第25話

 兄の彰に連絡したら用件はなんだと単刀直入に聞かれた。

「亮、俺がお前にしたこと忘れてないだろ。だったらノコノコ鴨がネギ背負ってやってくるんじゃねえよ」

 

 どうやら自分が彼のとってのサンドバッグのようなものだと知って失笑した。

「大事な話があるんだ。千春と俺にとっての」


「ふうん。お前らは仲良しこよしでつるんで俺になにをしかけようとしているんだ」

 真面目な話をしたいのに彰は何かをはぐらかしたがっているようだった。


「ただ単に話がしたいっていうのはダメなのか」

「怪しいな」

 なにかたくらんでいるのではないかと彼はいぶかるような声で呟いた。


「なにも悪さをするわけじゃない。ただ話を聞いてくれるならこの間のことも口外しない」

 暗に前回会ったときに首を絞められ頭を打ったときのことを口にすれば相手も気まずいのか不承不承うなずいた。


「今日のところはそれで納得してやるよ」

 病院代結構かかったんだからなと付け足すと相手も文句は言えないようで明日会うことに同意してくれた。


「千春のお母さんも一緒に来るから俺もそっちに向かう」

 今は地元を離れているがわざわざこちらに足を運んでもらうのも悪い。千春の母に不満を与えるわけにもいかない。


「なんとなく予想はつくがお前のやることが全部うまくいくと思うなよ」

 最後は悪態をつかれて終わった。内心冷や汗をかいていたのでうまくいって安心した。


「亮、どうだった? 」

 事件の当事者である千春が気遣わしげな視線を送ってくる。

「ああ。大丈夫だって」

「そう。よかったのかな……」

 それは彼女が話し合いに参加しないことへの疑問だった。

「たまには俺を頼ってくれって言っただろう」

「ありがとう亮」

 彼女を安心させるように笑いかけると千春もぎこちない笑みを作った。

「そうだよね。私も明日からバイト頑張るから亮も戦ってきてね」

 そしてバシバシ背中を叩かれる。それが彼女なりのエールだとわかったから素直に受け止める。若干いたいのはこの際無視だ。

「戦い、か」

 一人呟く。兄と対峙するのは今でも怖い。ただ一度向き合ったことで自信が生まれたのも確かだった。


(もう俺は弱い頃の俺じゃない)


 そう自分に言い聞かせて明日が来るのを待つ。不安は強かったが千春と約束した。彼女の願いを届けるためにも兄との会話は避けられないものだった。


***


「こんにちは。今日はわざわざお越しくださりありがとうございます」

 亮の地元にある駅ビルを指定され待ち合わせ場所に向かうとそこには約束の時間よりも早く来た千春の母の姿があった。


「あなたの方が遠かったんじゃない。千春は今日は来ないのよね」

「はい。アルバイトの時間と重なってしまって」

 そう説明すると彼女は驚いた様子だった。

「あの娘がアルバイトするなんて。ちゃんと仕事になるのか心配だわ」

「店長からは完璧と言われているそうですよ」


 練習ではという言葉は告げずに伝えるとまんざらでもなさそうだった。

 口では厳しいことを言っているが自分の子供が少しでも前に進んでいるのが嬉しいのだろう。


「あの千春がアルバイトしだすなんて。今まで甘やかしてきたからそんなこと考えもしないと思っていたけど成長したのね」


 それは自分に言い聞かせているような口ぶりだった。やはり彼女も本心では自分の子供がかわいくない訳ではないのだとしり安心した。


「千春さんは本当によくしてくれています。彼女にはいつも感謝しています」

「あらあの娘結構好き勝手にするからあなたの迷惑になっていないか心配してたのよ」


 好き勝手するというところは確かにとうなずいた。千春は天真爛漫で人を振り回してこその魅力があると思っていたからだ。


「と話が長くなってしまったわね。そろそろ時間かしら」


 時計を見れば午前十一時半。彰と決めた時間だった。


「おい。亮長々と喋ってんじゃねえよ」


 彰はちょうど柱の影に隠れていた。会話はしっかり聞かれていたので時間になるまで黙っていたのだろう。


「来てたなら先に顔出せばいいのに」

「お前がそれをいうか」


 以前暴力を振るわれたときのような恐怖心はなぜだかやってこなかった。慣れたのかそれとも克服したのか意外と自分が怯えていないことに驚いた。子供の頃はしょっちゅう喧嘩をして負けていたのに。今では背格好も同じくらい。体格差がなくなり同じ目線で話すことができる。


「それで話するんだろう」

「ああ。個室を予約してある。そこで食べながら話をしよう」


 割高だけど他の人から話が聞かれないという点で近くの中華料理の店を事前に予約していた。

 千春の母からの提案だった。


 普段なら思い付かないことなので彼女の知恵には助かった。


「では行きましょう」


 三人がバラバラながらも店に向かう。自分達の繋がりを知る人間はいないんだろうなとひとりごちて歩を進めた。


***


 スマホに千春から連絡が入っていた。


「私のわがままに付き合ってくれてありがとう。事故を起こしたことを謝りたいのは自己満足かもしれないけどそれでもやっぱり逃げたくないの」


 それは事件を起こしてしまったことに対する罪悪感からか。それとも逃げてしまった臆病な自分に対するものなのか。

 率直な彼女の思いを知ると気は抜けないと改めて思った。


「それで話ってなんだ」


 スマホから視線を兄の彰に戻すと彼は不満げな顔だった。突然呼び出されたのだから仕方ないだろう。しかも半分脅すような形だったのもある。


「あんた、この間自動車事故起こしただろう。それで千春が謝りたいんだって」

「なにを? 」

「事故の被害者に」


 その言葉に彰は苦々しい顔をした。


「あいつこの間様子が変だと思ったけどそんなこと考えていたのか」


 いまいましげにそう呟くと彼はお茶を啜る。その姿はあまり行儀がいいとは言えず千春の母が眉をひそめていた。


「いや、あのときは事故の後遺症で記憶がなくなっていて事故のことを思い出したのは最近なんだ」

「記憶をなくした? そんなバカな話があるか」


 どうやら彰は信じる気はないらしい。ただ苛立たしげに足踏みを繰り返す。


「あんたが信じられなくてもそうなんだ。だけど全部思い出したらやっぱり事故の被害者に申し訳ないことをしたと思ったからさ」


 一緒に謝ってくれと頼む。だが。


「俺は謝らない。今さら頭下げたって相手の気も収まらないだろう」


 意思の強い瞳で彰はそういい放つ。思えば彼は昔からそういう男だった。悪いことをしても決して謝らない。罪悪感を感じない人間なのだとずっと思い続けていたが違ったらしい。


 謝られても気が収まらないか。確かに彼の言い分は一理あった。


「今さらどの面下げて謝るんだよ。相手は仕事を続けられなくなったんだぞ。きっと恨んでいるだろう」


 この男は昔から悪びれもせず悪事を繰り返してきたが案外臆病な人間のようだ。なんだ。自分が恐れていたのはこんなちっぽけな人間だったのか。


「でも恨まれたって千春は謝りたいと言ったんだ」


 あんたは怖いのか。人に恨まれるのが。取り返しのつかないことをしてしまったことが。そう聞きたかったが亮は兄が答えるのを待った。


「俺は……」


 やはり迷っているようだ。千春の母に目をやると彼女も真剣な表情で話を聞いていた。


「あのとき煽り運転をしたのは俺だ。千春は悪くない」


 まるで千春をかばっているような発言に亮は驚いた。まるでもの扱いだった彼女にたいして本当に好意を抱いていたということか。


「千春が謝罪したいって言ったって本当に悪いのは俺一人だからな」


 彼は自嘲するような口調で呟く。


「全部俺が悪いんだ。あの日俺はイライラしていた。千春にも、いなくなったお前にもな。だからうさを晴らそうと前にいる車を何度も煽った。お前に俺の気持ちがわかるか」


 おそらく彰は自分を見ようとしない千春に苛立ちと怒りを抱いていたのだろう。身代わりにされていることを知りながら付き合っていた二人の関係はいいものではなかったのは予想される。


「いつも喧嘩ばかりして本当にほしいものが手に入ったことなんて一度もない」


 亮への怒りや恨みを日頃ためた鬱憤とともに発散しようとしたのがことの真相だった。


「なあ今から謝って本当に償いができるのか? 」


 それは無理矢理示談にしてしまったことへの疑問だった。


「それは……」


「事故については私たちにも責任があったわ。千春が面倒事を起こしたくらいにしか思ってなくて私もきちんと向き合おうとしていなかったから」


 亮が答える前に千春の母がそう告げる。


「本当なら大人である私たちがちゃんとしないといけなかったのに全部勝手に自分達の都合のいいようにしてしまって悪いことをしたわ」


 そして最後にこう続ける。


「あなたや千春だけに責任を押し付けないで私たちも謝りましょう」

「そう……だな」


 そう呟く兄の姿はまるで小さな子供のようでちっぽけな存在に見えた。

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