第10話 昭和最後の夜のラブホテル
平田と昭島和子は何件ものホテルを回ったが、どこも満室だった。
「お待ちになりますか?」
髪を無造作にひとつに束ねた化粧っ気のない受付のおばさんは、忙しさのあまりつっけんどんな口調になっている。
言い方は悪いが客は入れ食い状態だから、丁寧な接客など忙しさの前には優先順位が下がる。
「待ちますか……」
ラブホやシティホテルが一杯だから言って、ビジネスホテルに河岸を替える事は出来ない。隣の部屋との仕切りも薄いし、音が漏れやすいから選択肢から外れるのだ。
とはいえ、カーテンひとつでロビーから区切られた待合室で、他のカップルとパイプ椅子で無言で待つ、重苦しい時間を過ごしたくはない。
自分はいいが昭島さんに不愉快な時間を過ごさせてしまう。
振り返るまでもなく、昭島さんは疲れた不安そうな顔をしているに違いない。
平田はホテルの玄関を出て、二天門方面に戻った。
浅草寺の外周の道に沿って住宅街に入ると、さっきまで追いかけっこをして戯れていた浅草神社の路地を挟んだすぐ裏に、四階建てのホテルがあるのを見つけた。
近くの酒屋や米屋の商用車も留まった駐車場の奥に、周りの住宅やマンションに溶け込むような、地味な緑がかったタイル張りの外壁、小さな看板と値段表。そして「空室」の札。
二人は迷わずそこに入った。
「101ならすぐご案内できますけれど」
さっきのホテルよりは余程愛想の良い受付男性従業員が、顔の見えないカウンター越しに答えた。
101というのは壁の矢印を見るに、この受付兼準備室のすぐ後ろ。
従業員控室の近くだし、どうしても狭く、特にバスルームが二人では入れない、単身用のユニットバスだという。
それじゃあなあ……
「その分お安くなってはいますが……」
「私そこでもいいけど」
「あ、お客様。10分ほどお待ちいただければ、4階のお部屋が空き次第ご用意できます」
受付の後ろで電話をとった従業員が助け舟を出した。
昭島さんと同年代の年配の女性の声だ。
彼女は身体をビクンと固くして、平田の手をキュッと握った。
「それじゃそのお部屋でお願いします」
平田は励ますように昭島さんの細い体を抱きよせながら、先に会計を済ませた。
自分も緊張している時は、誰かを抱きしめているのが一番落ち着くのだ。
「もしよかったらお呼びするまで101でお待ちいただいてもよろしいですよ。その方がお寛ぎできますでしょう」
商売熱心な受付のおかげで、平田と昭島和子は部屋にありつくことが出来た。
「すみません、色々手際が悪くて不愉快な思いをさせてしまって。お疲れでしょう」
上り専用のエレベーターの中で、平田も若干疲れの滲んだ営業トークになる。
そんなことないわ、と昭島さんが答えた。
その声がかぼそかったので平田は言葉を重ねた。黙っていると不安なのだ。
「こわいですか?」
「こわくなんか」
彼女はエレベーターの制御盤を睨みつけていたが、ふと力を抜いて平田を見詰めた。
「……ないわよ」
ああ、少し怖いんだと彼は言葉の外を汲み取った。
4階の402号室。
あまりいい数字ではない。一般のシティホテルでは使われない部屋番号だ。
「ごめんなさい、ルームナンバー……」
謝る平田の唇を、今度は背伸びした昭島さんの唇がふさいだ。
1月7日の夜。
ドアを閉めた途端、昭島さんはここで抱いてとせがんだ。
平田は慌てた。
女を知らないわけではないし、過去の彼女とラブホに来たことは何度もある。
それこそドアの外に人の気配を感じながら求め合うこともあった。
だがこの時平田はためらった。64歳の老女をドアの脇で抱く、という事の加減を想像できなかったのだ。
できるだけそっと、あちこち傷めないように優しくしなければならないと、自分に言い聞かせながら触れようとしたが、昭島さんは違ったようだ。
細い手が伸び、平田の黒ネクタイを緩めた。
カードキーをドアの脇のキャッチャーに差し込まないと部屋の主電源は入らない。
入れようとする平田のカードを持った手を、昭島さんが止めた。
二人は腕と胸板と唇で繋がったまま、真っ暗な中でお互いをまさぐっていた。
闇の底で、昭島さんがハイヒールを脱ぎとばす音が聞こえた。
二人は服を脱がなかった。このままでと昭島さんは言ったし、平田も同じ気持ちだ。
コートだけ脱いで、彼女の下着とストッキングを下ろした形で抱き合った。
昭島さんも、平田のスーツのベルトをカチャカチャとはずし、トランクスごとスラックスを下ろした。
今までの穏やかで上品な様子からは想像もできない、随分と荒っぽい手つきだ。
ここでして、と言われても年とった女の湿り気は若い女のそれに比べると随分と少ない。ローションが必須だということくらいは、耳にしたことがある。
だがゆっくりと指で押し広げて触ってみると、自分を受け入れるのに十分なくらいの潤いが、指に絡んできた。
平田は脱いだコートを彼女とドアの間に当て、少しでも背中が痛くないようにしてから、ゆっくりと自分を彼女の中に埋めていった。
昭島和子のセックスは想像したよりずっと情熱的だった。
電源を入れない冷たいままの部屋だったが、平田が我慢しきれず果てるまで少しも寒さを感じなかったし、昭島さんのはだけた喪服の胸元や、たくしあげたスカートの尻から腰、背中にかけてはうっすらと汗ばんでさえいた。
若い娘の様な吸い付くようなきめ細かな肌、というわけにはいかないが、細かく皺の寄った乾いた肌には年齢相応の柔らかさがあった。
長い絶頂を迎えようとした頃、外の街のどこかでクラッカーがパンとなった。
寒々しい響きは北風に吹かれてすぐ散ってしまったが、余韻の荒い息を交わす二人には、それが昭和から「平成」という時代に変った合図だとわかった。
「何かしら、あの音……」
突きあげられながら潤んだ眼で自分を見上げる昭島さんに、平田は喘ぎながら何か気の利いた返事をしようとした。
だが隣の部屋の叫び声が一際大きく響き(どうもSМの下僕と主のプレイらしい) 二人は一瞬唖然とした後、顔を見合わせて吹き出した。
そしてまた固く抱き合った。
「一緒にシャワー浴びませんか?」
長い湯船に熱めの湯をはりながら、平田はベッドルームに声をかけた。
「いいわよ。私は待っているからあなた先にお入りなさい」
昭島さんが浴衣を羽織って、二人の脱ぎ散らかした服をきちんとハンガーにかけてくれている音がする。
もう部屋の電源を入れ、同時にエアコンの暖房スイッチも入った。
「いやあ、冷えるといけませんから昭島さん先に入ってください。俺はニュース見て、今後の仕事について上司と電話します」
女性に冷えは大敵だ。
とはいえ今の台詞は我ながら無粋すぎると平田は落ち込んだ。
交代で風呂に入り、浴衣を着てベッドに入ると平田は照明を落とした。
お互いの顔がやっと見えるくらいの、ぼうっとした薄暗い橙色の灯りが二人を照らした。
平田は昭島さんの浴衣の帯をとり、ゆっくりと脱がし始めたが、彼女は恥ずかしがって布団にもぐりこもうとする。
「年寄りだから……」
「全然そうは思いません」
あれだけ動物的に自分を求めて来たのに。そう思いながらくるりと背を向けた昭島和子の体を見ると、背中の上部から真ん中にかけて30センチくらいの大きな火傷の跡があった。
空襲で負ったのだろうか。女性にとってこれだけ大きな跡が残ったというのは残酷な事だ。
平田は後ろから彼女を抱きしめ、手で導かれるままに柔かい乳房をまさぐった。
初回よりは緩やかな動きの最中、昭島和子はかすれた声で囁いた。
「花火が見たい……隅田川の……」
耳元を筆でなぞるような͡蟲惑的な息の流れに、平田はぞくぞくとして、我慢しきれず彼女の乾いた全身にふるいついた。
「行こう。今年ならきっと自粛もない、賑やかな祭りになってるよ……」
25歳の平田は、64歳の昭島和子に恋をした。
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