第22話

 千春の母がやってきてから数日が経った。

 あの嵐のような一日はなんだったのだろう。


 言いたいことははっきりしていたがそれは八つ当たりのようなものだろう。


 ただ平穏な日常を取り戻したい。そんな願望にも聞こえた。


「千春、飯田さんから何かあった?」

「連絡来てたよ」


 文面には先日の一件で申し訳ないことをしたと記され、今度は千春の母抜きで話がしたいと言っていた。


「週末はバイトいれてるから平日の夜なら会えるね」

「飯田さんに伝えておくね」


 そうしてスマホで連絡を取り合っているうちは千春もしっかりしていた。


 どうやらやることができて落ち着きを取り戻したようだ。


 確かに千春の母が残した爪痕は大きくて彼女はなにも言わないがひどく傷ついていたのがわかる。


「ねえ千春、ぎゅっとしていいか」

「急にどうしたの?」


 互いの温もりを求めるように力強く抱き締める。そうすると痛いよと困ったように笑う姿がそこにあった。


「なんかさ千春がいなくなってしまいそうで怖かったんだ」

「私はどこにもいかないよ」


 それは決意ともとれるような言葉だった。彼女も覚悟を決めたということか。


「亮、私はあなたがいるから今までやってこれたんだからね」


 そうやって抱き締め返される。

 その柔らかい感触に亮は自分だけが彼女を守れるのだと自覚する。


 兄の彰に千春の両親。すべて解決したわけではないからこれからも過去はつきまとってくるだろう。

 だが亮は前を見据えて進んでいきたいと思った。


 千春が笑顔を取り戻せるように。


 そのためには新たな行動に出なければならない。


 最初に飯田から連絡がきたということはいい機会だとばかりに亮はスケジュール帳にメモをしていく。


 これを機に過去のなにもできなかった自分とはお別れにしたい。ただ逃げてきただけの弱い自分を。


 ***


「飯田さん久しぶり」

「この間はごめんね」


 開口一番にそう謝られた。千春も亮も返事に困りながら謝罪を受け入れた。


 老舗のコーヒーショップにはあまり客がおらず店主も奥に引っ込んでいるため話し合いにはもってこいだ。


「それで千春のお母さんに話は聞いたんだけど」


 交通事故を起こしたことは伏せられていてただ体調が思わしくないから休んでいるというのが表向きの理由だった。


 でも飯田はなにかあると踏んで調査をしてきたようだった。


「清水くんがいなくなってから千春の様子が変だとは気づいていたんだけどね」


 それは兄の彰と付き合い始めたということだろう。


「千春って元々真面目な方だったじゃない?だからどうしてあんな人とって噂になっていたんだよ」


 自分の兄をけなされたことについては事実なのでなんとも思わないが改めて兄の罪深さを思いしる。


 これは再び彼にまつわることを聞かないといけなくなると自覚した。


「清水くんには悪いけどお兄さんって結構荒れていたじゃない?だからみんな心配してたんだよ」


 見た目はどこか似た二人だったが中身はまったく違う。


「俺の方からもごめん」

「いや縁切ってるんでしょ。なんとなくそんな感じしてたから。清水くんは悪くないよ」


 ただこれから話をしないといけないねと告げられる。それがひどく重いものに感じた。


「千春の方もお母さんがカードを止めるって言ってきたよ」


 お金がなくなれば困って家に帰ってくるだろうという打算だった。


 確かに今までは千春の経済力に頼っていた部分は大きい。亮一人でいきるのには困らない程度だが二人分の生活費を賄うのはいささか難しい。


 でも千春があの母親になじられている姿を見てこのまま返すわけにはいかないのだと実感した。


「経済的にも精神的にもしんどくなる前に一度整理した方がいいと思う。千春のお母さん相当怒っていたから」


 飯田はなにかと親身になってくれる。それが罪悪感だけからじゃないことはわかる。


「ありがとう飯田さん」

「私は二人のこと応援しているから」


 彼女は真剣な顔でそういうと握手を求めてきた。


「これからもなにかあったら話聞かせてね」


 スマホで連絡先を交換する。少なくとも味方が一人いる。その事実がありがたかった。


「やっぱり二人はお似合いだしさ」

「へ?」


 亮が気の抜けた返事をすると飯田に窘められる。


「こら間抜けな声ださない。本当清水くんは無自覚天然だよね」


 やれやれとため息をつかれる。


「ここはしっかりそうでしょってのろけるところだよ」


 そんな細かいところまで気づかないだろう普通と思ったが口にはしなかった。


「小さい頃から一緒っていうのもあるけど本当仲いいよね。羨ましくなっちゃう」


 私も恋愛したいなあと彼女がぼやく。今までの緊張感はどこへやら今度は世間話に花を咲かせる。


 それは例えばかつての同級生が誰々と付き合っているとかそんな他愛のないことだったが終始重苦しい雰囲気だったのが和らぎ亮はありがたく思った。


「千春も本当いい男捕まえたよねー」

「ちょっとお」


 記憶を取り戻したのか千春の方も飯田とは砕けたやり取りになる。


「前にあったときは私のこと覚えてなくてビックリしたけどこの分だと全部取り戻したんだね」


「うん。全部思い出したよ」


 自分のおかしてしまった罪の大きさ。そして亮への思い。すべてを取り戻した彼女はようやく強さを得たようだった。


「ずっと後ろ向きでいてもなにも変わらない。だからそろそろ前を向かないとってようやく思えたよ」


 ずっと両親に怯えて生きていくわけにもいかないからとそう呟く。


「よかった。二人ならどうにかできそうな気がしてきた。相手は手強いからね。私も相談に乗るよ」


 そしてニッと笑うと彼女はコーヒーを一気に飲み干した。


「くう苦ーい。でも美味しい」


 お会計お願いしますと彼女がいうとマスターがゆっくりとやってきた。


 それぞれが頼んだ分だけ支払いコーヒーショップを後にする。


 カランコロンと懐かしい音がする。

 ドアには求人の情報が貼られていた。


 これから待っているであろう波乱に比べこの平和な光景は対照的だった。


 これからがスタートだ。

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