第3話 バブルの残滓の冬・2

 同僚二人と座敷席に通されたが、座ることが出来たのは幸運だった。

 ソース焼きそばと名物のシュウマイ焼き、つまみのキュウリに生ビールを姐さんに注文する頃にはとっくに満席、それでも次から次へ、引きも切らずに来る客が表に出した丸椅子に座って待ち、寒さに耐えかねて帰っていくという状況になったからだ。

 ここは文人や芸人、地元の人で賑わう古い民家の、知る人ぞ知るお好み焼き屋だった。

 だが昨今のグルメブームとやらで、ガイドブックやタウン誌に盛んと取り上げられた結果、今や銀座や新橋のイタリアンレストランと変わらない盛況ぶりを見せている。

 隣町の蔵前にオフィスを構える老舗玩具メーカーの社員・平田達も、簡単には入れなくなってしまった。


 平成の世に入りバブルが弾けはしたが、街はまだ活況を呈し、自分達のような下々の庶民に好景気という実感が続いている。

 だが浅草六区は地上げが横行し、人の入りが悪くなった古い映画館は次々と解体され、更地になっている。


「庄司くんの担当のフィギュアはどうよ」


 同僚の1人、竹川がおしぼりで顔を拭きながら、話しを始める。新しい男子向けアニメ番組の、キャンペーン商品についてだ。


「あれねえ、プレミアムでつけたおまけの出来が、どうも良くないんだわ。国外の工場生産分だけど、国内の工場に再度緊急発注掛けるかもしれない」

「うわあ、大変だ……で、手配は?」

「今かけあってる最中なんだけど、お願いする工場の予定もみっちりなところ、部長と一緒にを頭下げまくってる。入れてくれるのはありがたいけど、割増料金が痛いよ……」


 浮かない顔でも生ビールのジョッキをチンと合わせれば、何とか気分はリセットされる。

 同期の庄司は売れ線の巨大ロボット物の玩具担当で、とあるメーカーのイメージキャラクターに担当のロボが選ばれたのを契機に、メーカーキャンペーン用に海外の工場に大量に発注した。

 だが上がって来たデフォルメマスコットは顔の絵付けが下手だったり、手足の接続が雑ですぐに外れてしまったりと明らかな不良品が大量に混じっており、クライアントの担当者もかんかんに怒ってしまった。

 庄司と上司で頭を下げまくり、なんとか国内の工場の生産ラインに緊急で組み込んでもらった結果、納期にはギリギリ間に合いそうだが、多額の予算超過を出してしまう。

 明日は俺も埼玉の工業団地に行かなくちゃならんのよ、とぼやく庄司も、熱い鉄板の上で焦げる焼きそばの、ソースとお好み焼きの青海苔の香りに頬を緩めた。


「何とかなるって。早めに気付いてよかったじゃん」

「いやー、でもやられたよな。現地から送られてきた先発の個体はいい出来だったから、油断したよ」

「先方はなんて?」

「御値引きするのは避けられないと思う……」

「そうか……飲め。明日は我が身だ」

「全く。入社した時は、こんなに多角的な展開する会社とは思わなかったよな」


 もう一人の同僚、竹川も名物麺入り焼きをぱくつきながらぼやく。だがその口調は楽しげだ。

 彼の部署は最近、老舗のゲーム会社二社を吸収合併し、ソフトの開発と新たな展開に躍起になっている。

 合併した二社の負債も同時に抱えたので今はアップアップだが、いずれ黒字に転じるだろう。


「上の人たちは、狭いマンションやアパート住まいの家庭が増えた今からは、かさばる合体ロボ玩具よりゲームの時代だって言うからな」


竹川の勝ち組発言に、庄司がむっとして返す。


「でも競争相手が多いから大変だな、そっちは」

「平田のとこはどうよ」

「俺……?」


 平田はチーズ餅もんじゃの土手をつつく手を止めた。


「俺は……女の子用の服とかスキンケア商品とか、光るワッペンのパジャマとか……」

「あそうか、お前アパレル事業部に行かされたのか」

「でも良いじゃん。楽しそうな分野で」


 平田、庄司、竹川たちの勤める会社は100年続く老舗の玩具メーカーだ。元はひな人形や武者人形を作っていたのだが、戦後女児向けの抱き人形の爆発的なヒットを受けて、男の子用のプラモや玩具が評判になり、今はアニメや漫画のおもちゃ、人形、ロボットや武器のトップシェアを誇る。

 三代目を継いだ若い社長は少子化を見据え、今までの玩具一辺倒から生活周りのグッズも広く新規開拓するようになった。

 銀行や信用金庫は実績と計画さえあれば幾らでも融資してくれたので、会社はアニメのキャラクターの衣装デザインを取り入れた女児服や、大人の一般ユーザー志向の服などのブランドを立ち上げた。

 菓子にドリンク、文具に塗り絵などに加えて大人の女性向けのアクセサリーやバッグ、靴。

 中国の大きな工場と契約し、更に国内のノウハウを持つ製造業者を何社も抱え込み、新社長は意気込んでいた。

 平田はそのアパレル部門に出向していた。


 店は満員で、頼んだビールやサワーも遅れがちになった。

 急に有名になったせいで観光客や一見の客が増え、焼き方を知らない客のために、従業員がいちいち焼いてみせなければならなくなったのだ。おかげで慢性的な人手不足だ。

 奥から粋に普段着物を着こなした老女が、白いたすきをかけてビールを運んできた。


「儲かってますね。大変です」

「いえいえ。ご迷惑おかけしてます。店員がたくさん必要なんで、人件費で消えていくんですよ。だからこの建物もいつまでも建て替えられないの。入ってくるお金、全部ばーっと無くなっちゃって」


 ピンクの頬紅をはいた顔を平田達に向け、女将の老女は艶やかに笑った。

 もう70に手が届きそうだというのに、ざっくりと衣文を抜いた着物の襟から露わに見える白い頸筋も、きりりと短い着物の袖からむき出しになった腕や手も張りがあって若々しく、女盛りの年増と言って差し支えない温もりを放っている。

 おばあさんの色気など平田は理解不能だったが、この女将の艶にはハッとした。


「平田、土手、土手! もんじゃが決壊してる」


 同僚たちに大声でどやされ、彼は自分のもんじゃの土手がグスグスに壊れ、中身が鉄板一面に流出しているのに気づいた。


「なに女将さんに見とれてるんだよ。ちゃんと仕事しろ」

「すまんすまん。会社と同じこと言われちまってるな、俺」


 あわてて修復しようとする平田の手から小手をとり、女将がさささっと美味しそうなもんじゃを焼き上げた。


「ようございますのよ。元々は子供の食べ物ですから堅苦しい事は言いっこなし。楽しく召し上がっていただければ幸せなんです」


 そして、ぎしぎしいう畳のへリに手を突き、ぺこりと頭を下げた。


「何にもない長屋の隅の、下町の粉もん屋だという事を、私らは忘れないでいたいのです。そちら様も」


 そして女将は台所の奥に消えた。


「下町の店だという事を忘れずに……」

「俺たちにも、隅田川べりのおもちゃ屋だという事を忘れるなってか? やだね。弊社は変っていくんだ」


 庄司は運ばれてきたサワーをぐっとあおると息まいた。


「なあ平田」


 平田は黙ってもんじゃをつつきまわしていた。

 女将の顔にどうも見覚えがあるような気がする。だが思い出せないのだ。


「そりゃ当然だろう。女将さんはこの辺の名物みたいなものだ。見覚えがあるのも当たり前。お祭りの時にでも見かけたんだろう」


 そうではない。もっと深く親密なところで……お互いの魂がふれるようなところで会っていた気がするのだ。

 言っても笑われるだけなので、彼は黙っていた。


 地方の出向先に朝早く発たなければならないので、平田はその日、東武電鉄の浅草駅近くのビジネスホテルに泊まることにした。

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