第28話
客人は帰った。そのあとに残されたのは清水家の兄弟と愛川家であった。
「しかしあんたが土下座までするとは思わなかった」
「……俺もあのときまで覚悟はできていなかった」
兄弟が久しぶりに顔を付き合わせて会話していると千春は驚いた様子だった。
「二人とも、このあと予定は? 」
「ありません」
だったらと千春の母が提案する。
「今日はうちでご飯食べていってはどう? 出前でも頼むから」
「いえそこまで甘えられません」
亮がそう答えると兄の彰は鼻を鳴らす。
「なんだ」
「そういうところ直した方がいいぞ」
どうやら兄は腹が減っていたらしい。緊張しているのに腹の虫がなるというのは不思議なものだ。
しかしこちらとしても面白くないので素直じゃないところを指摘しておく。
「あんたのそういうところもな」
目には目を歯には歯をというわけではないがお互いいい年して対抗心があるのは変わらないらしい。
「もう亮ったら。それに彰さんもお互い様だよ」
「ふん。まあいい」
二人して子供っぽいなと笑われる。それが少し不本意で肩を落としていると千春の父から小言が入る。
「年のわりに立派な男だと思ったら案外小物だったとは。まだまだ千春を任せる気にはなれないな」
「任せるって……」
千春は顔を赤くして首を横に振る。
「そんなこと言われたら亮だって困るよ」
「それは困らない」
すぐにそう返すとさらに千春の頬が朱に染まる。
まるで風邪でも引いているようだが別の理由があるらしい。
「千春、そろそろお前の将来のことを考えないとな」
「将来? 」
千春の父はなんだか感慨深そうに一言告げる。
「千春も大学休んでいる場合じゃないだろう。こうして記憶が戻ったんだから大学で勉強しないと」
「でもアルバイトの予定もあるし」
一度引き受けた仕事を簡単に放り投げるわけにはいかないと感じているようだ。
「千春、今目の前にあることだけを考えて行動するのは危険だ。本当にしたいことがあるなら一つ一つ片付けていかないといつまでたっても解決しないぞ」
「うん」
自分の娘には厳しいのか千春は苦い顔だった。だけれども亮との関係に反対しているわけではなさそうだ。
「住む場所はさすがにあそこは遠いだろう」
つまり二人で過ごす時間ももう少ないということか。そのことに少しばかり切なさを感じた。
「それなら僕がこちらの近くにアパートを借ります。だからどうかそばにいさせてもらえませんか」
「それには君の覚悟を見せてくれないと」
どうやら千春の父は亮のことを完全に信用してくれたわけではないらしい。そのことに悔しさを覚えるわけではないが自分のことをまだまだと思われているのは事実だった。
「僕はこれから就職活動を始めます。ただアルバイトを続けながらですが」
「ずいぶんと大口叩くんだな」
案の定兄の彰に挑発される。だがここで怒りに駆られてはいけない。
「今の僕が千春さんのそばにいるのは不安なのはわかります。だからこそ信頼に足る人間になりたいのです」
「君がそこまで言うんだ。千春のことはひとまず大学が始まるまでは任せよう」
「……お父さん」
千春の父はそう告げると新聞を広げ始める。それで話は終わりとばかりに。
「ありがとう。私今まで自分のことばかり考えてたけどそうもやってられないね」
「千春がお父さんに感謝するなんて。珍しいこともあるわね」
千春の母はふふっと笑う。久しぶりに屈託のない表情を見る気がした。
「そうだ。せっかくだから飯田さん呼んでもいいかしら」
「それは僕も願ったり叶ったりです」
あれからメッセージで感謝の言葉を伝えたが直接話すことはなかった。せっかく地元に戻ったことだ。これもなにかnの縁だろう。彼女がとりなしてくれたことに感謝しないと。
「そうだね」
千春も久しぶりに知り合いと会いたいのだろう。そうと決まれば彼女が愛川家にやってくることになった。
「その、飯田さんって誰だよ」
「俺たちの友達」
「全然聞いてないぞ」
案の定兄の彰が口を挟んでくる。でもそれは嫌だということではなく少し警戒感があるものの誰が来るのか気になっているらしかった。どうやら自分が知らない人間が来るということに懸念があるらしかった。いつも強気な兄にしては意外だ。
「その飯田さんとはどんな関係なんだよ。俺が知らないことがあるのが不本意なんだよ」
少し怒ったような顔になる。自分だけ仲間はずれなのが気にくわないらしい。
「わかったわかった。そういやあんたとはそんな会話したことなかったからな。来たら紹介するよ」
「おう」
どこかばつの悪そうな顔でそうとだけ返事をする。知りたいのか知りたくないのかどちらなのだろう。
それが顔に出ていたのか兄は不機嫌そうにそっぽを向くのであった。
「もう彰さん、相変わらず子供だな」
「子供というか自分勝手なだけじゃないか? 」
千春が思わずため息をつくのでそう返す。亮にとってはいつもの姿で特に驚きもしないがそれが彼女にとっても同じというのは想像していなかった。
そういや二人は付き合っていたんだっけと思い出す。そのことを全く意識しないわけではないが二人にとっては過ぎたことらしく気兼ねない関係になっているようだった。
そうこうしているうちに話題の彼女がやってくる。
「お邪魔します。わざわざ呼んでくれてありがとう。千春、よかったね」
話は彼女から直接聞いていたのか飯田は千春の肩をポンと叩く。
「今日はごちそうしてもらうから、私も嬉しいよ」
「あはは。飯田さんってば食いしん坊」
そして一応兄の彰にも挨拶する。
「こんにちは清水くんのお兄さん。たしか初対面でしたよね」
「ああ」
どうしてか彰は気まずそうな表情だった。今まで悪さをしてきた分人とどう接していいかわからなくなってきたようだ。
「なんだか兄弟二人似ているよね」
「いや全然」
「似てねえよ」
思わす同じタイミングで突っ込んでしまった。
「ほらやっぱり仲いい」
「ええそうかな? 」
彼女はおかしそうに笑う。それをはらはらしながら見守っている千春だったが。
「千春、お客さんを待たせるのは悪い。そろそろ食事を始めよう」
その一言で皆がうなずくのであった。
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