第29話

「ねえ千春、どうして私のこと名字で呼んでるの」

「だって、なんか改めて呼び方変えるのもなあって思ったから」

 出前の寿司を愛川家にごちそうになっているところだった。飯田は楽しそうに千春と話をしている。

「ええ。ちょっとよそよそしくない? 」

「じゃあ、瑞穂でいい? 」

 そっちのほうがいいと飯田はにっこりと笑う。

「あのとき私のこと忘れてたからてっきり忘れられたままだと思ってた」

「もう瑞穂のことを簡単に忘れたりなんかしないって」

 普段は亮を振り回す側の千春が一本とられている姿は見ていてほほえましい。

「ねえ亮、なににやにやしてるの」

「悪い、見なかったことにしてくれ」

 兄の彰と家族水入らずと隣にされたがお互い話すことがないので自然と周囲の会話に耳を傾けることになる。

「相変わらずかしましいな、と思ってさ」

「ひゅう。熱々だね」

 飯田は茶々をいれるのが楽しいらしく話が行ったり来たりしている。

「こら食事中に騒がない」

 さすがに愛川家の家族がいるのでこちらとしてもあまり羽目をはずす訳にもいかない。

「お前も声が大きいぞ」

 ボソッと兄の彰がそう呟く。普段は態度が大きいのにどうしてか今日はおとなしい。それが気になってはいたが直接聞いても素直な答えは得られないとわかっていたのでうなずいておく。

「さすがに六人にもなると賑やかね」

「たまにはいいだろう」

 愛川家の両親も普段なら苦い顔をするはずだったが肩の荷がおりたのだろう。今までの気の強そうな表情とは一転して柔らかい顔つきだった。

「こちらこそごちそうにまでなってしまって……。ありがたいやら申し訳ないやら」

「お前のそういうところ嫌みだよな」

 今度はため息混じりにそういわれる。普段なら空気が悪くなるはずだったがわだかまりがなくなりつつある現在亮にとっては他に気になることがあった。

「そういえばさ、もう吹っ切れたの? 」

「それを今聞くか」

 暗に千春のことを諦めたのかと聞くとあきれたようにそう呟かれた。

 別に牽制するつもりはなかったがそうとられてもおかしくない。

「清水くんって意外と男らしいね。私驚いたな」

「もう瑞穂もはっきり言わない」

 素直な感想を飯田がいったのを千春が遮る。

「だって愛されてるな、って思わない? 」

「それは……」

 すっかり恋愛話のスイッチが入った飯田の話に頬を赤らめつつうなずく千春だった。

「ほらあそういうところっ。私が言いたかったのはそれっ」

 妙に熱弁を振るう飯田に千春はただ困ったようにわたわたしていた。

「もう瑞穂から飯田さんに降格するよ? 」

「降格なのか……? 」

 思わずそう声が漏れてしまった。

「清水くんいいこと言ってくれました」

 千春がなにも言わないことをいいことに飯田はこちらに話を振ってくる。

「私が言いたかったのはね。清水くんいい人だから手放したらダメだよってこと」

「それはないよ」

 亮が断言すると再び千春の顔が赤くなる。

「俺の方こそ千春のこと好きだから」

「そうやってストレートに言えるのが羨ましいわあ」

 どうしておばちゃん口調で飯田はポッと顔を赤らめる。

「本当に見ているこっちが恥ずかしくなってきちゃった」

 そして豪快に寿司をモグモグ食べ始める。

「食べるかしゃべるかどっちかにしな、瑞穂」

「うんうん」

 注意されて静かに咀嚼する姿はまるでハムスターのようで面白い。

 そうして飯田のペースになっていたが彼女は食事を終えるとそそくさと帰っていった。

 一応気を使ってくれたらしい。

「しかし飯田さんがいなくなると急に静かになりましたね」

「彼女が来てくれてよかったわ。でも気を使わせ過ぎちゃったわね」

 千春の母はそう呟くとお茶を出してくれる。品のよい香りがして気分が和らぐ。

「もうお母さんもすぐに飯田さんに頼るのやめて」

 すねたような口ぶりの千春も見ていて愛くるしい。

「そうね。私もずっと人任せにしてきたこともあるからこれからはもっと自立して生きないと」

 それは自分自身に言い聞かせているような言葉でもあった。自戒の念を込めているのだろう。

 こほんと誰かの咳払いが聞こえる。

「それで私が聞きたかったのは君たちの今後だ」

 千春の父は険しい顔つきでそう尋ねてくる。

「僕は結婚を前提に千春さんとお付き合いさせていただきたいと思っています」

「その覚悟はあるのかい」

 まだ未熟で辛うじておとなと呼べる年齢の亮には厳しい言葉だった。

 果たして彼女の家族に認められるかは今後の身の振り方にかかっている。そして言葉だけではなく行動で示さなければと感じた。

「こちらで正社員の仕事を探しています」

「予定、だけで終わらないといいと思っている」

 つまり向こうのアパートを引き払って地元に戻ってくることが条件のようだった。

「君はまだ若い。だから将来のことをあまり考えなくてもいいと思っていた節があると思ってな」

 それは事実だった。ただすべてが嫌になって実家を出てフリーターをやっていたのだからそう思われてもしかたない。

「だが君のことだから真面目にやってくれると信じている」

「はい。ありがとうございます」

 これまでのことから信じてくれたのだと思いその言葉が胸に響いた。

「困ったときは俺を頼れ」

 そして思いもかけないところからも手を差しのべられる。

「俺はあんたたちにしてきたことはいくらやっても償いきれないことだと思っている。だけどな、俺だって人の子だ。たまには人助けくらいするさ」

 兄の彰は相変わらず不機嫌そうな口ぶりだったがその言葉には嘘はないはずだ。

 どこか照れ臭いのは兄弟だからなのか。

「うん。ありがとうな」

「なんかお前ってちょっと上からだよな」

「それはお互いさまだろう」

 そういうと改めて千春の父に頭を下げる。

「本日はありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」

「こちらこそ。君がいてくれてよかった」

 ありがとうと千春の両親から言われるとほっとした。

 自分という存在が認められたようなそんな気がした。

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