第26話
役者は揃った。交通事故を引き起こしてしまった兄の彰と千春、そしてそれを揉み消した千春の両親。そして亮も話し合いに参加させてもらうことにした。
場所は千春の実家である愛川邸。地元の名士らしく駅から少し離れた場所にある。周囲は緑豊かで一見するとここが彼女の家だとは信じられないほどだ。
招かれた彰は借りてきた猫のようにおとなしく時おりこちらを恨みがましい目で見ている。それをいなすとさらに悪態をつかれるが本気にするつもりはない。
「いらっしゃい。相手の方はまだいらっしゃらないわ」
千春の母は久しぶりに会う娘の姿に安堵したようだ。本当なら一言声をかけるつもりなのだろうがお互い意識してどこかぎこちない。それは千春の父も同じで客間でどっかりと座っているだけで口を開こうとしない。
少し気まずいがこれから一緒に頭を下げるのだ。打ち合わせはした方がいいだろう。そう思ったところだった。
「謝罪するということだが本当に覚悟はあるんだろうな」
「覚悟なら……あるよ」
厳しい視線を向けられ千春ははっきりとそう呟く。
「私がしたことお父さん達が片付けたことは知ってる。だけど私だっていつまでも甘えていてばかりはいられないから」
真剣な面持ちでまっすぐと前を見据えている。
「それにね。記憶を失ってから私は大事なことを取り戻した気がするの」
こちらに視線をやり一緒にうなずく。
「僕からもお願いです。彼女と兄の彰が謝るところを見守ってほしいんです」
おそらく被害者はやりきれない思いを抱えているはずだ。単純に謝るだけでうまくいくかどうかはわからない。
「……俺もそう思っていた」
亮がそう告げると気まずそうな様子で彰が続ける。
「ことの発端は俺だ。全部俺がやったことだからあんた達が迷惑しているのは百も承知している。だから俺もここでけりをつけたいんだ」
いつまでも甘えているわけにはいかないからなと笑う。
それがどこか緊張していて彼らしくない。
いや自分は兄のことをほとんど理解していなかったのかもしれない。
お互い反りがあわなくて喧嘩ばかりしていた。今も完全に和解できたわけではないが昔よりは話ができるようになった。これも千春がもたらした不思議な関係だった。
「清水君だったか。そっちの言い分はわかった」
千春の父は感情の読めない顔つきでただじっと彰の顔を見つめていた。
「私たちがした苦労を思うと素直に受け入れるのは難しいと考えている」
「お父さんっ」
彰は相変わらず強気の態度で彼のことをよく知らない人間からしたら謝罪する気があるようには見えないだろう。だが千春にはわかるのだろう。
「私がみんなを振り回したこと、迷惑かけたこと、改めて謝りたいの。それが記憶を取り戻した私ができる唯一のことだから」
彼女は記憶を失って大事なものを取り戻したといった。それはどういう意味なのだろう。亮と千春が過ごした時間が決して無駄なものではないのだと信じたい。
少なくとも二人の時間を否定されたくはない。
だからこそ臆することなく正面から向き合いたいと思ったのだ。
「彰さんもそんな態度してたらいつまでたっても話聞いてもらえないよ」
「……悪かったな」
千春は彰をいなすと不承不承といった感じで彼は頭を下げる。それを見て一応千春の父の機嫌は戻ったらしく深くは詮索してこなかった。よかったと安堵するまもなく今度は話の矛先が自分に向けられる。
「清水君だったか。弟がいるとは知っていたが顔をあわせるのは初めてだな」
「お初にお目にかかります。いつかご挨拶にうかがいたいと思っていましたがこのような機会になるとは」
「そう肩肘張らなくていい」
改まった口調で話すと気むずかしそうな顔でこちらを見ていた。
「今回は弟の君の関係することではないがどうして来たんだ」
「それは彼女が心配だからです」
なるべく失礼がないようにと心がけたがその言葉にさらに父は不機嫌になった。
結構な気分屋のようだ。
こんな調子で大丈夫なのか心配になったがなるべく波風たてないように話を続ける。
「記憶をなくした頃の彼女も不安定でしたが今の千春さんもまだ本調子ではなさそうです。普段はアルバイトをして家計を助けてくれていますが無理をさせていないか気がかりだったもので」
「無理か」
その言葉にふんと鼻を鳴らす。何がいけなかったのか緊張で背筋がぴんとなる。
「うちにいた頃は小遣いで遊んでいるだけの娘が働くようになったか」
それはどこか感慨深い様子でさっきの反応と矛盾しているようにも感じた。
「正直に言おう。私はきみのことが面白くない」
だけどと付け足す。
「娘を立ち直らせてくれたことには感謝している」
つまり回りくどい言い方だが嫌われているわけではないだろう。よかった。千春の父は気むずかしそうな人だから気に入られるかはわからなかったが今日の話し合いで味方してくれるだろう。
「私もどこか人に甘えていたのかもしれないな。まさかこういう日が来るとは思っていなかった」
彼は一人うなずくと千春と亮に目を向ける。
「今日は事故の被害者の方が来るはずだ。苦しい思いをした方だろうからすぐにはいそうですかとうなずいてはくれないだろう。だが私も事故を起こした家族のひとりとして話し合いに同席したいと思っている」
「お父さん……」
厳しかったはずの父から改めてそういわれた千春はそう呟いた。
そこには一言では言い表せない複雑な感情があった。
娘として厳しくされて心の奥に寂しさを抱えていたこと。兄の彰と付き合って結果的に事故を起こしたこと。そして今関係者が全員揃って改めて謝罪すること。
まさかこんな日が来るとは千春自身も想像していなかったのだろう。
「あと少しで弁護士の先生も来る。向こうの弁護士さんも立ち会ってくれるそうだ。簡単に納得してもらえることではないが千春も誠心誠意振る舞いなさい」
「……わかったよ」
「そこはわかりましただろうが」
ぴしゃりといい放つ姿は相変わらずだったが不思議と苦手意識は持たなかった。
「お父さん今までごめんね」
「今はほかにすることがあるだろう。謝る相手はほかにいるだろうが」
これから千春が向き合うべき過去に対してけじめをつけなければいけない。
それを覚悟してのことだと千春も彰もわかっていたのだろう。
「うん。だから待とう」
弁護士の二人と被害者が来るまであと三十分。
緊張が走るのであった。
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