第32話

「健やかなると気も病めるときも互いを愛し、慈しむことを誓いますか」

 たしかこんな台詞だった気がする。千春と亮の結婚式で誓ったのは。

 亮はいささか緊張した面持ちで牧師の言葉に従った。

 それがかなり昔のことに感じるのだから時の流れは早い。

 大学院在学中に挙式を挙げた千春はそのまま順調に資格をとりスクールカウンセラーになることができた。生活が不規則なので心配だが本人は子供達の為になりたいと親身になって相談に乗っているようだ。中には千春目当てで来ている生徒もいるが彼女は上手くあしらっているらしい。

「千春はまだか……」

 亮は自分の薬指にはめた結婚指輪に目をやる。婚約指輪はプロポーズのあとに贈るといういささか強引な手法に出たのを反省し、結婚指輪は二人で買ったのだ。

 千春の両親には改めて挨拶にいったがあっさりと許可が出た。というよりもうそろそろだろうと彼らも考えていたのだろう。千春の母からは結局色々と世話になった。

 亮の父と連絡をとったところ相手は入院しており結婚式には出席できそうになかったので親族の席には唯一の身内である兄の彰を呼ぶことにした。かつての恋人同士が参加するのはいささか不安だったがもう二人とも吹っ切れているのか全然気にした風はなかった。

 そして親族代表として挨拶をしたところで亮の職場の上司が取り仕切って式を進めてくれた。こういうイレギュラーにもなれているのだろう。つつがなく式は進んだ。

 そして結婚指輪をはめて彼女に口づけた瞬間周囲からは歓声があがる。

「亮、おめでとう」

「清水くん、お幸せにっ」

 千春の方からも大学時代の友人や長いつきあいのある飯田が茶々を入れる。

「千春、おめでとうっ」

 そして女性の方はお色直しや色々で慌ただしく式は終わった。


「結婚式楽しかったな。久しぶりにみんなの顔見たくなったな」

 病院の待合室で椅子に腰掛け呼び出されるのを待つ。

 その理由は以前のように自分の不調にあるわけではなく。

「清水さん、お入りください」

 今では千春の夫であるという自覚も生まれゆっくりと歩を進める。

「おめでとうございます。妊娠四週目です」

「……ありがとうございます」

 何の因果か以前やってきた同じ病院で新たな命が宿っていることを知る。

 二人の間に子供ができたことに嬉しさと同時に責任感のようなものが生まれる。

「まだ妊娠初期なので色々と不安になることもあると思いますが気軽に相談してくださいね」

 彼女を一人にしたくなくて一緒に休みをとって病院にやってきた。

 優しい旦那さんですねと言われたがこればかりは譲れなかった。

 当初具合の悪そうな彼女になにか病気があるのではないかと心配で付き添ったが思いがけない偶然で知ることができた。そのことを幸せに思っている自分がいる。

「亮、泣きそうになってる」

「……そうだよ。なんか嬉しくてさ」

 自分が親になるなんて生まれてこの方想像なんてできなかった。いつかはなるのだろうと漠然と思い描いていた将来があったがあくまでそれは想像のこと。本当に自分がと思うと涙が止まらなかった。

「俺、さんざん回り道をしたけどこうして君のそばにいることができて本当に嬉しいんだ」

「私もだよ」

 千春は優しく微笑み返す。その姿がどこか大人っぽくどきりとする。お互いいい年なのに。

「これからどうしようか。つわりがあるから臭いとかダメなものもあるんだよな」

 少ない知識で慌てる亮に医師は丁寧に説明する。

「妊娠二ヶ月にかけて赤ちゃんの姿が見えるようになります」

「赤ちゃんか、もうちょっと俺も勉強しないといけないな」

「勉強も大事ですが奥さまとのことも大切にしてくださいね」

 そういうと医師と千春は顔を見合わせて笑う。

「先生、もっと言ってあげてください。私のことなんかこの人忘れちゃうんだから」

「ううすまん。仕事が忙しくて」

 忙しい日々もあるが彼女のことを忘れたことなんてない。ただ少し彼女の厚意に甘えていたこともあるのは事実だった。

「これからは俺も頑張らないとな」

「そこはちょっと張り切りすぎ」

 鋭い指摘をされるとぐうの音も出ない。

「これから二人で……じゃなくて三人の家族になるんだからな。俺も千春も無理だけは禁物だな」

「信用ならない人がいるけどね」

 ちょっとチクリととげのある台詞で返す千春だったが彼女も少し楽しげだ。

 「赤ちゃんか。男の子か女の子かどっちだろうな」

「それがわかるのはもう少し先だよ」

 相変わらず先急ぐ性格は変わらないねと笑われる。

「でも名前とか決めるときわからないと」

「やっぱり先生、旦那には厳しく言ってやってください」

 医師は柔らかい笑みを浮かべ焦らないでくださいねと窘められる。

「この人私のことおいて先走ること、よくあるから」

「それは見ていてなんとなくわかります」

 でしょうと笑う千春に亮はもにょもにょと口を動かす。確かにそうなのだが指摘されると少し居心地が悪い。かつては彼女のことを思って行動に出ていたのだと思っていたがよくよく考えると自分一人が先急いでいただけなのだと実感した。でも認めてしまうとこのまま尻に敷かれるのではないかと思わないでもない。

「奥さん強い人ですね」

「そうですか? でもけっこう泣き虫なんですよ」

「こらあ」

 声音は怒っているが表情は柔らかい。嬉しいこと、つらいこと色々とあったがよく泣く人だと思っている。そこがいじらしくかわいいのだが。

「かわいい人でしょ」

「早速のろけましたね」

 医師の方も慣れてきたのか愉快そうに話す。

「では定期的に検診に来てくださいね」

 そうして病院をあとにする。そうしようと思ったところ。

「愛川さん、お久しぶり」

「あ、先生。今は清水なんです」

 彼女の元担当医が声をかけてきた。どうやら昼休みの時間らしい。

「そうか結婚したんだ彼と」

「はい。先生その節はお世話になりました」

 なんだか急に大人っぽくなって驚いたそうだ。彼にしてみれば千春はまだ若いころからの付き合いだから月日の流れを実感したところだろう。

「それで彼が大切な人なんだね? 」

「はい」

 はにかみながら千春は答える。まだ少女の面影を残していたころから成長し、今では立派な女性で亮の奥さんだ。

「上手く行ってるんだね。本当によかった」

 彼は一人納得したような顔をすると歩きだす。お互い言葉少なだが久しぶりの邂逅に感じ入るものがあったのだろう。

「先生と会うと私が記憶を失った時のこと思い出すね」

 千春はふふっと笑いながら亮の手を握る。薬指にはキラリと光る結婚指輪をして。

「あの日からこうして今に繋がっているんだと思うと全部無駄なことはなかったんだね」

「俺たちずいぶんと遠回りしたような気もしたけど」

 もうそれは言わない約束と彼女は微笑む。そのことに幸せを感じながら。

「これからは二人じゃなくて三人で過ごすことになるね」

 お腹にそっと触れてゆっくりと歩く。

「ああ楽しみだなあ。早く赤ちゃんに会いたいなあ」

「名前どうする? 」

「ちょっと気が早いんじゃなかったのか」

 お互い顔を見合わせ笑いあう。

「亮の先急ぐところ、似たら苦労するだろうな」

「その時は俺たちがフォローできるじゃないか」

「早速お父さんの顔だね」

 不意に頬を撫でられる。それがくすぐったくて暖かな気持ちになる。

 新しく宿った命に対しての喜びが胸のそこからあふれてくる。

「そうと決まったら準備しないとな」

 やっぱり急ぐところは変えられない。でもそうやって自分の欠点も指摘しつつ付き合ってくれる人がいることにありがたみを感じつつ。

「千春、俺と結婚してくれてありがとう」

「ふふっ。こちらこそだよ」

 そうして二人は歩きだす。未来に向かって。


***


「パパー、早く早くー」

 幼い子供が公園で母親と手を繋いでいる。その後ろから慌てて追いかける姿がどこかおかしくて二人はけたけたと笑っている。

「待ってろ」

 買い物帰りなのか荷物を抱えて走り出す姿に心配しつつもなんだかんだで器用ななのか不器用なのかわからない父親は二人の元にたどり着く。

「パパ、肩車してー」

「この体勢でか? 」

 少し困ったような顔で我が子を見つめると仕方ないな、と荷物を地べたにおく。

「ほら高いだろう」

 まだ幼い子供には高い景色が物珍しいのかきゃっきゃとはしゃぐ。

「いいなあ。ママもしたい」

「それは無理じゃないか? 」

 冷静に突っ込むと母親は少しすねてしまったようだ。でもそんなところも可愛らしい。

「もうパパは昔からそういうところあるよね」

「ママもな」

 そして二人で笑いあう。

「ママ、パパー早くー」

 二人で会話する時間もなかなかとれないがこうして一緒に過ごすことができるのはありがたい。

「わかった。今からかけっこな」

「えーやだー」

 珍しく誘いを断る我が子にがっくり来ながら父親は楽しそうに笑う。

「こういう時間もやっぱりいいよな」

「たまにだからよ」

 相変わらず膨れっ面をわざと作っているのでご機嫌とりに頬に口づける。

「ちょっと人前で……」

 照れてはいるもののどこか嬉しそうな女性。

「ありがとう千春」

「感謝の分いいお肉買ってほしいなあ」

 からかい半分に母親はそういう。

 どこにでもある風景。だけど二人にとっては何にも変えがたいものだった。

 これからはどこまでも二人で。

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今宵君にグラスを捧げて 野暮天 @yaboten

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