は低いと考えたからだ。
男は能登の言葉に満足したようで、懐かしさに顔をほころばして見せる。
「いやー、まさか能登に会うとは思ってもみなかった。お前、この前の同窓会にも出なかっただろ? みんなも寂しがってたぜ」
男は親しい態度で接してくるが、能登には話が見えなかった。
話の内容から察するに、男の言う〝みんな〟がクラスメイトを示しており、私は〝男とクラスメイトだった〟ということなのだろう。しかし、もしそれが本当のことだとしても、他のクラスメイトが寂しがっていたというのは嘘に違いない。能登は心の中で感謝する。
「お前さ、来週の土曜は来るんだろ?」
「土曜? 何に?」
「何って、同窓会だよ」
男は何を今更と嘆く。
「来週の土曜日に同窓会があるの、お前も知ってるだろ。俺さ、今は東京の方で仕事してるんだけど、丁度まとまった休みが取れたから帰ってきたんだ」
「同窓会が来週の土曜ってことは……」
今日はまだ土曜日だ。
能登の疑問に、男は嬉しそうに答える。
「1ヶ月まるまる休みを貰ったんだ。どうせだから里帰りも兼ねて、同窓会にも行こうと思ってね。あれだよ、ゴールデンウィークの振替休日」
ゴールデンウィークの振替休日が1ヶ月もあるなど聞いたことがない。能登が疑問を挟む間も無く、男は喋り続けた。
「俺たちの仕事は休み時こそ稼ぎ時なんでね。うちの業界は休日中にせっせと働いて、年明け前までには振替休日を貰うシステムになってるんだ。ああ、そうか。能登にはまだ、俺の仕事を話してないよな」
男は手なれた様子で内ポケットに手を入れると、名刺を取り出して能登に渡した。
「 ホストクラブ ~ knight baron ~
牧本拓哉 」
普通の会社と同じように、名刺には会社名と電話番号、氏名が書かれている。
「癒し系ホストの牧本拓哉です。どうぞよろしく」
牧本は営業用の笑みを浮かべ、気取った声色でそう言うと、スマートにお辞儀をして見せた。流石にプロだけのことはある。雰囲気が先ほどまでとはがらりと違う。
「牧本って、本名?」
「ホストでも本名が気に入っている奴は、そのまま本名を使うんだ。ま、本名を使う奴の方が圧倒的に少ないけどな」
照れるような顔を見せる牧本に対し、能登は純粋に驚いていた。
まさか、この男が牧本だとは思わなかった。能登はあまり顔が広くないこともあって、牧本が中学時代に最も親しい男友達だった。牧本は明るい性格の持ち主だったが、上京してさらに磨きがかかったらしい。
牧本は能登の顔を一瞥しただけで話しかけてくれたというのに、能登は牧本の名前すら思い出せなかった。能登は心の中で詫びる。
「積もる話もあるし、同窓会で話そうぜ」
牧本の言葉に頷きそうになるが、能登は同窓会に行く気にはなれなかった。
「遠慮しとく。来週の土曜は仕事もあるし」
「それじゃ、しょうがねぇな」
牧本はさも残念そうに言い、腕時計を確認する。
「悪いな。今からちょっと用事があるから、また時間がある時に会おう」
牧本が手を上げたので、能登も同じように手を上げて応える。
牧本はポルシェに乗り込むと、あっという間に駐車場を後にした。
能登は牧本の愛車と自分の愛車を見比べて溜息をつくが、新車を買おうとは思わなかった。能登は今の愛車を気にいっている。チェーン式の鍵を新調するか、油でもうってやろう。
能登は本来の目的を思い出して、ATMへと向かった。
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